2018.06.01

カズオ・イシグロ著、小野寺健訳『遠い山なみの光』(ハヤカワepi文庫,2001)を読む

6月1日(金)

原典は英語で書かれた『A Pale View of Hills』(Faber,1982)であり、カズオ・イシグロのデビュー作である。原典は8年前に読んで、その感想をこのブログに書いた。

http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2010/07/kazuo-ishiguroa.html

今回、日本語訳で読んでみて、読後感はあまり変わらなかったが、細かい設定を確認できた。また、訳者のあとがきと作家の池澤夏樹による解説で、この作品のテーマと文学的な意義について知ることができた。

英語で読んだ時はこの作品の時代設定を1950年代後半の長崎市と80年代前半のロンドンの郊外と思っていた。だが、本当は朝鮮戦争がまだ続いていた時代の長崎市と70年代後半のロンドン郊外だった。

だが、そうなると奇妙なことになる。作中にケーブルカーで長崎市の稲佐山を上っていくというエピソードがあるのだが、これは描写からロープウェイのことだと推察できる。だが、稲佐山にロープウェイができたのは1959年なのである。また1955年に完成した平和祈念像を見たような描写もある。これを作者が意図して書いたのだとすると、主人公の女性の中で記憶の改変が起こっていることになる。

では、稲佐山のエピソードの少女は誰なのだろう。主人公は万里子として記憶していたはずなのだが、最後の最後に「あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの」と語って、エピソードとの食い違いを見せる。エピソードではまだ妊娠3、4ヶ月の頃のはずで、それにしてはこの語りは不自然だ。考えられるのは、この主人公が万里子と景子の記憶を混同して定着させたということである。

そう考えると、この小説の表面上のテーマが女性の自立であり、世代の対立であるのだとしても、底流にあるのは著者の文学の根本のテーマである記憶の問題であることが見えてくる。わたしたちは、この主人公の女性の記憶をどこまで信用していいのか、宙吊りなままでこの薄暗い物語を読み終わることになる。

(5月21日読了)

2018.04.19

読んだ本3冊

4月19日(木)

2月から4月にかけて本を3冊読んだので、ここに短く感想を残しておきたい。いつもなら読んで数日後には感想を書くのだが、つい書きそびれてしまっていた。

1. 作:L.M.モンゴメリ、編訳:宮下恵茉、絵:景『赤毛のアン』(KADOKAWA)

ふだん愛読している作家が名作の翻訳を手がけたということで読んでみることにした。100年後も読まれる名作シリーズの第7作目。小学生向けのわかりやすい抄訳で字も大きく、絶妙な場面にイラストがあって読む理解を助けてくれる。それでいて大人が読んでも感動的な物語に仕上がっていた。


(2月8日読了)

2. 望月拓海著『毎年、記憶を失う彼女の救いかた』(講談社タイガ)

モーニング娘。'18の尾形春水が読んで感動したとブログに書いてファンの間で話題になった作品。第54回メフィスト賞受賞作。純愛物語なのだけど謎解きミステリーの要素もあって、飽きずに読み進めることができた。脚本家出身だけあって人物に生身感があって、伏線の張り方もうまい。ただ小説としてはやや不格好な印象。


(3月9日読了)

3. カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳『忘れられた巨人』(早川書房)

昨年のノーベル文学賞受賞作家の最新長編。6世紀頃のブリテン島を舞台にした老夫婦の物語。アーサー王伝説を下敷きにしたファンタジーだが、ファンタジーとしては尻切れな感じがする。この作品は著者の文学のテーマである記憶を巡る物語でもあり、ファンタジーの形式を借りて民族の記憶の修正と忘却というより大きなテーマに取り組んだものと見たほうがいいのだろう。


(4月17日読了)


2018.02.18

菅野覚明著『吉本隆明―詩人の叡智』(講談社学術文庫)を読む

2月18日(日)

この本では、吉本隆明という思想家の本質は詩人であり、その思想の本質は詩であるということから出発して、初期の詩の分析から後の吉本思想の重要な概念である自己表出、指示表出、共同幻想、沈黙の有意味性といった概念がいかに生まれてきたかを詳しく論じている。

吉本は、敗戦後に社会の価値観が急激に転換する中で、青春期に詩作を続けながら試行錯誤して確立したつもりだった自己とはいったい何だったのかという精神的な危機に襲われる。だが、尊敬していた詩人・文学者・知識人たちは新しい価値観にあっさりと乗り換え、大衆も過去を忘れたように今の生活に埋没していく。吉本はもはや拠り所となるものが自身の詩だけであり、詩を書くという行為の中にしかないと思うようになる。

そうやって数年の苦闘の末に書き上げたものが『固有時との対話』である。この詩の分析にこの本では1章を充てて詳細に論じている。この詩は詩でありながら自身の詩についての詩論にもなっていて、この中に後の吉本思想のすべてが詰まっていると著者は言う。

わたしもその詩を読んでみたのだが、正直、何を書いているのかさっぱり理解できなかった。それはまるで吉本隆明という前衛芸術家の一人舞台を観ているような感覚だった。何を言っているのかセリフはまったく理解できないのだが、でも今、目の前で何かすごいことが起こっているといった感じだった。

この詩以降、吉本は詩作以外に文芸批評、政治評論の分野でも精力的に著作を発表し発言を続け、いつしか戦後思想の巨人とまで評されるようになる。吉本の思想はわかりにくいのになぜか多くの人を惹きつけてきた。わたしもその一人である。その魅力が自身の詩を源泉としたものだと考えると納得がいく。

(2月4日読了)


2017.12.12

山田英世著『J・デューイ』(清水書院)をよむ

12月12日(火)

この本は教科書で有名な清水書院からでているセンチュリーブックスの人と思想シリーズの1冊である。倫・社の副読本としても学校で採用されているようで、わたしも高2の時に『ラッセル』をよんだことがある。発刊は1966年でこの本は発刊の年にでている。著者は1922年生まれで82年になくなっている。師範学校教授、高校教諭、大学教授の経歴があり、倫理学が専門だったようである。

わたしがJ・デューイに興味をもったのは、Twitterで哲学者の鶴見俊輔botをフォローしていて、ひんぱんに名前がでてくるからである。あの鶴見が信望するような人物がどのような人物なのか興味がでてきて、とりあえず解説書をよもうとさがしたらこの本にいきついたわけである。

J・デューイがアメリカの哲学者・教育者であるためか、この本ではまずアメリカの地理と建国の歴史からはじまる。読者に優しい今風の思想解説書を読みなれていると、そこからやるのという気もするが、考えてみると、高校生の読者はアメリカの歴史をまだ習っていない可能性もあるから、どういう風土からアメリカの思想が生まれたのかを知るにはその方がいいのかもしれない。高校の副読本なら少々退屈な部分でもまじめによんでくれるだろうという期待もできる。

あと、当時の風潮なのか、主に動詞はひらがな表記になっている。また読み方にまよう漢字もできるだけひらがなにしてある。ひらがなにできなくて読みにくい漢字にはフリガナまでふってある。当時の文化人の中では漢字廃止論まであったから、ある時期に漢字をできるだけすくなくした表記をする学者がすくなからずいた。著者も当時の時代の影響をうけているようである。ちなみに今回はその表記をまねしてみた。

この本を最初から最後までていねいによんでいけばデューイの生涯とその思想を大まかに知ることができるのだが、思想の心酔者にありがちな、その思想が著者の思想なのかその思想家の思想なのかがよくわからないところもあって、やはりいずれは直接デューイの本をよんだほうがいいのかなとはおもう。

デューイは当時は進歩的文化人の元祖みたいな扱いで日本の教育界でも評判はよくなかったようである。学生運動でも進歩的文化人は攻撃の対象となった時代だった。その中であえてデューイをとりあげて高く評価しているところに、当時の著者の気概が感じられる。それに、左翼思想が退潮し切った今の日本においてこそ、デューイの思想は再検討されるべきなのかもしれない。そしてそれはデューイを高く評価していた鶴見俊輔や丸山真男など当時の進歩的文化人の思想の再検討をも意味する。そういえば、今年、進歩的文化人・吉野源三郎のかいた『君たちはどう生きるか』を原作とした漫画がブームとなったそうである。

(12月3日読了)


2017.10.24

仏教の入門書を2冊読む

10月24日(火)

仏教には以前から関心があって少しずつ本を集めているのだが、中々読めないでいた。今回ようやく入門書を2冊読むことができたので、感想を残しておきたい。

1.呉智英著『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房)

著者の職業は漫画評論家だが、東洋思想や日本の古典、キリスト教、現代思想と幅広い読書を重ね、その中で独自の思想を形成してきた。本書は、そんな著者らしく、仏教の特に哲学的な側面について様々な角度から検討している。著者は仏教徒ではなく、誰に遠慮する必要もないため、釈迦の教えの矛盾をはっきりと指摘する。

初期の仏教からやがて大乗仏教が生まれ、大乗仏教は中国への伝播と受容の過程で荘子の思想と混ざってしまう。中国経由で日本に伝わった仏教は、それゆえ荘子の思想が混ざった大乗仏教である。そして日本の土着の宗教とも混ざり合い、もはや釈迦の教えとは似ても似つかぬものになってしまった。日本の仏教が衰退しているのは、教えの原理的な検討がなされていないからではないかと著者は問題提起する。

かと言って著者は釈迦の教えに帰れと原理主義的な主張をしているわけではない。仏教の教えを仏陀の教えから検討することで仏教の更新が必要だと主張しているのである。

(9月23日読了)

2.釈徹宗著『とらわれない 苦しみと迷いから救われる「維摩経」』(PHP)

著者は浄土真宗の住職であるが、宗教思想の研究者でもある。そのため、著書には仏教の思想的な検討をしたものと宗教的な実践の方法を示したものとがある。住職であるにも関わらず、浄土真宗にはキリスト教的な救いの宗教の側面があることも指摘している。

この本は大乗仏教の成立の初期のお経である「維摩経(ゆいまぎょう)」を訳したものである。とはいえ全訳ではなく抄訳で、しかもかなりの超訳になっている。この本の目的は、大まかにお経の内容を伝えながら、大乗仏教の核心を伝えることにある。

維摩という人は在家信者なのだが、出家の菩薩様でもかなわない最強の在家信者という設定になっている。この人は世俗の中で暮らしながら、仏になる道を歩いている。その何事にもとらわれない生き方は、今の世を生きる私たちにも参考になるはずだという確信が著者にはあるようだ。

(10月17日読了)

2017.09.24

東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』(genron)を読む

9月24日(日)

先月末に読み終えてすぐ感想をブログに上げるつもりだったのに、なぜか自分の中で感想がしっくりまとまらないままに時間が過ぎてしまった。読み終えた直後は、哲学書にしては嘘みたいにわかりやすいと思ったのだが、1か月近く経ってみるとまるで霧の中にいるように内容が捕まえられない。やはりわかっているようで、よくわかっていなかったのだろう。なのでここでは感想というより読んだ印象を残しておきたい。それはひょっとしたらまったくの誤解かもしれない。

近代になって大衆が出現した時、知識人はその存在を概ね否定的に評価してきた。知識人にとって大衆は啓蒙すべき存在だった。

だが著者はむしろ大衆それ自体の中に新しい政治の可能性を見ている。そのキーワードが観光客という概念で、それは現実の観光客から哲学的に抽象した概念である。観光客は近代の旅行の大衆化の中で生まれた。その観光客の動きに世界を変える力を著者は見出しているように思える。

では、私たちがただ観光をしていれば世界は変わっていくのかというとそうではないと著者は言う。観光客という概念は現実を把握するためには有効な概念だが、それは行動の指針となる倫理的な概念ではないからだ。倫理的な概念については著者もまだ考えがまとまっていなくて、とりあえずの試論として出したのが「第2部家族の哲学(序論)」である。本書は2部構成で第1部が「観光客の哲学」なのだ。

かつて大衆を徹底的に肯定した日本の思想家に吉本隆明がいて彼は「大衆の原像」という概念を自らの思想の公理として選び取っていた。本書の「観光客」は「大衆の原像」の読み換えとも捉えることができて、だとすると展開次第では吉本思想の更新にもつながるのではないかという個人的な期待もある。

(8月29日読了)

著者 : 東浩紀
株式会社ゲンロン
発売日 : 2017-04-08

2017.08.10

須藤凜々花・堀内進之介著『人生を危険にさらせ!』(幻冬舎文庫)を読む

8月10日(木)

わたしは須藤凜々花というアイドルを知らなかったのだが、先々月のAKB48グループの総選挙で結婚宣言を行ったということをニュースで知って興味を持った。1996年11月生まれで現在20歳。愛称はりりぽん。NMB48でセンターになったこともあった。この結婚宣言は大きな騒動となり、彼女はNMB48を卒業することになる。

どうしてそういうことになったのか、いろいろな記事を読んでいくうちに、彼女が哲学の本を出していることを知った。吉田豪というインタビュアーが、その本を読むとまるで今回の結婚宣言を予言したような内容だったと言っていたので読んでみることにした。それが本書である。「人生を危険にさらせ」というタイトルはニーチェの『悦ばしき知識』第283から取っているらしい。

この本は堀内進之介との共著である。著者略歴によると、堀内氏は1977年生まれで専門は政治社会学・批判的社会理論である。青山学院大学の非常勤講師であり、現代位相研究所の首席研究員というよくわからない肩書きもある。

この本は彼女と堀内先生との対話形式で進んでいく。実際に行われた対談ではなく、哲学の講義の中で交わされたやり取りを対話形式で再構成したものである。各章の終わりには彼女自身のコラムが挟まっていて、哲学に対する自身の思いをより詳しく語るものとなっている。

一見するとかなりポップではあるのだが、内容はソクラテスから始まるとても真摯な哲学対話になっている。意表を突かれたのは、最初の方で彼女が吉野弘の『I was born』という詩を取り上げたことだ。その詩の解釈が独特で、それがそのまま彼女の哲学の表現となっている。

ソクラテスは哲学は善い人生を送るためにあると言う。しかし私たちは生まれさせられた存在である。そしてやがて死にゆく存在である。そんな不条理な人生をどうやって善く生きられるというのか。ソクラテスは自ら毒を飲んで死んだではないかと彼女は問う。

そんな風に、彼女の哲学的な関心に沿って、堀内先生はそれこそソクラテスのような役回りで様々な哲学者の哲学を紹介していく。堀内先生に感心したり反発したり一旦は先生と決別したりしながら、彼女の哲学はより深まっていく。

読んでみて、どうして彼女が結婚宣言をしたのかを考えてみた。彼女は恋愛をしたらそのことに誠実でありたいと思っていた。そしてアイドルは恋愛禁止という大人の「哲学」への反発もあった。それがあの場での結婚宣言へとつながったのではないか。だがそういう青年の哲学には危険性もあることは本書にもちゃんと書かれてある。怪物を倒そうとして自らも怪物になるという危険性である。それをわかってやったのだとしたら、りりぽんはあえて怪物になることを選択し、「人生を危険にさら」したのである。

(7月18日読了)

2017.07.23

呉智英著『吉本隆明という「共同幻想」』(ちくま文庫)を読む

7月23日(日)

著者はマンガ評論家であり、思想家である。近代になって出現した大衆や大衆社会に対して批判的な思想の持ち主である。そんな著者が、自身も若い頃に読んでいた吉本隆明についての本を書いた。それは自分と同世代の知識人たちが吉本隆明を戦後最大の思想家と揃って評しているのに、自分にはとてもそうは思えないからだという。だから、多くの人が吉本隆明の偉さを説く中で、この本は、いやそれほどでもないよと説く本になっている。吉本隆明が偉く見えるのは、そういう「共同幻想」の中にいる信者だからだというのが著者の主張である。

全体としては、重要とされる評論と理論的な著作について一々こきおろす内容になっているのだが、これは吉本隆明の本を学生時代に読んだことがある者なら誰でも感じたような内容なので、吉本の読者にとっては一種のあるあるになっている。たとえば文章の難解さについて、読者なら誰もがその何言っているのかわからない難解な文章に苦しんだ経験を持ち、自分なりに言い換えようとしたことがあるはずなのだが、著者はそれを実際にやってみせて、わかりやすく言い換えると大したことは言っていないと説く。実際、言い換えられた文章には嘘のように魅力がない。はて、俺はただ難解な文章をありがたがっていただけなのかと思えてしまう。

ただ、そうやって「ほら、大したことないだろう」という説明が重ねられていくたびに、わたしには反対に吉本隆明のすごさが伝わってくる感覚があった。たぶんそれは吉本が思想的な格闘を長く続け、それが亡くなる直前まで続いていたという事実のすごみが、その批判的な言葉を通しても伝わるからだろう。客観的に見ると、吉本の評論は間違いだらけの代物で、理論的な著作も掘立小屋のようなものなのかもしれない。だが、それを継続してきた思想家は日本でも数えるほどしかいなかった。そういう意味では、やはり吉本隆明は、戦後最大は言い過ぎだとしても、偉大な思想家の一人だったのだとわたしは思う。そんなわたしも著者に言わせれば吉本信者なのかもしれないが。

(7月11日読了)


2017.05.17

小林政能著『なんだこりゃ?知って驚く東京「境界線」の謎』(じっぴコンパクト新書)を読む

5月17日(水)

先月の上旬に国境をテーマにしたアート展を見に行ったことをきっかけに、国境に限らず国内に引かれている境界線にも興味が出てきて、検索したらこの本が出てきたので、とりあえず買って読んでみることにした。

この本は東京の区界(区境)を歩くことを趣味にしている人が書いたものである。ご自身でも「境界協会」を主宰しているが、会員は主宰者1人だけの協会らしい。

区界を歩いていくと様々な謎が生じてくる。その謎を解くために、著者は地図を調べ歴史をさかのぼる。すると東京の区界が明治時代から様々に変わってきたことがわかってくる。東京は15区から始まったのだが、その15区の区分けも少しずつ範囲が変わったり、その後20区が加わって35区になったり、戦後は戦災によって22区、そして今の23区へと統合されたりしている。自分の足で歩き、地図の変遷や歴史を調べることで、だんだんと東京を重層的に理解できるようになるところが興味深い。

最初は少しマニアックでとっつきにくい感じがしたが、著者の熱意に導かれて最後まで読むことができた。最終章では区界を歩く時に必要な地図やアプリなども紹介されているから、それらを使って、まずは自分の住んでいる市の市界を歩いてみようかと思っている。

(5月15日読了)

2017.04.25

宮下恵茉・作 染川ゆかり・絵『キミと、いつか。』(集英社みらい文庫)シリーズ1~4を読む

4月25日(火)

この作品はシリーズもので、同じ中学校で1年生の同じクラスの女の子たちの初恋模様が描かれている。現在、第4作まで出ており、4人の女の子たちの1学期の恋が描かれた。今後は2学期の恋愛模様が描かれるらしい。第4作まで読んで、何だかオムニバス映画を観終わったような感じがした。同じ中学校の同じクラスで登場人物も重なるのに、ヒロインが交代するだけでこんなに世界が違って見える。どのヒロインも周りから見るとうらやましくなるような恋愛をしている。でも本人たちにしてみれば、初めての恋はとても大変なことなのだ。

最初のヒロインが少女まんが好きというのは、作者の仕掛けなのかなと思う。少女まんがのような恋に憧れる少女が、実際に恋をしてみると少女まんが通りにはいかないことに悩んだりする。読者が「いや、このストーリーは少女まんがでしょう」と思っても、少女がそう思っていないのだからしかたない。やがて読者はこのストーリーを現実に起こっていることのように感じてしまい、少女の恋を応援したくなる。

1学期は恋が成就するところまでの物語だった。さて2学期はどうなるのだろう。物語は続く。

(4月21日読了)

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