2017.08.25

過去の読んだ本の感想(シリーズ)9

8月25日(金)

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1991年6月19日(水)
「妊娠カレンダー」の書き出し
(中略)

うーん。わからない。どこがいいんだ?
気になる所、
M病院。すぐ改行。会話の改行の仕方。基礎体温のグラフ。わたし。
愚図々々。とうとう。なかなか。
作者(わたし)は、姉がM病院に出かけて…いや、ちがうか。

色川武大の場合はどうだろう。
怪しい来客簿より
空襲のあと
(中略)

「が」が多いな。発想は突飛。でも、よく考えると、思い当たるフシもある。文章自体は、流れるよう。しかし、特に変わった点はない。

6月20日(木)

大江健三郎「懐かしい年への手紙」より
第一部
第一章 静かな悲嘆(グリーフ)
(中略)

森。谷間。妹。ギー兄さん。オセッチャン。ダンテ。事業。そして僕。

段落の構造
僕←TEL←(妹←会話←オセッチャン←→ギー兄さん)森のなかの谷間の村=こちら側

ギー兄さんのことを、オセッチャンの話を聞いた妹からの電話で僕が聞いたわけである。伝聞→物語の発生。ここですでに、この小説は神話性をおびてくる。しかも、ダンテだ。さらに2人の女=語り部=巫女の存在。

イメージの重層性が大江文学の特徴だが、それにしても、たいした念の入れようだ。イメージの洪水と言ってよい。

6月23日(日)

大江健三郎「静かな生活」(講談社)を読んでいる。心が浄化されるような小説だ。イーヨーと妹のマーチャンとの官能的とも言える交流。ワクワクさせられる。

10月8日(火)
今、川西蘭という小説家の「パイレーツによろしく」という本を読んでいる。わずか7年前の小説だが、すでに古びている。

12月1日(日)
読 「I will marry when I want」NGUGI wa Thiongo、NGUGI wa Mirii(Heinemann Kenya Ltd)
「現代アフリカ入門」勝俣誠(岩波新書)

どちらも一級品。読んだかいがあった。

「アフリカのこころ」土屋哲(岩波ジュニア新書)
いまいち。ちょっと古い。

12月8日(日)
読 「ハラスのいた日々」中野孝次(文芸春秋)、「治療塔」大江健三郎(岩波書店)

「治療塔」は、SFと純文学が融合したような不思議な感覚の小説である。数日前、新しく「治療塔惑星」という本が出たばかりだったので、前作を古本屋で買ってきたわけである。あいかわらずのイメージの洪水ではあるが、どうも異和感が抜けない。ハッキリ言って、胸の中をひっかきまわされるみたいな感じだ。SFの1人称か。何か変なんだよな。まだるっこしいぜ。

「ハラスのいた日々」も、オレにとっては新鮮だった。犬とヒトとの共生感覚。確かに、これは貴重なものだ。犬が今まで生きのびてこられたのは、このような関係が、ずっと続いていたからなんだな。なんか、うまく言えんが。昔、犬を飼ってた頃を思い出してしまった。

12月16日(月)
SIDNEY SHELDONの"THE OTHER SIDE OF MIDNIGHT"を読んでいる。plainなEnglishなので読みやすい。

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2016.02.19

過去の読んだ本の感想(シリーズ)8

2月19日(金)

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1990年12月15日(土)

西研の「実存からの冒険」を読んでいると、おだやかな気分になる。難解な思想、硬直した教条に飽き飽きしている私に、「私は私のままでいいんだ」と語りかけてくれているような気がする。

1991年

1月11日(金)

異化→文体化・戦略化・スタイル化→想像力(「新しい文学のために」大江健三郎)

1月20日(日)

竹田青嗣「現象学入門」(NHKブックス)を読んだ。僕がやりたい学問はこれだったのだ。現象学→解釈学。現象学→現象学的社会学の確立。

1月27日(日)

高橋源一郎「文学がこんなにわかっていいかしら」(福武書店)を読んでいる。表紙の”いい”という字が小学1年の時の僕の字に似ている。本当は、ミシェル・フーコーの「言葉と物」を、何とか読み進めたいのだが、気力が続かない。しょうがないので、こんな本を読んでいる。具合が悪い。目が疲れている。

2月24日(日)

―自衛隊を”軍”として認めることは憲法違反ではないかとご指摘がありました。その点についてお答えしたい。むしろ国連指揮下に預けることによって自衛隊は違憲性を免れるのである。自衛隊にはこれまでずっと違憲性についての論議がつきまとっている。だが国連指揮の下行動する場合、国際平和を維持するための軍隊ということになり、初めて日本国憲法の定める「国権の発動」たる軍隊の可能性から免れられるのである。―(「沈黙の艦隊」週刊モーニング'91 No.11 3.11号)

3月6日(水)

アメリカン・ビート -ベスト・コラム34- ボブ・グリーン 井上一馬/訳の「両親のこと」というコラムが胸に刺さる。私も34才になったら、―あと5年後だ―両親をヨーロッパ旅行にでも招待しよう。M雄とA子にも金を出させて。大いに35回目の結婚記念日を祝おう。

3月17日(日)

Sidney Sheldonの「The naked face」を読んでいる。字が大きいし、文章も簡潔でリズムにも乗れるので、とても読みやすい。話のすじもおもしろい。こりゃ300ページぐらい一気に読めそうだ。

3月18日(月)

「The naked face」(Sidney Sheldon warner books)を読んだ。300ページ読むのに約1日かかったことになる。正確には10時間くらいか。でも久しぶりに英語で書かれた本を読み終えることができてうれしい。

4月6日(土)

Bob Greeneの「CHEESE BURGERS」をあと少しで読み終わる。コツコツと読み続けるとどうも印象が薄れていけない。次は前から読みたかった「Top Gun」を読もう。

4月7日(日)

Bob Greene「Cheesebergers」を読み終えた。次は「Top Gun」である。

村瀬学「子供体験」には、僕のふに落ちるような言説がいっぱいつまっている。

4月20日(土)

磯田光一氏の「左翼がサヨクになるとき」を読んでいる。僕はどうやら未だに左翼的な倫理にとらわれているらしい。そこから何とか脱しようとしているが、その倫理の範囲内で発言しようとしてしまっていることに気づくことがある。まだ自由ではない。

4月21日(日)

ゴルバチョフの「ペレストロイカ」を読んでいる。レーニン主義に基づく社会民主主義の達成を目標としているのが初期のペレストロイカであった。だとすると、今のソ連の現状は、ゴルバチョフの最初の試みを、はるかに越えている。ゴルバチョフは、民衆にとって邪魔者でしかない。

この結論を言うのは、まだ早い。ゴルバチョフ自身が変わっていくかもしれないからだ。だが、このところ、彼の評判は、えらく悪い。

4月28日(日)

「方法としての子供」(小浜逸郎)を読み終えた。

5月1日(水)

「可能性としての家族」小浜逸郎(大和書房)を読む。
人はなぜ結婚するのか・・・か。

6月12日(水)

「思想の体温」(岡本博)ゲインを読んだ。そういえば、「書誌的 高橋和巳」(村井英雄)阿部出版を、数日前に読んだんだった。

6月15日(土)

ヘドリック・スミスの「新ロシア人」(NHK)を読んでいる。アメリカ人らしいソ連観がちりばめられている。今までT.V.等で見てきたソ連と、それほど変わらない印象を受けた。

そー言えば、ロシア共和国で、エリツィンが大統領になった。

6月16日(日)

小浜逸郎「症状としての学校言説」(JICC)を読む。向山洋一批判と諏訪哲二批判は、読みごたえがあった。どうも僕は「学校の現象学のために」を甘く見すぎていたようだ。

僕自身が、今まで、小浜の思想に引かれて何冊か本を読んできたためか、今回読んだ本にはさして新鮮味はなかったが、でもさすがに小浜である。

イメージを喚起するものとしては、村瀬の方がすぐれている。でも、論理一貫性および現実妥当性といった面では、小浜が上だろう。僕は、未だに体に巣食う左翼的思考方法を、完全にたたき出して、一から自らの思想を築いていかねばと思う。

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2014.07.31

過去の読んだ本の感想(シリーズ)7

7月31日(木)

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1989年

Sun.15/10/'89

I read books.「ドナウの旅人」(宮本輝)、「母なるもの」(遠藤周作)、「口笛を吹く時」(遠藤周作)etc...I shall read the books of Endo Shusaku. He is a Christian. He is an author. I didn't take an interest in his novels in Japan. But now I feel an interest in them.

25/10/'89
I am reading 「木霊」(北杜夫)now.

26/10/'89
I have read 「木霊」KODAMA(echo?)

29/10/'89
22:00
I was impressed with the novel:"KODAMA". I also want to write such a novel. He loved the author of Thomas Man. But I don't love any writer. Thereby I cannot write such a novel.

1990年

24/1/'90
「アンナ・カレーニナ」トルストイ(新潮文庫)を読了。これで2回目か。あいかわらず、アンナの魅力がわからない。リョービンに以前ほど好感が持てなくなった。「リョービンは正しい」と昔、書いたことがある。今は、何が正しいのか、という気持ちである。

「生きがいへの旅」森本哲郎(角川文庫)読。特に言うことはない。

12/2/'90 Mon.
19:30
立花隆「脳死」を先週、2日で読みとばした。ギリギリのところで死とは何かが問われている。恐いくらいである。人は死ぬ。あたりまえだ。でも…。

15/3/'90(THU)

昨日、色川武大の「狂人日記」を読んだせいか、自分がおかしくなりそうな不安定な気分が続いている。妙な夢もたくさん見たようだ。イライラしている。

彼の小説と吉本ばななの「TUGUMI」とどっちが面白いか。私にとっては、やはり「狂人日記」の方である。この本は私をゆさぶる。吉本の方は、退屈する。

Sun.8/4/90

「carcase for hounds」を読んでいる。自由のために闘ったといわれるマウマウ団の闘士と、現実に僕が見るケニア人とのへだたりが大きすぎる。

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2014.02.21

過去の読んだ本の感想(シリーズ)6

2月20日(木)

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1988年

15/Nov.(FR)

I read the book, "69" written by Ryu Murakami. The story develops in Sasebo in Nagasaki. The hero is a student of Sasebo Kita High School. The year is 1969. Ryu Murakami's novel was very interesting when I read it. This book will be interesting, too.

1989年

1月24日(火)

今日は主に「サバンナの博物誌」川田順造(新潮選書)を読んでいた。西アフリカの主にモシ族の生活についての詳細な記録である。私がケニアで生活していく上でも参考になる。特に開発が「低開発」を作り出したとの意見には同感だ。問題は、伝統的な生活技術が開発によって無用なものになりつつあるのに、それに変わるものが出てこないということなのだ。それが「低開発」なのである。かと言って、元の伝統的な生活に戻ることはできない。

ケニア人がきらいだという人何人かと出会った。これを、どう見るか。ケニア人気質と彼らが呼ぶものの実体は何か。

3月28日(火)

今日は『文化人類学への招待』(山口昌男 岩波新書)を読んだ。昔読んだ時は訳がわからなかったが、今はよくわかる。わかりすぎてなんだかつまらない。

6月21日(水)

P.ラビノー「異文化の理解」(岩波現代選書)を読む。<他者性>か。それは、とまどい、怒りとして表われる。僕は今、異文化の中にいる。さわやかな気持ちである。僕はさらにこの文化の深いところへ行ける。その可能性が本書に示されている。僕はまだ表面を漂っているにすぎないのだ。

7月13日(木)

このごろ日本の夢をよくみる。「移民の日本回帰運動」を読んでたせいかもしれない。あの本は、僕の心の深層と共鳴している。文化人類学にいう千年王国運動。あと1年半で帰れる僕には関係ないことなのに、心が振動している。そう、日本に帰りたい。帰ればすべてうまくいく。そんな幻想(聴)がわきあがってくるのだ。

7月19日(水)

6時半頃に起きて、中沢新一の「野ウサギの走り」を読んでいた。

逃走。僕はとんでもないところに逃げ込もうとしていたのかもしれない。

中沢新一が宗教学者であることに気づく。前からそのことは知っていたが改めて「気づいた」のだ。

逃走。日本において、僕は何から逃げたかったのか。抑圧。農耕倫理(??)。管理。(?)

ところが…。ケニアには、日本以上に抑圧があって、僕を待ちうけていた。…うーん。どうだろう。

7月24日(月)

「インドで暮らす」石田保昭(岩波新書)を読んでいる。この共産主義に傾倒している若者の目に見えているインドは、その後30年近くの後、現在の日本人が持つに至った平均的インド像とは、遠くへだたっている。いや、見えているものはおそらくいっしょだ。しかし、解釈の仕方が恐ろしくちがう。僕らは、ヒッピーの世代を経て、多く彼らの世代の言葉でインドを見る。特に、その宗教的な側面を見る。しかし、この石田氏に宗教は見えていない。また、貧乏な人々の具体的な生活もまったく見えてこない。見えるのは、インテリの意識(?)だけである。

ケニアはどうか。僕には逆に石田氏の見えているものが見えてこない。もし、彼のような目でケニアを見たら、とんでもない世界が見えてくるであろう。僕がそんなケニア像に耐えられるかどうか。

8月1日(火)

大江健三郎の「沖縄ノート」を読む。胃の具合が悪くなる。僕らにオキナワをかかえこむ力量はない。安保・基地の問題。核の問題。自衛隊の問題。差別の問題。

9月16日(土)

「Weep not, child」をようやく読み終えた。今、感動している。いい本なら、ちゃんと読めるんだ。今までは、つまんない本だから読めなかったんだと気づく。

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2013.10.13

過去の読んだ本の感想(シリーズ)5

10月13日(日)

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1987年
11月8日(日)

「人間というのは、本質的にむずかしい問題は、決してきらいではない。むしろ好きだといったほうがよい。(略)」(「文明の逆説」立花隆 p.244)

1988年
1月20日(水)

「苦悶するアフリカ 篠田豊」(岩波新書)を読んだ。これで僕はアフリカの地図を1枚手に入れたことになる。

2月13日(土)

月曜日から、「帝都物語」全11巻のうち、10巻まで読んだ。11巻目は附録のようなもので、何だか読む気がしない。

今、竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」(ちくま文庫)を読んでいる。ワクワクする。叫び出したい気分だ。私の悩みを解きほぐしてくれるようだ。

3月1日(火)

僕に届く言葉はあるのだろうか。山崎哲と芹沢俊介の討議集「子どもの犯罪と死」(春秋社)を読んでいる。共感できる部分が多い。

3月13日(日)

夕方、灰谷健次郎の「優しさとしての教育」を読む。僕の思想とはかみ合わない。都市を否定するから。ヤサシサにもなじまない。ただ、使いモノになるって言葉に衝撃を受けているOさんには共感した。今、ドストエフスキーを読んでいる。福武文庫の「前期短編集」だ。ドストエフスキーの中篇、短篇は、今ひとつおもしろくない。長篇はすっごくいい。この違いは何だろう。

3月17日(木)

小浜逸郎「学校の現象学のために」(大和書房)を読んだ。学校の内側で今何が起こっているのかを、これほど明確に語った人がこれまでにいただろうか。言葉が現実を見事にとらえている。僕らが無意識に抑圧している感情までも、適確にえぐり出している。赤えんぴつで書き込みをいれるという久しく忘れていた習慣をよみがえらせてくれた。

5月26日(木)

高野生(たかの・せい)「20歳のバイブル」(情報センター出版局)を読む。山崎がハガキでぜひ読めと言ってきた本だ。今イメージがあふれ出るように出てきて止まらない。書きとめておくか。いや、やめとこ。

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2013.07.01

過去の読んだ本の感想(シリーズ)4

7月1日(月)

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1987年9月17日(木)

『高校生のための 批評入門』(筑摩書房)

一匹の犬の死について J.グルニエ 成瀬駒男 訳

問い:「可能な程度」が「ほとんど無にも等しい程度」と言い換えられることによって、どんな変化が生じるだろうか。

作者ははじめ「可能な程度、自然に逆らうわけである。」と言おうとした。しかし、それは読む者に誤解されかねない。可能ならば、たとえ臓器移植をすることだってできるのだとしたら?そんなことに作者が感動しているわけではない。作者にとって、死に逆らうことのできない範囲内での、無力な看病こそが感動なのである。

無に等しい逆らいこそが人間の本性である。

解説。

人間の尺度では、最大限のあらゆる努力(臓器移植も含む)→可能な程度。
不死なる者の尺度では→ほとんど無にも等しい程度。

最大限がほとんど無に等しい。しかし無ではない。そのすきまに人間性はある。

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2013.06.09

過去の読んだ本の感想(シリーズ)3

6月9日(日)

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1987年9月5日(土)

『高校生のための文章読本』(筑摩書房)

1. 『ピエールとジャン』序文 モーパッサン 稲田三吉訳

設問:「燃えている炎や、野原の中の一本の木を描くにしても、その炎や木が、われわれの目には、もはやいかなる炎、いかなる木とも似ても似つかないものに見えてくる」(三・8)とはどのような状態をいうのだろうか。

解答:わたしたちは、ふつうに木を見る時、あらかじめ「木」という言葉にからみついている概念で見てしまう。しかし、実際に見ている木は、他のどの木とも異なる世界中でただ1本の木のハズだ。

だから「木」という概念をいったんよそに置いといて、見ている木そのものと対面してみると、その木が、いかに他の木とちがうかというその木の独自性が見えてくる。その時、その木は、「木」ではない。私が見ている、私だけの個別な対象である。

2. “夜と霧”の爪跡を行く 開高健

設問:「一度微塵に砕かれてみたいと思っていた予感」(七・16)とはどんなものであったと想像できるだろうか。

解答:言葉ですべてが表現できるという自信と、何も表現できないのではないかという不安が作者にはあった。そして「“夜と霧”の爪跡を行く」時、彼は完全に言葉を失なった。表現したいことがあるのに、言葉はなかったのである。

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2013.06.02

過去の読んだ本の感想(シリーズ)2

6月2日(日)

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1987年4月12日(日)

『先生 ご栄転ですか』(久志冨士男、青磁社)

腹の底まで、僕に絶望感を起こさせる。底辺校で働くには、パワーが必要だと言うのだ。僕にはパワーがない。

しかし不快感はない。真の教育者が書いた本である。自己の無力感におびえながらも、彼の正しさが実感できる。

1987年6月4日(木)

上野瞭著『ひげよ、さらば 上・下』(新潮文庫)

「ヒゲよさらば」のヨゴロウザの暗さ。そして1匹1匹がバラバラな猫たちの暗さ。そして、猫がまとまった時の暗さ。この物語は暗い。暗すぎる。

―この世界がすばらしいもののように思える日がくる。そのうちに、この世界を、どうしてすばらしいなどと考えたのじゃろうと思う日がくる。それから、この世界が、わしらの考えにおかまいなしにあるものじゃとわかる日がくる。―

世界を認識し、それに主体的に関わることは、不可能なのか。世界を認識するとは、世界が我々の考えとお構いなしにあるということを知ることなのか。世界は変えることのできないものなのか。

つまらない。

猫たちはまとまろうとする。その中で独裁者(ヨゴロウザ)が生れる。独裁者は、猫たちをまとめるために暴力に訴える。猫たちはまとまるどころか、憎しみ合うようになる。独裁者は、マタタビに走る。

すべてはヨゴロウザの夢の中。年老いたヨゴロウザが、若い猫に語り聞かせる物語。

まとまる必要があるのは、敵がいる時だけ。

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2013.05.19

過去の読んだ本の感想(シリーズ)1

5月19日(日)

これからは、読んだばかりの本の感想だけでなく、過去にノートやワープロに書いていた読んだ本の感想も載せることにしました。ノートだと紛失することもあるし、ワープロだとパソコンが壊れた時にバックアップを忘れてその間の記録がなくなったりします。実際、過去にそういうことがありました。ブログに残すことで、記録のバックアップ代わりになると考えました。かといって文章全部を書き写すのには手間がかかるため、とりあえず読んだ本の感想だけに限ることにします。まずは1981年4月3日(金)の文章より。

―原発ジプシー 堀江邦夫 現代書館

あらすじ

1978年10月から79年4月までの著者の原発労働者としての体験ルポ。美原、福島、敦賀原発を渡り歩く「原発ジプシー」を行った。

感想

堀江氏のルポを読んで初めて原子力発電所の実態がおぼろげながらわかった。私はこれを読むまで原発労働者のことを少しも考えていなかった。ましてや彼らが被ばくしているなんてまったく知りもしなかった。私は今まで何も知らされてはいなかったのだ。

もうだまされない。竹村健一をはじめとするニセ者のたわ言にはもう二度と耳を貸すことはないだろう。私たちが考えていかなければならないのは、原発以外のエネルギーを開発することではないだろうか。―

2012.12.25

再掲・エチオピアで過ごした20日間

12月25日(火)

ブログに書いたことはないのですが、とある手書きの文集に書いた文章を再掲します。1990年1月、今から約23年前に書いたものです。ブログだとわかりにくいと思われる表記については変えましたが、誤字脱字も含めて文章に変更はありません。当時、わたしは青年海外協力隊(JOCV)の隊員としてケニアで活動中でした。これは休暇中に当時、社会主義国だったエチオピアへ旅行した経験を綴った記録です。

―昨年の12月7日から26日までの20日間、エチオピアへ行ってきた。『アフリカ2つの革命』、『アフリカ33景』(伊藤正孝、毎日新聞社)の2冊をケニアで読んで以来、この国へは1度行ってみたかった。皇帝を倒しての社会主義革命をなしとげながらも、今なお内戦と飢えに苦しむエチオピア。その実情はどうなのか、ケニアにいてはさっぱりわからない。自分で行ってみるしかなかったのだ。

また、さいわいこの国には僕の酒飲み仲間が3人いる。ケニアで飲み足りない分を、エチオピアで思いっきり満たしたいという気持ちもあった。

僕の思いは十分に満たされた。何の連絡もしないで突然訪ねていったにもかかわらず、隊員H、J、Tの3人には、これ以上ないというくらいの世話を受けた。深く感謝する。 

1990年1月 Kituiにて


Ⅰ. アジズアベバ(ADDIS ABABA)

ボレ国際空港

アジスの郊外にあるこの空港に、僕を乗せたエチオピア航空の便が到着したのは朝の10時頃だ。入国のチェックを受け、荷物を受け取り、銀行でUSドルを換金する。1ドルがだいたい2ブル(ビル)である(闇相場では、1ドル≒6ブルときいた)。

外に出て、失敗したなぁと思う。ナイロビと変わらない日射しと気温だ。エチオピアは北半球にあるし、アジスは2400mの高地にあるのだから、きっと寒いにちがいないと、コートやらセーターやらを持ってきてしまったのだ。背中のフレームザックが急に重たくなる。

タクシーやマタツのような乗物が10数台、客引きをしている。でも1日は長い。のんびり歩いていくことにしよう。

日本大使公邸

JOCVのオフィスをめざして歩き出したはいいが、どこにあるのかよくわからない。出発前にMさんに地図を見せてもらったけど、ほとんどウロ覚えだ。このあたりだろうと見当をつけ、目をつけた子供に道をきいてみる。残念ながら、彼には英語もスワヒリ語もわからない。エチオピア人の共通語はアムハラ語(アムハリック)なのだ。しょうがないのであたりをウロウロしてみる。チャイナ!コーリャ!とあちらこちらから声がかかる。ふいにジャパン、ジャパン!という声。思わずふりかえると、数人の子供たちが、そろって空を指さしている。そこには日の丸がハタめいている。下には何やらでかい家がある。JOCVオフィスではあるまいと思いながらも門番に話しかけると、しばらく奥に引っ込み、日本人を1人連れてきてくれる。品のよい初老の人だ。わざわざ外に出て、JOCVオフィスの場所をていねいに教えてくれた。その人がエチオピアの日本大使だということは、あとでわかった。ここは大使公邸だったのだ。

JOCVオフィス

11時半頃、オフィスに着く。ずいぶん小さい。中にはいるとガラーンとして誰もいない。声をかけたら、奥から調整員らしい人が1人出てきたので、JOCVドミトリーの場所をきく。

「それはな、○○大使館があったらそこを左に曲がってまた右に曲がったすぐのとこや」

○○とはたぶん“日本”のことだと思い込み、再び歩き出す。いいかげん疲れてくる。そうこうしているうちに何やらだだっ広いところへ出てしまう。アジスの中心のようだ。広大な道路を車が走っている。右側通行である。どうやら道をまちがえたらしい。再びオフィスへ引き返す。昼2時頃、ヘトヘトになって到着する。

「日本大使館じゃなくてカメルーンエンバシィーや」と先の調整員らしい人に教えてもらう。今度は現地スタッフのガボさんにドミトリーまでついてきてもらう。5分でつく。

JOCVドミトリー

ケニアと比べるとずいぶん小さいドミトリーだ。隊員数は少ないし、アジス隊員が多いからちょうどいいのかもしれない。バス、トイレ、シャワー付、狭いながらもリビングルームがあってマンガもそろっている。ベッドルームは2つで、各部屋に4人ずつ寝ることができる。庭もあってなぜかヤギを飼っている。

新隊員が研修中なのと、新隊員・帰国隊員の歓送迎会が間近なのとが重なって、ドミトリーはにぎやかな最中だ。その中に同期のHがいた。まったくの偶然だった。彼は地方隊員なのだ。「なんで連絡しなかった」とさっそく叱られてしまう。

インジェラ

ドミトリーにいたIくんも連れてHと3人でエチオピア料理を食べにいく。インジェラはエチオピア人の主食だ。テフという穀物をひいて粉にし、練って発酵させたものだという。チャパティーのように、いやそれ以上に、うすく広くのばしてある。手ざわりはスポンジに似ている。味はすっぱい。その上にいろんな種類の肉や野菜がのせてある。手でスポンジをちぎり、おかずを包んで食べるわけだ。

朝から何も食べていなかった僕は、おいしいおいしいとこのエチオピア料理をたいらげてしまった。「最初からインジェラがうまいと言ったのは、おめえが初めてだ」とHが驚く。だが、それから10日もしないうちに、食えなくなるほどインジェラがいやになろうとは。

エチオピア人のあいさつ

エチオピア人は、両手で握手をし、日本人のように頭を下げ腰をかがめる。スタッフのガボさんや庭師とあいさつを交わしながら、僕はなんだかホッとするのだった。あいさつの言葉は一般にテナエステリンと言う。アムハリック(アムハラ語)では、ふつう男に対する時と、女に対する時とで言葉が変わる。あいさつの言葉も、男へはデナネシ、女へはデナネンというように言うことが多い。ついでながら、アムハリックには独自の文字がある。文字を持った民族には独自の個性があるような気がする。現代文明と調和できる、“現代”につながりうる個性といおうか。

ホンコン

同期のアジス隊員Jは、マンションの最上階・7階(日本式には8階)に1人で住んでいる。近くに中華料理店「ホンコン」があるので、隊員はこのあたりを「ホンコン」と呼んでいる。アジスを南北に貫ぬくチャーチルアベニュー。北の端には市庁舎、南の端には駅がある。「ホンコン」は、駅の近くだ。

僕はけっきょくホンコンでしばらくやっかいになることになった。その夜はさっそくドンチャン騒ぎだ。外出はできないことになっている。エチオピアでは夜間外出禁止令があるために、夜12時から朝5時まで出歩くことができない。特にアジスではJOCVオフィスの方針で隊員の日没後の外出はできないことになっている。今、アジスの治安はとても悪い。

J、H、僕の3人は、その分あびるように酒を飲み、エチオピアのこと、ケニアのこと、そして兄が亡くなり一時帰国中のTのことなどを語り合ったのだった。

エチオピアは社会主義国

アジスを歩いて、社会主義国に来たんだと実感するのは、まずは革命広場(アビオット スクエア)の前に立った時だろうか。巨大な絵が3枚掲げてある。まんなかには、国家元首メンギヒツを先頭に、旗をもってついてくる国民たちの絵。両端には、エチオピアの国旗の絵とマルクス、エンゲルス、レーニンの3人の顔が重なった絵がある。一昔前の一コママンガを拡大したようなこっけいな絵だった。

革命広場から歩いて10分くらいのところにOAU(アフリカ統一機構)の本部がある。その目の前には何と10mはあると思われる巨大なレーニン像が立っているのだ。タンザニアのウジャマー社会主義とは違って、ロシア型元祖マルクス=レーニン主義を掲げているだけのことはあるわいと、あきれるのを通り越して感心してしまったのだった。

革命広場の後方に革命記念館というものがある。いくつかの建物の中で1つだけ開館中だ。主に1920年代からのイタリアファシズムとの戦い、70年代のタクシーのゼネストから始まった革命の経過、74年の革命成立とその後の発展といった筋書きのようだ。皇帝ハイレ=セラシエが、飼い犬に巨大な肉の塊を与えている写真とやせ衰えた老人が食べ物を乞うている写真。皇帝のイメージを決定づけ、ついに帝政廃止にふみきらせた写真だったと思う。これらもしっかりと展示されてある。その頃よりは今はずっとよくなっているんだと言いたいらしい。本当だろうか。

アジス乞食とナイロビ乞食

アジスアベバはナイロビより広い。中心部は東京丸の内の皇居前に似ている。高いビルがあるわけではないし、走っている車もオンボロが多いけれど、道路や広場の広さに都市としてのゆとりを感じる。ジャカランダが美しい。またナイロビでは少し郊外に出るとすぐに草原が広がるのに対して、アジスでは郊外にも住宅がのびている。アジスの方が都市らしいと思う。外見的には。

しかしアジスはくさい。特にしょんべんの匂いが強烈だ。どこを歩いてもこのくささにつきまとわれる。歩道のまんなかにうんこが落ちまくっている。中にはとぐろを巻いた人プンもあるという。いや、人プンの方が多いところもあるそうだ。うっかり坐ったりしたら大変なことになる。

道端には、死体のような人間が、汚いかっこうでゴロゴロところがっている。そばでやっぱり汚い子供たちが遊んでいる。こちらに目をとめると寄ってきて「ファザー、ファザー」と哀れな声を出す。無視すると100mでもついてくる。しょうがないので「ゾルバ(あっちへ行け)」と言って追い払う。先を歩くと、3才ぐらいの子供が坐り込んで泣いている。この子はいつも同じ場所で、同じように泣き続けている。片方の目が目ヤニでふさがりかかっている。乞食の子である。足元には小銭(セント玉)がちらばっている。

アジスには乞食が多い。いきなり手をヌッとつき出してくるのもいる。肩をつかんでくる者さえいる。身体に障害のある者が目立つ。精神障害者も中にはいるのだろう。コーリャ、コーリャと言って、おばさんが意外に強い力で肩をつかんできた時は、思わず乱暴に払いのけてしまった。キーッと何か叫んでいたっけ。

これに比べるとナイロビの乞食は数も少ないし、おとなしい。「ニペ シリンギ モジャ」なんてかわいいんだろう。

ブンナベット

ブンナはcoffee、ベットはhouseだからcoffee houseだというわけではない。エチオピアのお姉ちゃんがお酒の相手をしてくれるところだ。奥の方には小さな部屋がいくつもあって、そこに宿泊することもできる。もちろんブンナやシャイ(tea)を楽しむところででもある。ところで「アンチコンジョーノシ」というのは「あなたかわいいね」という意味だそうで。

エチオピア美人とケニア美人

「アフリカ33景」にある画家水野富美夫氏が描いたエチオピアの女たちは本当に美しい。この絵のような女たちに会えるかもと期待していたが、残念ながら期待ハズレだった。でも確かに顔立ちは美しい人が多い。インド人に似ている。ハダは黒くて髪はチリチリだが。歯がスカスカの者が多いのは、エチオピアの水道水に含まれるフッ素のせいらしい。小柄で下腹が出ているのは日本人に似ている。でも日本人とちがうのは手足が細いところだ。足が細すぎるせいか、足首のくびれは目立たない。胸はでかいがたれ気味の者が多い。

ケニア美人には、くりっとしたかわいい瞳、黒光りするハダと真白ですきまのない歯、とがった胸、くびれた腰、しまった足首といった全体的な魅力がある。顔だけならエチオピアかもしれないが、全体としてはケニアの方がよい。

ついでながら、アジア人の中では、アオザイを着たベトナム美人が僕は好きだ。日本の美人はどっかアメリカナイズされたところがあって変だと思う。

虫、虫、虫…

アジスでバスに乗ったり、乗り合いタクシーを使ったりして、あちらこちらを回っているうちに、僕の全身は虫さされのあとだらけになってしまった。手足とベルトの上あたりが特にひどくて、全体では100ヶ所以上さされただろう。

それとハエ。アジスを歩いているとすぐにハエがまとわりついてくる。それも口元にとまる奴が必ずいる。目にとまろうとするのもいる。これにはウンザリだ。

自分では汚なくしている方が好きだと思っていた。しかしウンコ、おしっこにまみれ、ハエ、シラミ、ダニ、南京虫にとりつかれて生活するのはイヤだ。僕の汚ないもの好きは、きれい好きな日本人の中での相対的なものにすぎなかったのだと実感する。

JVC訪問

ケニアの新隊員Nさんに頼まれたこともあって、JVCのアジスオフィスを訪問することにした。H、J、僕、他に同期のOくんもいれて4人でアジスの東の郊外にあるオフィスへと出かけていった。JVC調整員で元マラウイ隊員の鈴木さん、谷村新司に似たエハラさん、その奥さん(?)と話をした。

JVCは日本のNGO(民間ボランティア)の一つである。正式には、Japan International Volunteer Centerという。1979年にタイでカンボジア難民の救援活動を始めたのがはじまりだ。エチオピアでは、1984年から北部のアジバールという地域で緊急医療救援活動を1年間、その後、植林をはじめとする総合開発プロジェクトへと引き継がれ、現在に至っている。ソマリアでもJVCによるエチオピア難民の救援活動が継続中だという。

とはいえ、現在、エチオピアの北部では激しい内戦が続いているので、スタッフは全員アジスへ引きあげている。このあと、再開の見込みはないそうだ。TPLF(Tigray People Liberty Front)軍と政府軍との戦闘がいつ終わるのかが問題だ。TPLF軍は9月頃、アジスの北百数十km地点までせまってきたが、政府軍に押し戻された。その後、ナイロビで、元米大統領カーターの仲介で、政府とTPLFの話し合いがもたれたが、けっきょく物別れに終わった。

北部では今400万人が飢餓状態にあると言われている。国民の間には厭戦気分が拡がっている。政府への不信感も大きい。こうなったらクーデターでも起こらない限りどうしようもないんじゃないか。僕らはそんな話をした。

『JVCアジバール病院』という本を読んでみると、彼らの悪戦苦闘している様が伝わってくる。劣悪な環境の中で、人間関係がぐちゃぐちゃになりながら、また身体をこわす寸前まで働きながら、彼らはなぜ自らの仕事を投げ出さないのだろう。人間の意志、意地、そんなことについて考えさせられてしまう。

エハラさんはその後TPLFの様子を探るために北部へと出かけていった。12月の末に彼は日本へ帰っていった。


Ⅱ.ジンマ(JIMA)

バスターミナル

早朝6時、Hと僕はジンマ行きのバスの横に立っていた。前日運転手がさぼったためバスが出発しなかったから、2日連続の早起きだ。2日酔いも何日続いているかわからない。ジンマ行きの許可をえるのに意外と手間取ったこともあって、今日ようやくHの任地・ジンマへ行けそうだ。

ジンマは、アジスの南西340kmの所にある人口7万人の町である。ここへ行くためには朝早く起きるしかない。朝のこの便がジンマ行きのすべてだ。これは、他の地方に行く時にもだいたいあてはまる。

運転手とその相棒がやってきてもバスはあかない。出発直前までバスの横で立ちっぱなしだ。エチオピア人は、知り合いがいるとかまわず列に割り込んでくる。前の列の知り合いに声をかけ、いつのまにかその隣に並んでしまうのだ。

乗り込む時も先を争うように、人を押しのけながらだ。見送りの者もいっしょにバスの中まではいってくるので、ほとんどパニック状態だ。席の分しかチケットはないハズなんだから、そんなにあわてることはないと思うのだが。

朝8時頃ようやく出発する。着くのは夕方になるだろう。先日からの疲れのせいか深い眠りにおちる。途中、1度目が覚めてからは、浅い眠りのくりかえしだ。いくつものチェックポイントがあり、乗客が降りては乗り、狭い道をくねくね曲がり、リフトバレーの底まで降りてまた昇り…気がついたらジンマについていた。

ジンマの町

ジンマはコーヒーの産地なので、不便な土地にもかかわらず人口が多い。町を歩いてみる。どこを歩いてもブンナベットばかりだ。観光客ではなく、地元の人間が利用しているという。

そしてここにも乞食の群れ、チャイナ、コーリャと呼ぶ声、ハエとウンコ、小便のにおい、あいかわらずだ。1度、歩いている時、金持ちのお坊ちゃんぽい集団とすれちがった。そのうちの1人がコーリャ!とあごを突き出すようにして叫んだ。あきらかにバカにした顔つきだった。エチオピア人は、どうも、中国人や朝鮮人をバカにする傾向がある。彼らはエチオピアへ技術援助に来ているハズなのにどうしてだろう。

日本人はどうか。エチオピアでは、ジャパン!とバカにしたように叫ぶ人間とは出会わなかった。あまり知られていないからかもしれない。では、ケニアではどうだろうか。

ジンマ農業カレッジ

Hの家はこのカレッジの構内にある。メイドを入れて3人のエチオピア人と同居中だ。Hは農業機械隊員としてこのカレッジで働いている。いい機会なので構内を案内してもらう。

草地の方では学生が草刈りと牧草の運搬をやっていた。これも実習の1つで、労働のつらさを理解させるためのものだそうだ。ここの学生は卒業後、各地の農業改良普及員として村の中で活動することになる。でも2年間のつめこみ教育ではどうしても表面をなぞるだけに終わってしまうとHは嘆いていた。

エチオピア人のスタッフから、実験室を見せてもらう。さすがにカレッジだけあって整っている。ただ、あまり使われていないようだ。革命前のアメリカからの輸入品が目についた。8月にカミナリが落ちてこわれたという窓ガラスもそのままであった。

エチオピアの歌

バスの中やブンナベット、ホテルでは、エチオピアの歌がひっきりなしにかかっている。どちらかというと静かな曲が多い。同じ節回しがくりかえされる。日本の演歌と似ている。そのせいかエチオピア人は、日本の演歌も好きだ。ジンマホテルで食事をした時は、森進一の曲がかかっていた。歌詞のはいってないものが好まれているようだ。

強制移住の村

ジンマにはないが、エチオピア南部のスーダン国境やソマリア国境あたりには、北部から強制的に移住させられた人々の村があるそうだ。政府の政策である。政府によれば、北部は砂漠化して人が住めなくなってきたので、希望者だけを南部の豊かな土地に移してそこで生活してもらおうというつもりだそうだ。しかし、この政策は政府の戦略の1つだという説の方が有力だ。TPLFのゲリラ活動には村人の協力が不可欠である。村人がいなくなればゲリラ活動はできなくなる。そこで…というわけだ。

そうやって移住させられた人々は、野生動物の多い、厳しい環境の中でいったいどのように暮らしているのだろう。この目で見てこれなかったのが残念だ。


Ⅲ.アジスふたたび

ローコスト

アジスに職場のある隊員が固まって住んでいる地区が、アジスの東のはしっこにある。この地区を隊員はローコストと呼ぶ。low costの意か。

新隊員、帰国隊員の歓送迎会では、みやげもなしで参加して、大騒ぎをしてしまったこともあって、足が遠のいていた。しかしローコストの住人の1人であるTが日本からもどってきたので、もう1度お邪魔することにする。

Tの人徳かはたまたみやげの荒巻きジャケに引かれたのか。日本食パーティーには、ほとんどのアジス隊員が集まってきた。なぜかケニア隊員のKさんもいた。

レーシングゲーム

酒を飲んでひとしきり盛り上がったところで、突然、レーシングゲーム大会が始まった。子供の頃に熱中した例のアレだ。妙なものがはやってるなと内心思いながら、レースに参加してみると、これが意外と難かしく、またおもしろくもあり、熱中してしまった。特に50周の耐久レースがすごかった。途中でコースをはずれては拾いに走り、コードは抜けるは、他の車にぶつけるはで、こんなに無邪気に遊べるゲームもそうはないだろう。

エチオピアの隊員は男ばかりである。大の男がガキの遊びにバカさらして熱中できるのはそのせいかもしれない。男だけというのもいい面がある。

北の国から

ローコストにビデオがあった時、「北の国から」というTV番組を最初から'89冬まで観ることがはやったという。Jは特にかぶれていて、会話のはしばしに「北の国から」のセリフがとびだしてくる。千葉か埼玉出身のハズなのに、北海道弁がポンポン出てくる。聞いているこっちが気恥ずかしくなる。

バリバリ伝説

アジスには、「バリバリ伝説」がほとんどそろっている。「ギャンブラー自己中心派」「アキラ」は全部、「こちら亀有…」も何冊かある。「夏子の酒」第2巻があった。

ケニアには、「ブラックエンジェル」「コブラ」「ガラスの仮面」「めぞん一刻」「ドカベン」「ダミーオスカー」ってところか。国によってずいぶんとちがうものだ。エチオピアがバリバリ伝説ならケニアはシャコタンブギかなあ。

マルカート

アジスにはアフリカ最大の市場といわれるマーケットがある。マルカート。マーケットのイタリア語読みであろう。

2度ほど歩いてみたが、人ゴミがすごいのと、あまりの広さに、ついに全体像がつかめずじまいであった。ある一画ではチーズ類・穀類だけが売られ、別の区域では布製品、また別のところでは革製品というように、とにかくスケールがでかい。アジスには何でもあると言いたくなる。

エチオピアは社会主義国だから、マルカートはブラックマーケットとして取り締まりの対象となるハズだが、実際は逆に政府から保護されている。自由市場がかろうじてこの国を支えているからである。

それにしても人が多い。久保田早希の「異邦人」を思い出す。

―市場へ行く人の波に体をあずけ、行きあたりの街角をユラユラと漂う。―

エチオピアの子供たち

エチオピア、特にアジスでは、働いている子供が多い。売り子や靴みがき、宝くじ売りをしているのは、ほとんどが5才~10才くらいの子供たちである。彼らはもちろん小学校にも行っていない。彼らの夢は何か。Jは言う。

「あいつらの夢はマルカートに店を持つことさ。でも、靴みがきにしてもその仕事を得るのがまた大変なんだ。あいつらはだからけっこうしたたかだよ。商売のやり方がうまいのには感心するね」

Hは言う。「奴らは礼儀ってものを知ってるよ。おれたちが今になっても身につけていないものを、奴らはあんな小さな頃から持っているんだ」

彼らには夢がある。でも彼らの未来は絶望的だ。多くの者が病気や飢えで死に、残った者も大部分が乞食になるだろう。

エチオピアという国がこれからどう変っていくのかが問題だ。今のエチオピアには、物があり余っているように見えるアジスの中にさえ、乞食があふれかえっている。背広を着た少数のエチオピア人が、そのわきを通り過ぎていく。

この図式は、ケニアには一見あてはまらない。しかしナイロビ人口の三分の一がスラムの住人であることは事実だ。僕たちの目にそれは見えない。エチオピアでは簡単にスラムにはいることができた。ケニアでは、スラムは恐いところだから行っちゃいけないよと忠告される。ケニアでは貧困が巧妙に隠され、僕たちの目には見えなくさせられているのだ。でも例えばナイロビ乞食がどこへ帰っていくのか、そのあとをついていったら、案外エチオピアと似たような現実にぶつかるかもしれない。

日本はどうだろう。日本の子供たちに未来はあるのだろうか。僕たちに日本の現実は見えているのか、見えなくさせられてはいないか。

エチオピアへ行ったからといって、別に自分が変わったとか言うつもりはまったくないが、いろいろ考えることができたのはよかったかもしれない。苦しいことも多かったけど、ふりかえればやっぱりなつかしい。行ってよかったのは確かだ。―

(終)

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