2019.08.07

36年前に書いた文章

8月7日(水)

今年の正月に実家に帰省した時に自分の本や書類を整理した。その時に学生時代(1983年5月、21歳)に書いた手書きの文章の載った文集を見つけた。それをデジタルな記録としてブログに残しておこうと持ってきたのだが、書き写すタイミングを失っていた。意を決して8月3日から作業を始め、今日ようやく書き写しが終わった。ブログ用に表記を若干変えたが、誤字脱字はそのままである(書き写す過程で生じたであろう誤字脱字については気がついたら随時書き直していきたい)。

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屋久島に生きる

はしがき

吉里吉里人は眼(まんなご)は静(すんず)かで鼻筋(はんなすづ)と心(こんごろ)はァ真っ直(つ)ぐで顎(おとげえ)と志(こんごろざす)はァ堅(かんだ)くて唇(くんずびる)と礼儀(れんぎ)はァ厚えんだっちゃ…。屋久島について書こうとするとどうしてもこのフレーズを思い出してしまう。井上ひさし「吉里吉里人」にある吉里吉里国歌である。

1982年夏にサークルで屋久島に行って、屋久原生林保護問題について調べる機会があった。話をいろいろお聞きしている中でおもしろいことがわかってきた。鹿児島に戻ってから新聞・本などを読んで、今、ひとつの結論を出している。それは、屋久島を独立国にしたがっている人たちがいて、ひょっとしたらありえないことではないということである。正確に言うと、種子・屋久文化圏が独立するかもしれないのだ。わたしがなぜそう思うようになったのか。それを今から述べていくつもりである。ただ、これから述べることは、別に独立の可能性について科学的・実証的に論じたものではない。屋久島が独立するかもしれないとわたしが思うようになった屋久島での体験、わたしが現在知り得ていることをほぼ生のままだすことになるだろう。

字句の用法の不正確さ、書いた本人のいいかげんぶりもあって何を書いているのかよくわからないものになってしまった。それでも読んでくださる人には、「どうもごくろうなことで…」と言うしかすべはない。

1983年5月 鹿児島の四畳半にて

I. 屋久島に国有林が生れてから

ここでは大山勇作氏の「屋久原生林からの告発」をもとに述べていくことにする。

屋久島の山のほとんどが国有林になったのは、明治初期の地租改正の時である。この時は「官山」と呼んでいた。島民所有のままであるよりも、その方が無税ですむということで島民は納得した。江戸時代までは、島津氏の統治下にあったとはいえ、小杉谷地区が御領山であっただけで、島は島民のものだったのである。

しかし、明治19年に林区署が置かれると、枝1本伐っても盗伐ということになった。今までどおり木を伐ってもよいようなことだったのにこれでは話が違う。明治32年に官山下げ戻し法が成立したのを期に島民は下げ戻しを申請した。けれどもそれは却下された。そこで明治37年に行政訴訟に踏み切った。16年間もの訴訟の後、大正9年、島民側が敗訴した。

だが、再訴訟の動きがその中で活発になり、島民の対立が起って島内に不穏な空気が流れた。結局は大正10年に協議和解が成立し、島民は屋久島憲法ともいう「屋久島国有林経営の大綱」を得た。いわゆる官民共有林制度が日本で初めて誕生したのである。

翌年、第一次施業案が出された。そこでは「ヤクスギ(枯木立を含む)は禁伐とし、伐株、伐倒木のみ採材する」とされた。しかし昭和8年には「ヤクスギの生立木の伐採は避ける。瀕死木は伐採」、昭和18年には「ヤクスギの伐採はしない」と変っていき昭和28年にはついに「ヤクスギの伐採について特記なし」となった。こうしてヤクスギは、皆伐方式によって、原生林の破壊のなか伐採されていく。

現在では、小杉谷地区は「ヤクスギの墓場」と形容され、上屋久営林署は近いうちに閉鎖されるかもしれないと言われている。

 

Ⅱ 屋久島を守る会

1. 兵頭昌明氏

-オレたちが屋久島を守る会を結成しようと決めたのは大学時代、東京にいた頃だ。3人の仲間と、あんだけ杉を伐りまくっているのになんで島の生活は豊かにならないのかって話をしたんだ。こりゃ何かカラクリがあるにちがいないってね。

-安保世代ですね。

-そうです。あの頃の重さをひきずって生きていますよ。

「屋久島を守る会」の前会長で上屋久町議会議員である兵頭昌明氏を訪れたのは、8月3日の夜のことだった。現在41歳、一湊に住む。

「屋久島を守る会」の前身は「屋久の子会」である。東京在住の屋久島高校出身者の親睦団体として、昭和38年に発足した。初代会長は兵頭氏であった。やがて彼らの耳に屋久原生林乱伐のことが聞こえてくるようになる。昭和44年、兵頭氏は数人の会員と共に屋久島へ行く。原生林保護の声が全国的に高まる中で、どうして島内から声が出ないのか、という疑問のためである。ところが逆に地元の人にやりこめられてしまう。彼らは、「島に住まねば、なにもものは言えない」ことを痛感する。昭和45年に会員の柴鉄生さんが帰島したのを最初に、屋久の子会の会員が続々と帰り、昭和46年春、兵頭氏も帰島した。昭和47年、屋久島を守る会が発足した。その後の屋久原生林保護問題は、屋久島を守る会を中心に展開してきたのであった。

昭和49年のことである(50年かもしれない)。自然環境保全審議会が、原生自然環境保全地域の候補地である屋久島の視察に来た。ところが地元の案内者は、乱伐がもっとも進んでいる場所を避けようとした。これを知った兵頭氏ら屋久島を守る会の会員は、そんなことは許されないと立ちあがった。審議会のメンバーを乗せた車が林道(どこのかはわからない)を登っているところへ彼らはトラックで乗り込んで追いかけ阻止した。朝日新聞などのマスコミ連中も遅れてはならぬと大挙しておしかけた。熱気のこもった雰囲気の中で話し合いがもたれた。結局、審議会のメンバーの一人である荒垣秀雄氏が「君たちの言い分はよくわかった。もう一度視察コースを検討しなおすことにしよう」と言ったことでどうにかその場は収まった。この後審議会は、屋久島を守る会の主張した地域も視察することになったのである。そして、屋久島は、日本で初の原生自然環境保全地域となった。

ーいろいろやりましたよ。オレたちって、考えるよりも先に突っ走ってしまうんですよね。

と言って笑う兵頭氏は、ある面では、わたしとさほど変わらぬ年齢であるかのようである。町議会議員とは思えぬ稚気あふれた人という印象である。人なつっこい笑顔と澄んだ瞳を今でも思い出すことができる。

彼は、中央気象台の羽田空港分室に10年間勤めた。ちょうど10年経ったその次の日に上司に辞表を提出し、「きのうでちょうど10年勤めましたので、最初の予定通り島に帰って別の仕事をします」と言って屋久島に戻った。それからさらに10年が過ぎた。兵頭氏はたしかに島で「別の仕事」をし続けてきた。でも、これからはさらに別の仕事をしていくのだろう。彼は、わたしに「種子・屋久独立論」を話してくれた。種子島、屋久島、口永良部島がまとまれば独立はできる、と言う。少しぐらいは貧しくなるかもしれないが、それでもかまわないと言った。おそらく彼は自分の夢の実現のために活動していくことだろう。

2. 屋久島を守る会の理念

屋久島を守る会の会長は今はいない。代表として長井三郎氏がいる。なぜ会長をしないのかという質問に「オレはみんなの上に立つ『会長』であるよりも、みんなの声を代表する『代表』でいたい」と答える、その彼が言う。

-この島にオレはずっと住み続けたいと思っている。もしかしたらオレの息子が林業をやりたいと言い出すかもしれない。友達にも営林署に勤めているものがいる。その中でオレが自然保護運動に関わっているのは、ただ木を伐るなと言うためではない。どう伐るのが屋久島に住む者にとってよりよい方法なのか、何が屋久島にとってよいことなのかを考えてのことなんだ。

同じようなことを柴鉄生氏も新聞で述べている。

-屋久島の山は島民みんなのものという観点に立ち、島民同士対立するのではなく、本当に島民のためになる国有林経営のあり方を探っていく必要がある。

これがおそらく現在までの屋久島を守る会の理念であろう。第二次世界大戦の後(Ⅰを参照)、営林署は、屋久島の国有林を皆伐方式で乱伐し始めた。一本々々が高価であるヤクスギが島外に大量に流出した。なのに島民の生活は少しも豊かにならず、かえって過疎化が進んだ。乱伐が原因である山崩れ、洪水が何回も起こった。林野庁のやり方に疑問を抱き、このまま中央の言いなりになっていてはたまらないと自然保護運動を起す人がいるのは当然であろう。おそらく彼らは、自らの手で政治を行いたいのだ。“よそ者”に島の生活を左右されることは耐えがたいことなのであろう。種子・屋久独立論が出てくるわけである。

3. 日吉眞夫氏 

日吉氏と会ったのは、楠川の恵命堂という製薬会社の敷地内にある山本秀雄氏宅においてであった。山本氏から話をうかがっている時に、日吉氏のことが話題になった。会うつもりですと言うと、電話で呼んでくれるという。あとで近くの食堂で食事をおごっていただいた時に電話をしてくださった。ところで山本氏は文献収集を趣味とする60歳を過ぎていまだ(今は、かもしれない)ひとり暮らしという人である。彼からは多くの文献を見せていただいたけれど、あらかた忘れてしまった。せっかくの御厚意を生かせなくて悪いことをしたとは思うが、このまま話を続ける以外しかたあるまい。

日吉氏は屋久島で生れ、育った人ではない。かつては東京に住んでいたようである。約8年前、兵頭氏に呼ばれて家族とともにこの地に来た。なぜ兵頭氏が彼を呼び彼がそれに応えたのか、断言できない。でも、たぶん、種子・屋久独立のために彼は来た、とわたしは思う。

彼と話をしていると、やがてこの人はただものではないとわかってくる。無表情である。目は仏像のように半分だけ開いているよう。張りのある低音、論理的な言葉。流暢な東京語。40才代の半ばぐらいか。

-屋久島の自然保護運動の根本の理念についてお聞きしたいのです。

ー「屋久島は御神体である」という恵命堂先代の社長とその周囲の人々の思想が中核にある、とわたしは思います。

ーでも、僕が調べた限りでは、日吉さんの言うことには疑問を感じます。なぜなら、縄文杉、これは「御神体」というか、まあ「御神体」の中でももっとも聖なるものですよね。でも、縄文杉でさえも屋久島の人々のためになるのだとしたら切ってもかまわないという意見を聞きました。

-「御神体」は、自然の「生命」とも言い換えられるでしょう。これは無意識に近いものなのですが、屋久島で自然保護に関わって発言している誰にでも、自然の「生命」を守っていきたいという感情が流れています。

-そうでしょうか。でも屋久島の富をこれ以上流出させてはならないとか子孫に美しい自然を残したいとか何ていうかもっと利害に関わることが根本にあるんじゃないでしょうか。

-利害よりももっと人間の存在自体に関わることが根本です。人間が生きていく上で何が大切か。自然の「生命」である。人間が人間らしくいきるためには自然の「生命」が必要なのです。だからどうしても自然の「生命」を守りたい。これが根本にある感情です。しかし、この感情が表に出る時は、利害に関っているように、理論的、政治的なものにならざるをえないのです。

-具体的にどう表現されるのですか。

-例えば、「生態系のバランスを崩してはならない」とか「屋久原生林を伐採すれば平地の集落が土石流にやられる」また、あなたのおっしゃった「屋久島の富をこれ以上流出させてはならない」などもあります。

-なぜ、理論的、政治的にならざるをえないのでしょう。

-自然の「生命」を守るために、です。

日吉氏との会話はどこかかみ合わず、もどかしい思いであった。このつかみどころのない人物のどこをつつけばいいんだ。

-現在、「屋久住民の生活を守る会」というのがあって、「屋久島を守る会」と対立した立場にありますが、こういった林業関係者の生活者としての声に対して日吉さんはどう見ておられるのですか。

-今のような切り方では屋久島には切る木がなくなります。だから、このままでは林業関係者は遅かれ早かれ失業するでしょう。

-切り方が問題だと言うのですね。

-そうです。どう切るのが良いか手遅れにならないうちに考えるべきです。現在の伐採問題には2つの要素があります。一つは、何百年もの間、自然を(自然の「生命」を)守っていけるよう考えなければならないということ、もう一つは、切り方を考えていく期間に失業する人に対策を施さねばならないということです。みんなが納得のいくような論理が必要です。それから「屋久島を守る会」と「生活を守る会」とは、まっこうから対立しているとは言えないとわたしは思います。彼らの底を流れている感情は、自らの生活と自然の生命との調和を望んでいる点ではなんら違いはないのです。

わたしたちは、それからしばらく沈黙した。わたしはうつむいていて視線をあちこちに移して思考の中に沈み込もうとしていた。やがて日吉氏がポツリと言った。

-わたしの話は、あなたのお役に立てなかったようですね。

-いいえ、ぼくの聞き方が悪いのです。屋久島に来て何人かの人に会って話をうかがいました。どうして会う人ゝがこんなにすぐれた人たちなのだろうと不思議でした。ぼくには彼らが何かやろうとしていると思え、何を考えているのかを聞き出そうとしました。でも聞き方が悪いために、誰からもハッキリした考えをお聞きできないのです。何かあるハズなんだ、この島には。

(日吉氏はぼくの言うことをただ)黙って見ているだけだった。*注:( )は字がかすれてわからないため推測で加筆。

4.これからの「屋久島を守る会」

「屋久島を守る会」は、発足以来、屋久杉を伐るなと主張し、精力的な活動を続けている。これからも彼らは自然保護のために運動していくだろう。

彼らは「自然保護」を活動の目的とした。1982年も、林野庁の第四次施業案に問題があるとして運動を展開した。上屋久町と環境庁が保護の側に、屋久町と林野庁が伐採する側に立ち話し合いが続いた。鹿児島県も間に立って、妥協案が出された。やがて8月23日、環境庁は国立公園の区域を千ヘクタール拡張し、すでに指定を受けている区域2650ヘクタールについても保護を強化すると発表した。この(ことによって、瀬切川流域の屋久杉は)当面禁伐ということで一応解決した。 *注:( )は字がかすれてわからないため推測で加筆)。

ところで「屋久島を守る会」とは、自然保護団体であろうか。もちろんそれもあるだろう。「当面」禁伐である瀬切川流域が再び伐採ということになれば彼らは反対運動をするだろう。しかしそれなら、別に「屋久島を守る会」にしなくても「屋久原生林を守る会」とすればいい。

-どうして「屋久島」を守る会としたのかと言えば、オレたちが、自然保護だけでなく、屋久島のために運動をしたいからさ。

と代表の長井三郎氏は言った。これから屋久島にどういう状況が起り、その中で彼らがどう行動していくのか。

わたしたちは、ここで一人の人物と出会うことになる。この人と屋久島を守る会とが、屋久島をこれから変えていくだろうと調査の過程でわたしは思うようになった。

山尾三省氏。次に彼のことを述べていく。

 

Ⅲ. 聖老人に祈る

1. うわさ

白川山にヒッピーが住んでいるという話を聞いたのは、8月1日わたしたちが屋久島に来た最初の夜である。一湊の人から聞いた。白川山は「しらこやま」と言う人もあれば「しらかわやま」と言う人もある。

一湊から歩いて50分くらいのところにある。話によると数年前から集まってきているという。一湊海水浴場でテントを張って店を開いているヒッピーもいるという。本を書いている人もいるそうだ。おもしろそうだな。わたしは興味を覚えた。

8月3日に、一湊に住む学者永里岡氏に会った時にこのことを話すと、彼は「ヒッピーというのは失礼だよ。山尾さんは詩人であり、百姓、信仰者なんだ」と言って『聖老人』という本を見せてくれた。この時に山尾三省という名を知った。

兵頭氏宅にて。兵藤昌明氏「一見おどおどして頼りなさそうだ。でもとても心が優しくて、絶対に人を傷つけることはしないし、誰とでも会ってくれる。安保(60年安保)の時に全学連の委員長をしていたんじゃないかと私は思う。彼は何も言わないけどね」。兵藤千恵子さん「あの人は仏様のような人です」。

日吉氏との会話の中で。「彼とのつきあいは10数年になります。わたしもかつては白川山に住んでいました」。

後に出てくる白川山の住人安藤氏に尋ねたら、「彼は素晴らしい人だ。ただ、今は周囲の人に遠慮しすぎてひかえめな発言しかしていない。オレは時々はがゆくなることがある。」と言った。

南日本新聞を読んでいる仲間の話では、夕刊に時々寄稿しているという。それで一部読んでみたら、現代文明の批評めいたことを書いていた。

2. 白川山の住人との出会い

わたしたちは、一湊の青少年研修センターで合宿をしている。

昭和2年に建てられ、現在は使われていない測候所を「センター」と名づけている。

ある夜のことであった。わたしたちはトランプをしていた。ふいにあたりの空気が混乱を始めた。悲鳴が起こった。窓の外にあるヘイの上に生首がのっていた。

それが白川山の住人、安藤氏との出会いだった。彼は、酒に酔って窓からはいってきたのである。ひげを長くのばし、目がすわっている。

入り口の方からゴメンナサイと言って困りきった表情の女の人がはいってきた。安藤氏の奥さんで、ヨシエちゃんと安藤氏は呼んでいた。「あんた!はやく帰りましょうよ」「ヨシエちゃん、ちょっと待っててね」

彼らの会話は、なんともほのぼのしたものだった。わたしたちは、なんなく彼らのペースにまきこまれてしまった。彼は、いろいろな話をしてくれた。今24才、白川山で生まれ育ったという。高校卒業後、茨城県の東海原子力発電所(かな?)に就職した。彼は原発労働者がそこでどんなめにあっているかを語った。

原子炉に入った左官屋の左半分がまっ黒になったこと。とてもじゃないが長く勤めるところじゃないと帰ってきたそうである。現在(1982年8月)、電気屋をしている。「オレたちは、毎年台風が来ると大岩がゴロゴロと流れる白川流域に住んでいる。川のことを知らずして生きていくことはできない。守らねばならぬ人を守ることもできない。これが生活するってことなんじゃないのか」「表面だけを見てはならない。ホンモノを見るんだ。屋久島に来たのならほんのわずかな時間でいいからホンモノを見てほしい」と彼は言う。

奥さんは熊本の人。屋久島に来て安藤氏と出会い結婚した。

白川山に一度来てほしい。そうすれば自然とはどんなにすばらしいものか、その自然がどんなに破壊されているかがわかる、と言った。いい夫婦だと思う。

3. 山尾順子さんとの出会い

仲間と二人で白川山に向う。吉田へ行く途中にあるトンネルの手前から行くという遠回りをしてしまう。道を教えてくれた人がそっちの方を教えたからである。暑くてたまらない。近くを流れている川の音がきれいで涼し気だ。しばらく川で水浴びをすることになる。

白川山をめざして舗装された林道を歩いているとやがて小さな家が見えてくる。はっきり言えば掘っ立て小屋である。最初に見える2軒のうち右側にあるのが山尾氏の家である。女の人が子供といっしょに外にいる。「山尾さんはおられますか?」と言うと「サンセイは今、宮之浦に行って留守よ。5時ごろ帰る予定なんだけど…」と彼女は答える。山尾順子さんだ。わたしたちのことは兵頭千恵子さんから聞いていたと言う。シナモンティーとおかしをごちそうになる。外で食べた方がいいよって彼女が言うので道端に座り込んで食べる。

しばらくとりとめもなく話をする。わたしたちが屋久島に民俗調査に来ていること。山尾さんが今していること。彼女は兵頭千恵子さんと子供文庫を共同で設立していて、できればそれを測候所に移したいということ。西ドイツの女流作家の本を最近読んで感動したこと。「とてもファンタジックだったわ」と言う。

彼女の声は岸田今日子のに似ていて、聞いていると頭がボーッとしてくるようだ。もっと話をうかがいたかったものである。しかし、山尾三省氏が留守であるために、家の中で待つよりも川で涼んできたらとすすめられたこともあって川へ行く。大きな石がゴロゴロしている。実に涼しい。そしてきれいな水。思わず頭をつっこんで水をがぶがぶ飲む。それから、生れて初めて川の上で本を読み、6時近くまで時を過す。でも山尾氏は帰ってこない。また来ることを約束してわたしたちは白川山を後にする。

ヤギがいる。ニワトリがいる。人が生きている。赤ん坊の明るいこと。恐れるものは何もないって無邪気さ。ヤギにエサをやっていた。2才くらいの子供。大自然の寵児。この子はこれからスクスクと大らかに育っていく。

4. 山尾三省氏との出会い

「ごめんください」と言って入り口の戸をあけて中にはいると、中学生くらいの男子がいたので、「すみませんが、山尾三省さんはいらっしゃいませんか」と言うと、「お父さん、お客さんだよ」と言ってとりついでくれ、山尾氏は1時間くらいなら話ができるとわたしを部屋に呼んでくれた。山尾順子さんもいた。ヤギの乳をごちそうになった。ねばっこくて冷たかった。

-ぼくたちのサークルは、民俗研究会というのですが、調査の時は常識はずれな訪問をするんです。つまり、電話もせずにいきなり行くんですね。それで山尾さんにもそうしたのです。

-おもしろいですね。僕もそういったことは好きですよ。それで、その人がいなかったら?

-その時は帰ればいいのです。ぼくは下宿生活をしていますが、友達の家に行く時に別に電話をかけはしません。とうとつに出かけていきます。いなけりゃいなくてもいい。

-ふむ。

わたしたちは、こんな風に話を始めた。わたしは、彼が信仰しているという聖老人とよばれる杉についても、自然保護についてもあまり話をする気にならなかった。ただ山尾三省という人間そのものを知りたかった。わたしはそれだけに神経を集中し、言ってみれば「対話」をできるように心がけた。

-山尾さんは、自己の思想をどのような形で実践されているのですか。

-そうですね。僕のやろうとしていることは、現代文明というある一つの大きな流れとは別の流れをつくりだすことです。具体的には、有機農業を試みています。

もの静かで、小柄で、とくに笑顔に魅力のある人だった。その人がそばにいるだけで心がやすらぐ、そんな人だった。そういう人に出会ったのは生まれてはじめてだった。「オレとは正反対の人間だな」とわたしは思った。

山尾三省。昭和13年、東京・神田に生まれる。昭和35年早大中退(文学部西洋哲学科)、権力否定、財産共有、共同労働の思想に従い放浪。昭和48年からインド・ネパールを1年間巡礼した。昭和52年、家族と屋久島に移住。農業と文筆業にいそしむ。(南日本新聞。昭和57年1月1日)。

彼の経歴を読んでいくと、60年安保を体験した人であることがわかる。実際、彼の本を読むと、1960年6月15日に国会に突入したらしい。

正直なところわたしは学生運動についての知識をあまりもたない。だから、昭和35年、大学をやめたころ山尾氏が形成しつつあった思想が、学生運動とどう関わっているのか、よくわからない。にもかかわらず、わたしは、彼が兵頭氏と同じように、いや、それ以上に「安保」の重みをひきずって生きているように思うのだ。

ここで本当は、ヒッピーについて論じたいのだ。山尾氏のインドへの傾倒や共同体を創り出そうとする志向は、ヒッピーと共通する部分を多くもっている。だが、いざ書こうとしたら、実はわたしには山尾氏とヒッピーを比較するほどの知識がないのだ、と気がついた。残念である。

「対話」は、さらに続く。さっきも書いたように、わたしは、山尾氏という「人間」を見たかったのであり話の内容よりもそれに対する山尾氏の態度の方が問題だった。というのも、変革する人は、変革される側よりも倫理的に高くなければならないと信ずるからである。1.うわさのところで、兵頭氏や夫人の千恵子さんが言ったことに対してわたしは思わず「そんな人がこの世にいるなんて信じられないな」と言った。ところが本当に「そんな人」がいた。「そんな人」とわたしは話をしていた。

-ぼくの大学は、九州における革マル派の最大の拠点だと言われています。彼らは、文系サークルを統一する自治組織である文連協を組織しています。文連協が今活動の中心においていることは、大学側から文系サークルの予算編成権を奪いとることです。かつて学生は、学友会を組織し、予算編成権どころか予算自体をもっていました。それが10年くらい前に大学側がそこんところはよくわからないのだけれども、「今は学生にまかせられる状況にないので一時あずかる」ということにして、そのままになってしまったのです。ぼく自身は今の闘いに疑問をもっています。つまり権力を奪いとることに意味があるのだろうかと思うのです。

-学生が本来もつべきものを取りかえそうという運動なのだから、意味がないとは言えないでしょう。僕は権力を否定するものですが、それに変わるものとして「秩序」を考えています。あなたの大学の革マル派の人たちがしていることは、僕の言う「秩序」を取り戻すことなのではないでしょうか。

-うーん。そうですかね……そうか。

さっきから脈絡のない書き方をしている。わたしの記憶がハッキリしないので話の順序もデタラメである。ただ、わたしにしてみれば話の内容などどうでもいい。わたしのひとりよがりな話題、己れの頭の中にごったに混ざり合っている観念の表出をそのまま気持ちよさそうに彼は受けいれてくれた。けっして退屈そうでなく、わたしの言うひと言ゝをあるがままに…それは、わたしにとっても心地よいものだった。

-ぼくは、昔からおかしな感覚にとらわれています。高2くらいからですが、なんて言ったらいいのか、つまり、「存在」というものが実感できにくくなったのです。いちばんひどかったのが高2のころでした。

-ふむ、それは。

-なんて言うか…あの頃のぼくはぼくでなかったのです。現実はぼくから遠く離れていて…いえ、目の前にあることはあるんだけど、膜がおおっているというか…すべての人間はよそよそしい物体にすぎなかった。…目の前にネコがいるとしますね。ほら、そこにいます。それが不思議なのです。ほんとうに感覚がネコを拒むのです。

-そういう自分の感覚を大事にしなさい。おそらく自分自身への道はそこから始まると僕は思いますよ。

-でも、ぼくはぼくでないんですよ。教室で自分の席に着いていると急に体がフワッとした感じになって、それから急に下に落っこちていくようで、それを支えようと全神経を集中してこらえて…。たぶん頭がおかしかったんでしょう。今でも少しおかしいと思っています。

-ちがう。

-不安だった。あの頃のぼくを知る者は、たぶんぼくのことを利己的で陰気で、オドオドした奴だと思っていることでしょう。でも、冗談じゃない。自分を支えるだけでせいいっぱいの人間がどうして他人のことを考えてやれるでしょう。思いやりは強者の持つ感情です。

-でも、あなたはそこから出発するしかなかった。

-そうです。実感があてにならない以上、信じられるのは頭しかありません。ぼくが、自分の感情を自己の行動の基準にしなくなったのはそれからです。その考えは、かなり変ってきていますが…。

「対話」は、1時間半くらい続いた。あたりは静かだった。その中で2人の低い声が響いていた。大きな声を出す必要はなかった。わたしは充実した喜びに満たされていた。

山尾氏を屋久島によび、家族で住まえるようにしたのは、屋久島を守る会の兵藤昌明氏である。兵頭氏が彼と日吉氏をよんだ。となると、山尾氏も屋久島を変えるために来た人間だということになる。屋久島を守る会と山尾氏は、兵頭氏の言う種子・屋久独立のために協力していくのであろう。はたして、それは実現されるのだろうか。でも、これだけは言えまいか。屋久島が変革されていくのだとしたら、その中心となる人々は彼らであろう、と。

 

Ⅳ. 新たなる共同体をめざして

昭和52年に「ノアの島」というガリ刷りの新聞が創刊された。発行人は、日吉眞夫氏である。以下にあげる文章は、その新聞で、兵藤昌明氏が書いたものだ。彼の考えが示されているので少し長くなるが、引用してみよう。

「海から3キロ、この地に点を記せたことは、僥倖としか言いようがない。大事にしたい。本当に大事にしたい。この島の生態系、ヒトをも含めた生態系の頂点には、7千余年を生き抜き、そして、今もなお生き続ける岳杉がある。この事実をしっかりと受けとめたい。この地はタブーだらけ、タブーでいっぱいだ。しかし『…をしてはならない』ものは何もない。これは言葉の遊びではない。この空間で、したいヒトがしたいことをすればよいと思う。現代はタブーがなくなり『…をしてはいけない』ことが多くなりすぎたようだ。澄んだ空があり、水があり、それより先に『地太』がある。空は風を、風は雲を、雲は雨を。どのように生きようと、この地をどのように変えようと、それはこの地に生きるヒト、生活する人だけの勝手だ。それ以外の人間の勝手にはさせられないことだ。藁は山羊に喰われ、堆肥に刈られる。木は家を造るために倒され、薪にされるために切られる。しかも無用にその生が断たれることはない。ヒトはどうか。

この地が必要とするヒトは残り、タブーを感じ得ぬヒトは淘汰されるだろう。本来のタブーが蘇生し、本来のタブーだけしか通用しない空間。この地がこのような空間になり得た時、ヒトにとってこの島は、ノアの島への可能性に向かって開け始める。始めよう。

あらゆる『…をしてはいけない』ことを取り除くことを。」

新たなる共同体「ノアの島」を創造していくためにまず必要なことは、「本来のタブーだけしか通用しない空間」に屋久島がなることだと兵頭氏は言う。タブーという言葉のあいまいさのために主張が難解になっているのは否めない。しかし、彼がこれまでどう行動してきたかを見れば、その意味は少しはわかってくれるだろう。おそらく屋久島を守る会が今までしてきたことが、彼の主張していることの意味なのである。

吉本隆明という思想家が次のようなことを言っている。「観念に属するものを破壊したい時には、個々の観念にかかわらずに、最上位の観念に打撃を与えるのが唯一の方法である。この中の「を破壊し」、「に打撃を与える」を「を守る」と変えてみてもこの原理は成立するとわたしは思う。

屋久島を守る会がこれまでやってきたことは、観念の次元でいえば、この島の生態系を守ることであった。そのためにはこの島の生態系の最上位にある「ヤクスギ」を守れ、と運動を展開するしかなかった。「観念に属するもの『を守り』たい時には最上位の観念『を守る』のが唯一の方法」なのである。

ところで彼の真の目的は、屋久島をノアの島に変えることである。そのためにはどうすればよいのか。再び吉本隆明の先ほどの文章を単語をいれかえて引用してみよう。「観念に属するもの『を変革』したい時には、最上位の観念『を変革する』のが唯一の方法である。」現在の屋久島は日本国の体系にとって個別的なものである。だから、この島をノアの島という新たなる共同体に変革するには、共同体概念の最上位概念である「日本国」を変革するしかない。つまり、彼らは、日本に対して闘いを挑まねばならないのである。

彼らがやってきたことは原理的には正しい。しかし、本来、この「守る」と「変革」は分かつことのできぬものであろう。本当に「守る」ためには「変革する」しかないのである。そして「本来のタブーだけしか通用しない空間」に屋久島がなった時は、もう屋久島はすでに「ノアの島」なのである

屋久島がこれからどうなっていくのか。わたしは、「ノアの島」が生れることを願うばかりである。さらに種子島、口永良部島との関わりまで論じるべきなのだが、それはわたしの能力を超える。いささか(おっそろしく)無責任な発言ばかりで気がひけてしまう。でも…やはり屋久島には何かあるはずなのである。

 

参考にした本

山尾三省「聖老人」。大山勇作「屋久原生林からの告発」。本多勝一「貧困なる精神 第10集」。南日本新聞「保護行政光と影」「屋久原生林の危機」他関連記事。

調査に協力いただいた方(順不同)

長井三郎氏(宮之浦)。渡辺秀範氏(安房)。永里岡氏(一湊)。兵藤昌明氏(一湊)。兵頭千恵子氏(一湊)。山尾順子氏(白川山)。山本秀雄氏(楠川)。日吉眞夫氏(長峰)。安藤氏(白川山)。安藤ヨシエ氏(白川山)。岩川貞次氏(宮之浦)。山尾三省氏(白川山)他。

最後に上屋久町役場及び教育委員会の方々にお礼を申しあげます。

ありがとうございました。

2017.10.30

制服論議より大切なこと(26歳の頃の文章―高校の職員会議にて)

10月30日(月)

最近、高校で地毛を黒髪に染めるように強要されたことに対して裁判を起こした女生徒のことがニュースになっていて、ふと、定時制高校で教員をやっていた頃に書いた文章のことを思い出しました。たしか1988年の9月に書いた文章で職員会議で配ったような記憶があります。当時26歳でした。すでに9月末に退職して青年海外協力隊に参加することが決まっていたので、最後のメッセージのつもりだったのでしょう。以下にその文章を載せておきます。ブログ用に改行の仕方などは変えましたが、誤字・脱字も含めて文章はそのままです。

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制服論議より大切なこと

7月の末から継続中の頭髪・服装指導も、制服を着てこない者は欠課扱いという大詰めの段階に入った。

今回の指導の背景には、「生徒が荒れている」という認識がある。その荒れを克服するために、まず服装を!という訳である。

だが、その考え方は、倒錯している。服装の乱れは、荒れの現象の1つにすぎない。現象の1つを叩いてもまた別の現象が吹き出してくる。イタチごっこを繰り返すだけである。

ではどうすればいいのか。

1.生徒会自治の大幅な拡大

今の学校には生徒同士の交流ができる場が乏しい。クラス全体で取り組む材料が不足している。そのため、クラスとはいってもグループに分かれていてバラバラである。

まず生徒の権限を拡大すること。その権限を使いこなせるよう教師の側から働きかけることが必要である。

楽しいことから始めよう。文化祭を本当の祭りにする。今年の文化祭は、3日間にする。祭りには一切の制約を外す。企画から実現までを生徒会の自治にまかせる。ロックは無条件に演奏できなければならない。模擬店をひらくのもいいだろう。(私は大学祭をイメージしている。ガラスが割れ、車が火を噴き、あちこちでケンカが起こる。3日3晩騒ぎまくり、死ぬほど酒を飲み、あの解放感は、もう2度と味わえない。)

2.生徒への問題提起・クラス討議・臨時生徒会

(1)生徒への問題提起

教師一同の署名を入れ、私たちが現在何を共通の問題としているのかを文書の形で生徒全員に提起する。その時、ただ問題を提起するだけでなくその解決案を出しておくことが重要である。

(2)クラス討論

その文書を元に、クラスで討議する。ここで結論を出すのではない。論議の土壌を作っておくのである。

(3)臨時生徒総会

全校生徒・全教師の参加による臨時生徒総会を開く。ここでは教師にも発言権がある。意見の交換の後、結論を出す。

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2017.08.25

過去の読んだ本の感想(シリーズ)9

8月25日(金)

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1991年6月19日(水)
「妊娠カレンダー」の書き出し
(中略)

うーん。わからない。どこがいいんだ?
気になる所、
M病院。すぐ改行。会話の改行の仕方。基礎体温のグラフ。わたし。
愚図々々。とうとう。なかなか。
作者(わたし)は、姉がM病院に出かけて…いや、ちがうか。

色川武大の場合はどうだろう。
怪しい来客簿より
空襲のあと
(中略)

「が」が多いな。発想は突飛。でも、よく考えると、思い当たるフシもある。文章自体は、流れるよう。しかし、特に変わった点はない。

6月20日(木)

大江健三郎「懐かしい年への手紙」より
第一部
第一章 静かな悲嘆(グリーフ)
(中略)

森。谷間。妹。ギー兄さん。オセッチャン。ダンテ。事業。そして僕。

段落の構造
僕←TEL←(妹←会話←オセッチャン←→ギー兄さん)森のなかの谷間の村=こちら側

ギー兄さんのことを、オセッチャンの話を聞いた妹からの電話で僕が聞いたわけである。伝聞→物語の発生。ここですでに、この小説は神話性をおびてくる。しかも、ダンテだ。さらに2人の女=語り部=巫女の存在。

イメージの重層性が大江文学の特徴だが、それにしても、たいした念の入れようだ。イメージの洪水と言ってよい。

6月23日(日)

大江健三郎「静かな生活」(講談社)を読んでいる。心が浄化されるような小説だ。イーヨーと妹のマーチャンとの官能的とも言える交流。ワクワクさせられる。

10月8日(火)
今、川西蘭という小説家の「パイレーツによろしく」という本を読んでいる。わずか7年前の小説だが、すでに古びている。

12月1日(日)
読 「I will marry when I want」NGUGI wa Thiongo、NGUGI wa Mirii(Heinemann Kenya Ltd)
「現代アフリカ入門」勝俣誠(岩波新書)

どちらも一級品。読んだかいがあった。

「アフリカのこころ」土屋哲(岩波ジュニア新書)
いまいち。ちょっと古い。

12月8日(日)
読 「ハラスのいた日々」中野孝次(文芸春秋)、「治療塔」大江健三郎(岩波書店)

「治療塔」は、SFと純文学が融合したような不思議な感覚の小説である。数日前、新しく「治療塔惑星」という本が出たばかりだったので、前作を古本屋で買ってきたわけである。あいかわらずのイメージの洪水ではあるが、どうも異和感が抜けない。ハッキリ言って、胸の中をひっかきまわされるみたいな感じだ。SFの1人称か。何か変なんだよな。まだるっこしいぜ。

「ハラスのいた日々」も、オレにとっては新鮮だった。犬とヒトとの共生感覚。確かに、これは貴重なものだ。犬が今まで生きのびてこられたのは、このような関係が、ずっと続いていたからなんだな。なんか、うまく言えんが。昔、犬を飼ってた頃を思い出してしまった。

12月16日(月)
SIDNEY SHELDONの"THE OTHER SIDE OF MIDNIGHT"を読んでいる。plainなEnglishなので読みやすい。

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2016.02.19

過去の読んだ本の感想(シリーズ)8

2月19日(金)

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1990年12月15日(土)

西研の「実存からの冒険」を読んでいると、おだやかな気分になる。難解な思想、硬直した教条に飽き飽きしている私に、「私は私のままでいいんだ」と語りかけてくれているような気がする。

1991年

1月11日(金)

異化→文体化・戦略化・スタイル化→想像力(「新しい文学のために」大江健三郎)

1月20日(日)

竹田青嗣「現象学入門」(NHKブックス)を読んだ。僕がやりたい学問はこれだったのだ。現象学→解釈学。現象学→現象学的社会学の確立。

1月27日(日)

高橋源一郎「文学がこんなにわかっていいかしら」(福武書店)を読んでいる。表紙の”いい”という字が小学1年の時の僕の字に似ている。本当は、ミシェル・フーコーの「言葉と物」を、何とか読み進めたいのだが、気力が続かない。しょうがないので、こんな本を読んでいる。具合が悪い。目が疲れている。

2月24日(日)

―自衛隊を”軍”として認めることは憲法違反ではないかとご指摘がありました。その点についてお答えしたい。むしろ国連指揮下に預けることによって自衛隊は違憲性を免れるのである。自衛隊にはこれまでずっと違憲性についての論議がつきまとっている。だが国連指揮の下行動する場合、国際平和を維持するための軍隊ということになり、初めて日本国憲法の定める「国権の発動」たる軍隊の可能性から免れられるのである。―(「沈黙の艦隊」週刊モーニング'91 No.11 3.11号)

3月6日(水)

アメリカン・ビート -ベスト・コラム34- ボブ・グリーン 井上一馬/訳の「両親のこと」というコラムが胸に刺さる。私も34才になったら、―あと5年後だ―両親をヨーロッパ旅行にでも招待しよう。M雄とA子にも金を出させて。大いに35回目の結婚記念日を祝おう。

3月17日(日)

Sidney Sheldonの「The naked face」を読んでいる。字が大きいし、文章も簡潔でリズムにも乗れるので、とても読みやすい。話のすじもおもしろい。こりゃ300ページぐらい一気に読めそうだ。

3月18日(月)

「The naked face」(Sidney Sheldon warner books)を読んだ。300ページ読むのに約1日かかったことになる。正確には10時間くらいか。でも久しぶりに英語で書かれた本を読み終えることができてうれしい。

4月6日(土)

Bob Greeneの「CHEESE BURGERS」をあと少しで読み終わる。コツコツと読み続けるとどうも印象が薄れていけない。次は前から読みたかった「Top Gun」を読もう。

4月7日(日)

Bob Greene「Cheesebergers」を読み終えた。次は「Top Gun」である。

村瀬学「子供体験」には、僕のふに落ちるような言説がいっぱいつまっている。

4月20日(土)

磯田光一氏の「左翼がサヨクになるとき」を読んでいる。僕はどうやら未だに左翼的な倫理にとらわれているらしい。そこから何とか脱しようとしているが、その倫理の範囲内で発言しようとしてしまっていることに気づくことがある。まだ自由ではない。

4月21日(日)

ゴルバチョフの「ペレストロイカ」を読んでいる。レーニン主義に基づく社会民主主義の達成を目標としているのが初期のペレストロイカであった。だとすると、今のソ連の現状は、ゴルバチョフの最初の試みを、はるかに越えている。ゴルバチョフは、民衆にとって邪魔者でしかない。

この結論を言うのは、まだ早い。ゴルバチョフ自身が変わっていくかもしれないからだ。だが、このところ、彼の評判は、えらく悪い。

4月28日(日)

「方法としての子供」(小浜逸郎)を読み終えた。

5月1日(水)

「可能性としての家族」小浜逸郎(大和書房)を読む。
人はなぜ結婚するのか・・・か。

6月12日(水)

「思想の体温」(岡本博)ゲインを読んだ。そういえば、「書誌的 高橋和巳」(村井英雄)阿部出版を、数日前に読んだんだった。

6月15日(土)

ヘドリック・スミスの「新ロシア人」(NHK)を読んでいる。アメリカ人らしいソ連観がちりばめられている。今までT.V.等で見てきたソ連と、それほど変わらない印象を受けた。

そー言えば、ロシア共和国で、エリツィンが大統領になった。

6月16日(日)

小浜逸郎「症状としての学校言説」(JICC)を読む。向山洋一批判と諏訪哲二批判は、読みごたえがあった。どうも僕は「学校の現象学のために」を甘く見すぎていたようだ。

僕自身が、今まで、小浜の思想に引かれて何冊か本を読んできたためか、今回読んだ本にはさして新鮮味はなかったが、でもさすがに小浜である。

イメージを喚起するものとしては、村瀬の方がすぐれている。でも、論理一貫性および現実妥当性といった面では、小浜が上だろう。僕は、未だに体に巣食う左翼的思考方法を、完全にたたき出して、一から自らの思想を築いていかねばと思う。

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2014.07.31

過去の読んだ本の感想(シリーズ)7

7月31日(木)

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1989年

Sun.15/10/'89

I read books.「ドナウの旅人」(宮本輝)、「母なるもの」(遠藤周作)、「口笛を吹く時」(遠藤周作)etc...I shall read the books of Endo Shusaku. He is a Christian. He is an author. I didn't take an interest in his novels in Japan. But now I feel an interest in them.

25/10/'89
I am reading 「木霊」(北杜夫)now.

26/10/'89
I have read 「木霊」KODAMA(echo?)

29/10/'89
22:00
I was impressed with the novel:"KODAMA". I also want to write such a novel. He loved the author of Thomas Man. But I don't love any writer. Thereby I cannot write such a novel.

1990年

24/1/'90
「アンナ・カレーニナ」トルストイ(新潮文庫)を読了。これで2回目か。あいかわらず、アンナの魅力がわからない。リョービンに以前ほど好感が持てなくなった。「リョービンは正しい」と昔、書いたことがある。今は、何が正しいのか、という気持ちである。

「生きがいへの旅」森本哲郎(角川文庫)読。特に言うことはない。

12/2/'90 Mon.
19:30
立花隆「脳死」を先週、2日で読みとばした。ギリギリのところで死とは何かが問われている。恐いくらいである。人は死ぬ。あたりまえだ。でも…。

15/3/'90(THU)

昨日、色川武大の「狂人日記」を読んだせいか、自分がおかしくなりそうな不安定な気分が続いている。妙な夢もたくさん見たようだ。イライラしている。

彼の小説と吉本ばななの「TUGUMI」とどっちが面白いか。私にとっては、やはり「狂人日記」の方である。この本は私をゆさぶる。吉本の方は、退屈する。

Sun.8/4/90

「carcase for hounds」を読んでいる。自由のために闘ったといわれるマウマウ団の闘士と、現実に僕が見るケニア人とのへだたりが大きすぎる。

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2014.02.21

過去の読んだ本の感想(シリーズ)6

2月20日(木)

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1988年

15/Nov.(FR)

I read the book, "69" written by Ryu Murakami. The story develops in Sasebo in Nagasaki. The hero is a student of Sasebo Kita High School. The year is 1969. Ryu Murakami's novel was very interesting when I read it. This book will be interesting, too.

1989年

1月24日(火)

今日は主に「サバンナの博物誌」川田順造(新潮選書)を読んでいた。西アフリカの主にモシ族の生活についての詳細な記録である。私がケニアで生活していく上でも参考になる。特に開発が「低開発」を作り出したとの意見には同感だ。問題は、伝統的な生活技術が開発によって無用なものになりつつあるのに、それに変わるものが出てこないということなのだ。それが「低開発」なのである。かと言って、元の伝統的な生活に戻ることはできない。

ケニア人がきらいだという人何人かと出会った。これを、どう見るか。ケニア人気質と彼らが呼ぶものの実体は何か。

3月28日(火)

今日は『文化人類学への招待』(山口昌男 岩波新書)を読んだ。昔読んだ時は訳がわからなかったが、今はよくわかる。わかりすぎてなんだかつまらない。

6月21日(水)

P.ラビノー「異文化の理解」(岩波現代選書)を読む。<他者性>か。それは、とまどい、怒りとして表われる。僕は今、異文化の中にいる。さわやかな気持ちである。僕はさらにこの文化の深いところへ行ける。その可能性が本書に示されている。僕はまだ表面を漂っているにすぎないのだ。

7月13日(木)

このごろ日本の夢をよくみる。「移民の日本回帰運動」を読んでたせいかもしれない。あの本は、僕の心の深層と共鳴している。文化人類学にいう千年王国運動。あと1年半で帰れる僕には関係ないことなのに、心が振動している。そう、日本に帰りたい。帰ればすべてうまくいく。そんな幻想(聴)がわきあがってくるのだ。

7月19日(水)

6時半頃に起きて、中沢新一の「野ウサギの走り」を読んでいた。

逃走。僕はとんでもないところに逃げ込もうとしていたのかもしれない。

中沢新一が宗教学者であることに気づく。前からそのことは知っていたが改めて「気づいた」のだ。

逃走。日本において、僕は何から逃げたかったのか。抑圧。農耕倫理(??)。管理。(?)

ところが…。ケニアには、日本以上に抑圧があって、僕を待ちうけていた。…うーん。どうだろう。

7月24日(月)

「インドで暮らす」石田保昭(岩波新書)を読んでいる。この共産主義に傾倒している若者の目に見えているインドは、その後30年近くの後、現在の日本人が持つに至った平均的インド像とは、遠くへだたっている。いや、見えているものはおそらくいっしょだ。しかし、解釈の仕方が恐ろしくちがう。僕らは、ヒッピーの世代を経て、多く彼らの世代の言葉でインドを見る。特に、その宗教的な側面を見る。しかし、この石田氏に宗教は見えていない。また、貧乏な人々の具体的な生活もまったく見えてこない。見えるのは、インテリの意識(?)だけである。

ケニアはどうか。僕には逆に石田氏の見えているものが見えてこない。もし、彼のような目でケニアを見たら、とんでもない世界が見えてくるであろう。僕がそんなケニア像に耐えられるかどうか。

8月1日(火)

大江健三郎の「沖縄ノート」を読む。胃の具合が悪くなる。僕らにオキナワをかかえこむ力量はない。安保・基地の問題。核の問題。自衛隊の問題。差別の問題。

9月16日(土)

「Weep not, child」をようやく読み終えた。今、感動している。いい本なら、ちゃんと読めるんだ。今までは、つまんない本だから読めなかったんだと気づく。

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2013.10.13

過去の読んだ本の感想(シリーズ)5

10月13日(日)

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1987年
11月8日(日)

「人間というのは、本質的にむずかしい問題は、決してきらいではない。むしろ好きだといったほうがよい。(略)」(「文明の逆説」立花隆 p.244)

1988年
1月20日(水)

「苦悶するアフリカ 篠田豊」(岩波新書)を読んだ。これで僕はアフリカの地図を1枚手に入れたことになる。

2月13日(土)

月曜日から、「帝都物語」全11巻のうち、10巻まで読んだ。11巻目は附録のようなもので、何だか読む気がしない。

今、竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」(ちくま文庫)を読んでいる。ワクワクする。叫び出したい気分だ。私の悩みを解きほぐしてくれるようだ。

3月1日(火)

僕に届く言葉はあるのだろうか。山崎哲と芹沢俊介の討議集「子どもの犯罪と死」(春秋社)を読んでいる。共感できる部分が多い。

3月13日(日)

夕方、灰谷健次郎の「優しさとしての教育」を読む。僕の思想とはかみ合わない。都市を否定するから。ヤサシサにもなじまない。ただ、使いモノになるって言葉に衝撃を受けているOさんには共感した。今、ドストエフスキーを読んでいる。福武文庫の「前期短編集」だ。ドストエフスキーの中篇、短篇は、今ひとつおもしろくない。長篇はすっごくいい。この違いは何だろう。

3月17日(木)

小浜逸郎「学校の現象学のために」(大和書房)を読んだ。学校の内側で今何が起こっているのかを、これほど明確に語った人がこれまでにいただろうか。言葉が現実を見事にとらえている。僕らが無意識に抑圧している感情までも、適確にえぐり出している。赤えんぴつで書き込みをいれるという久しく忘れていた習慣をよみがえらせてくれた。

5月26日(木)

高野生(たかの・せい)「20歳のバイブル」(情報センター出版局)を読む。山崎がハガキでぜひ読めと言ってきた本だ。今イメージがあふれ出るように出てきて止まらない。書きとめておくか。いや、やめとこ。

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2013.07.01

過去の読んだ本の感想(シリーズ)4

7月1日(月)

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1987年9月17日(木)

『高校生のための 批評入門』(筑摩書房)

一匹の犬の死について J.グルニエ 成瀬駒男 訳

問い:「可能な程度」が「ほとんど無にも等しい程度」と言い換えられることによって、どんな変化が生じるだろうか。

作者ははじめ「可能な程度、自然に逆らうわけである。」と言おうとした。しかし、それは読む者に誤解されかねない。可能ならば、たとえ臓器移植をすることだってできるのだとしたら?そんなことに作者が感動しているわけではない。作者にとって、死に逆らうことのできない範囲内での、無力な看病こそが感動なのである。

無に等しい逆らいこそが人間の本性である。

解説。

人間の尺度では、最大限のあらゆる努力(臓器移植も含む)→可能な程度。
不死なる者の尺度では→ほとんど無にも等しい程度。

最大限がほとんど無に等しい。しかし無ではない。そのすきまに人間性はある。

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2013.06.09

過去の読んだ本の感想(シリーズ)3

6月9日(日)

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1987年9月5日(土)

『高校生のための文章読本』(筑摩書房)

1. 『ピエールとジャン』序文 モーパッサン 稲田三吉訳

設問:「燃えている炎や、野原の中の一本の木を描くにしても、その炎や木が、われわれの目には、もはやいかなる炎、いかなる木とも似ても似つかないものに見えてくる」(三・8)とはどのような状態をいうのだろうか。

解答:わたしたちは、ふつうに木を見る時、あらかじめ「木」という言葉にからみついている概念で見てしまう。しかし、実際に見ている木は、他のどの木とも異なる世界中でただ1本の木のハズだ。

だから「木」という概念をいったんよそに置いといて、見ている木そのものと対面してみると、その木が、いかに他の木とちがうかというその木の独自性が見えてくる。その時、その木は、「木」ではない。私が見ている、私だけの個別な対象である。

2. “夜と霧”の爪跡を行く 開高健

設問:「一度微塵に砕かれてみたいと思っていた予感」(七・16)とはどんなものであったと想像できるだろうか。

解答:言葉ですべてが表現できるという自信と、何も表現できないのではないかという不安が作者にはあった。そして「“夜と霧”の爪跡を行く」時、彼は完全に言葉を失なった。表現したいことがあるのに、言葉はなかったのである。

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2013.06.02

過去の読んだ本の感想(シリーズ)2

6月2日(日)

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1987年4月12日(日)

『先生 ご栄転ですか』(久志冨士男、青磁社)

腹の底まで、僕に絶望感を起こさせる。底辺校で働くには、パワーが必要だと言うのだ。僕にはパワーがない。

しかし不快感はない。真の教育者が書いた本である。自己の無力感におびえながらも、彼の正しさが実感できる。

1987年6月4日(木)

上野瞭著『ひげよ、さらば 上・下』(新潮文庫)

「ヒゲよさらば」のヨゴロウザの暗さ。そして1匹1匹がバラバラな猫たちの暗さ。そして、猫がまとまった時の暗さ。この物語は暗い。暗すぎる。

―この世界がすばらしいもののように思える日がくる。そのうちに、この世界を、どうしてすばらしいなどと考えたのじゃろうと思う日がくる。それから、この世界が、わしらの考えにおかまいなしにあるものじゃとわかる日がくる。―

世界を認識し、それに主体的に関わることは、不可能なのか。世界を認識するとは、世界が我々の考えとお構いなしにあるということを知ることなのか。世界は変えることのできないものなのか。

つまらない。

猫たちはまとまろうとする。その中で独裁者(ヨゴロウザ)が生れる。独裁者は、猫たちをまとめるために暴力に訴える。猫たちはまとまるどころか、憎しみ合うようになる。独裁者は、マタタビに走る。

すべてはヨゴロウザの夢の中。年老いたヨゴロウザが、若い猫に語り聞かせる物語。

まとまる必要があるのは、敵がいる時だけ。

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