1985年1月頃に書いた文章
1月24日(日)
1985年1月頃に書いた文章を載せます。当時わたしは鹿児島大学の学生で、民俗研究会というサークルに所属していました。民俗研究会の主な活動内容は、鹿児島県の離島に出かけてお年寄りから昔話や昔の生活について聞き書きをしてそれを調査報告書としてまとめるというものでしたが、わたしはそれを利用して相当自由に文章を書いていました。この文章は当時のフェミニズムから学んだものが反映されています。当時鹿児島にいた23歳の男がフェミニズムをどう受け取り消化しようとしていたのか。今読み返すとひどい文章ですが誤字脱字を含めてそのまま載せます。ご容赦ください。
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女にとって社会とは何か―近代と近代以前ー
はじめに
わたしの母が社会に出て働くようになったのは、わたしが小学5年生の時だった。その前に1年間、洋裁学校に通っていたから、わたしの妹が幼稚園に通っていた頃には、もう社会に出る気でいたことになる。母は「女も経済的に自立しないとダメだ」と言っていた。今でも覚えているくらいだから口癖になっていたのだろう。
母がまず勤めたのは小さな洋服屋である。洋裁学校からの紹介だった。月給は確か7万くらいであった。1日中狭くて暗い部屋の中でミシンを動かしてもそのくらいにしかならないのでは自立どころではない。毎日くたびれて帰るようになっただけである。2年間くらい勤めたであろうか。ある日、店から帰ってきた母は「クビになった」と言った。一所懸命働いても、雇い主の都合次第で簡単にクビである。
それからの母は、保険のセールス、鉄工所の事務員、ベッコウ店の店員、フトン屋の店員、電機会社でのベルトコンベア作業員と、いろんな仕事を転々とした。それらは社会で「主婦のパート」と呼ばれる種類のものなので、経済的な自立を得るには程遠い給料ばかりであった。結婚する前は三菱重工のOLだった母にとって、経済的な自立のできない今の社会は屈辱に満ちたものだったであろう。
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女性が社会へ出て働くようになったことを、女性解放の証拠としてあげている意見をよく見かける。しかしわたしはそれを部分的にしか認めない。結婚を理由に1度退職した女性が、育児に手間がかからなくなったというので再び同程度の会社で同じ仕事に従事しようとしてもなかなか難しく、大部分は主婦のパート労働という底辺の労働に従事してしまうのである。これが女性の解放と言えるだろうか。
一方、「男は外に、女は家に」という人もいる。これは今も男の大部分の意見である。彼らは女は家にいるものなのに、近頃は社会に出て働きたがる者が増えて困ると言う。わたしはこの意見も認めない。本当に昔から女は家にいるものであったのか疑問だからである。
では、わたしの意見は何であろうか。女が社会に出て働くことにどんな意味があるのだろうか。それを述べる前に、まず、今の社会が成立する以前において女はどうあったのかを考えてみたい。それから今の社会がいつごろどのようにして成立していったのかを示し、その中で女がどうなっていったのかを考えることで先の問題に答えてみたい。
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昨年の夏に民俗研究会の一員として沖永良部島和泊町の民俗調査に参加した。わたしの調査の目的は、今の社会が成立する以前の人々の生活を具体的に知ることであった。成果はあまり得られなかったが、それならそれなりの報告をするしかないだろう。本論文の第Ⅰ章において、調査の結果わかったことを述べてみる。女がその社会においてどうだったのかをそこで示してみよう。
Ⅰ 近代以前の社会―調査結果をもとに―
ここで「近代」という言葉を使うのは、この言葉が歴史学において「今の」社会を意味するからである。とはいえ「現代」とも違う。今の社会が成立してから今までのすべてを含む言葉である。それを定義するなら、今の社会とは、すべての生活を商品を消費することで成り立たせている社会である、と言えよう。
沖永良部島では、第二次世界大戦の前までは、ほぼ自給自足だったという。もちろん近代化の波をこの島もかぶりつつあったから、貨幣は流通し、商品もでまわっていた。しかし近代以後の特に都市生活者に典型的に見られるような、すべての生活を商品を消費することで成り立たせる生活形態ではなかった。その頃の島民は、ほとんどの生活必需品を自分で作っていたのである。だから近代以前の社会は、島のお年寄りの若かった頃のことを聞けば、想像できるハズである。
1. 身につける物
(1) バショウの着物―夏の着物―
庭に植えてあるバショウの葉を裂き、鍋の中に入れてやわらかくなるまで灰汁で煮た後、竹の道具ではさみつけてしぼると繊維がとれた。これは乾かして、丸く巻いて保存しておく。これを機にかけて織り、着物をつくったという。サラサラして風通しがよく丈夫で、亜熱帯の島で夏に働く時にたいへん適している着物であり、島では男女とも着ていた。形は男女いっしょで、模様に差があった。各家ごとに女がつくっていた。
(2) 冬の着物
綿を栽培し、蚕を飼って、綿糸や生糸をとっていた。縦糸に絹糸、横糸に綿糸を使って織った布を使って着物をつくった。男女で模様が異なり、男のは大きく、女のは小さかった。女は嫁にいくまでに、つくり方を習うものだった。
(3)はきもの
ふだんはワラゾウリをはいていた。ゲタも軽い木なら何でも使って、作っていた。晴れ着の時、沖縄のシュロ、ビローでできたゾウリをはいた。ワラゾウリやゲタは、男がつくっていた。
2. 食
(1) 食べる時間
朝5時頃起きるとまず田や畑へ行き、朝8時か9時頃いったん家へ帰って朝食をとる。それから仕事に戻り、おてんとうさまが真上に来た頃に、家へ帰って昼食をとる。夕食の時間は、内容によってまちまちだが、だいたい夜9時くらいで、忙しい時は、さらに遅くなることもあった。
(2) 食べるものと飲むもの
① 主食
主食は米飯ではなく、カライモをふかしたものであった。植える時期はいつでもよかったので、必要な時に必要なだけ、畑からとってきて食べていた。
② おかず
A. みそしる
みそしるは、3食ともついた。みそは、麦や、ソテツの実、大豆からつくる。
B. つけもの
A、Bがふだんのおかずだった。つけものとしては、大根や、にんじん、にんにくなどがあった。にんにくは、葉や茎も利用した。パパイヤのつけものは、最近になってつくられるようになった。
C. その他
魚が手にはいった時には、塩干しにしたり、みそ煮にしたり、刺身や焼き魚にしたりした。他には、ブタ肉を塩づけにしてつぼに入れ保存食にしたりしていた。また浜に生えるノビロを天ぷらにしたり、よもぎ、ツワブキ、アザミなど、野生の植物を利用したりした。
③ おかし
小麦粉をこねたものを油であげたものや、モチ米を粉にしてシャネン(?)に巻いて蒸したもの、米の粉と黒砂糖とでつくるユキミシというものなどがあった。
④ 飲みもの
A. 茶
豆茶やよもぎ、麦茶などをつくっていた。
B. 酒
主に焼酎をつくっていた。原料は、カライモや麦、ソテツの実、もしあれば米を用い、まとめてつくっておいた。ふだんはあまり飲まず、命日や誕生日、節句等に飲んだ。
C. タバコ
ナワにつるして乾燥させ、丸いカゴの中に保存しておく。飲む時には、左図のように小さなまな板の上にタバコの葉をのせ、そのうえに板を重ねて、板をずらしながらでかい包丁で小さく刻んだものを用いる。
D. 水
沖永良部島は石灰岩質の島であるため地上に出ている川は少なく、暗河(くらごう)と呼ばれる、地下を流れる川が多い。昔はそこから女の人たちがカメに水をくんで、頭にのせて運んでいた。ふつうは朝はやくくんできて、必要になると昼からもくみにきた。女の子も手伝いをした。
E. 非常食
台風等のために主食のカライモが不作の時は、ソテツを利用した。利用するものは実と幹である。ソテツの実は、割ってから干して乾燥させ、それを粉にし、火を通して食べたり、おかゆにして食べたりした。ソテツの幹は、外のウロコをはずして、ナタで削り、干して雨日にさらし、かますに入れて発酵させ、ウスでついて粉にし、おかゆにして食べたりした。
3.生業
(1) 稲作
① 種まき
2月~3月の初め頃に男がまいていた。
② 田植え
4月頃に主に女が植えた。でも男がしないことはなかった。男は主に、ひもはりや苗くばりをした。
③ 稲刈り
7月中旬までに男女で刈ることになっていた。田んぼはその後、耕し、水を貯めて年を越す。
④ 脱穀
脱穀は男がした。下図のような道具に刈り取った稲を挟んでひっぱって脱穀した。ただ、(以下空白)?
⑤俵詰めは男がした。
(2) 畑作
① 作物
特に今も盛んなのはサトウキビである。他には、大麦、小麦、大豆、小豆、粟、落花生、ニンニク、カライモ、ユリ、サトイモなどが作られていた。
② サトウキビ
A. 植えつけ
春植えと夏植えがある。
B. 収穫
春植えのは1年後に、夏植えのは1年半後に収穫する。刃の厚いカマ(クワ)で、男が刈り、女は枯れ葉(ファーマ)をとって、火をたいて汁をわかす。
C. 製糖
2、3軒で1つ広さ4坪くらいの製糖小屋を畑に建てた。そこで、朝早くから夕方まで約3回製糖した。1回に4~5時間を要する。
(3)家畜
① 牛
草原でつないでおき、夕方に小屋にいれていた。世話は男がし、草刈りは娘も手伝った。
② 馬
さとうきびをしぼる機械につなげて、ひっぱらせたりした。
③ ヤギ
肉用。乳はしぼらなかった(?)
④ 豚
正月に1年分塩漬けにし、つぼにいれておき、命日や誕生祝い、入学卒業時などに出した。
⑤ ニワトリ
昔は離し飼いだった。
4. まとめ
以上をまとめると、近代以前の社会においては、外でも家でも女が関わる割合がたいへん大きいことが言える。今の社会における賃労働にあたる生業を見ても、男と女の協同作業によって成り立っているし、衣食にしても、原料の採取から、加工までのすべてを女の手で行なっている。ということは、近代以前の社会では、「経済力」があったのは、むしろ女だったと言えよう。政治的な側面がどうであったのかはわからないが、「経済力」=生活を支える力は、女の方が強かったのである。
Ⅱ. 近代社会
1. 近代社会の成立
近代社会は、経済的には産業革命によって成立した。産業革命とは、機械の発明によって生産方法が根本的に変革され、それにともなって社会が変化していく現象をさす。18世紀後半イギリスの繊維工業に始まり、19世紀には欧米諸国へひろがっていった。産業革命によって、石炭・鉄を動力源とする大工場制が確立し、資本家と工場労働者という階級が分化し、人口が都市に集中するようになった。
2. 男はどうなったか
例えばイギリスでは、産業革命の過程で「囲い込み」が行われた。これは、本来は生業であった農業を産業化(金儲けの手段と)するために、農民に割りあてていた土地を国家がとりあげる行為のことである。このため多数の農民は土地を失って、都市へ集まり、賃金労働者になった。つまり、土地の「囲い込み」は、農民を賃金労働者へと「囲い込」んだのであった。
他の国家も、政策として、似たようなことを行なって、農民や手工業者を都市の賃金労働へと追いやったのである。
今、就職は、とくに男たちにとってはあたりまえの行為であるが、それが「囲い込み」により始まった近代社会特有のものだと、どれくらいの人が知っているのだろうか。
3. 女はどうなったか
近代化の過程は、それまで女の仕事だったものを「工場」が奪いとっていく過程だった。紡績機械の発明は、女から手仕事をとりあげて、男の組織(工場)へ移すことを意味した。農業の産業化によって女の仕事がなくなった。ミソやショウユ、塩、酒なども工場で生産されるようになった。水道ができて、女は水をくみにいかなくてもよくなった。
女に残されたのは、洗濯、掃除、料理、育児ぐらいのものである。これらは家事と呼ばれ、家事労働をする女を主婦(または専業主婦)という。日本で「主婦」という言葉が生まれたのは大正時代である。
こうして、近代以前には男よりも「経済力」があった女たちは、家の中へ、男によって「囲い込ま」れてしまったのであった。
4. 今、女が社会に出て働くことの意味
女が社会に出て働くことは何を意味するのだろうか。それは、女が男に「囲い込ま」れることを拒否して、奪われた「経済力」をとりもどそうとすることを意味しているとわたしは思う。
近代社会が成立して、男は、賃金労働者へと囲い込まれてしまった。女は、その男に囲い込まれてしまった。だから女は2重に囲い込まれていたわけである。女は社会に出て働くことで、少なくとも男からの囲い込みをつき破ろうとしているわけだ。
だが、男が女を囲い込むことで成立している社会が、それをそのままにしておくハズがない。様々な妨害が女に向けられる。いろんなワナをしかけて、家へのひき戻そうとする。それでも女は社会に出ようとする。そこで「主婦のパート」を社会は用意する。女が社会に出ても最低の賃金しか出さないようにする。これが、今の社会の現実である。
Ⅲ. これからどうするか
これまで、近代以前の社会と近代社会とにおける女の生活を比較し、むしろ近代にはいってから女は無力になったと論じ、女が社会に出て働くことは、男に奪いとられた力をとり戻すことであると主張してきた。だが、女のこうした行動は社会にしかけられた様々なワナによって妨害されている。この章では、そうしたワナにはいったいどんなものがあるか。ワナを破るにはどうしたらよいのか。について考えてみたい。そこでは女だけでなく男も自らへ刃を向け問い直さなくてはならなくなるであろう。なぜなら、男も囲い込まれた者だからである。
1. 就職におけるワナ
まず以下に、C.ダグラス=ラミス「影の学問、窓の学問」(晶文社)から引用してみよう。
―「うちの会社にはいったら、才能を生かした仕事をやってもらうつもりだ。だけどもし男子社員が『お茶をいれて欲しい』と言ったらどうしますか?」「いれます」と答えなければ就職できない。それははっきりしている。この質問は思想調査なのだ。「私はお茶くみをするために就職するのではありません。おことわりします」と言えば結果はあきらかだ。その会社には就職できない。なぜなら「危険思想」の持ち主だからだ。―
この会社が求めるのは、男を助けていろんな雑事をこなし、結婚したら退職していくような女なのである。こんな会社にはいってもけっして責任のある仕事は持てないし、いつまでも結婚しないで会社に残っていると「ハイミス」と言われて疎んじられるようになっていく。
2.結婚か仕事かという選択
女は結婚したら会社を退職するものだとされている。そこで仕事を続けたくても、結婚が決まると多くの女は退職する。なぜだろう。どうして、女は仕事を続けるべきか、結婚するべきか悩むのだろうか。それは、結婚すると外で働く「主人」のために家事労働をしなければならなくなるからだ。
3.育児期間
結婚した女は、やがて子供を産む。そうするとどうしても数年間は、育児に追われることになる。結婚してもがんばって働いていた女も、この時にやむをえず会社を退職してしまう。ところが、今の社会では、そうした女が、育児期間を過ぎて、再び同じ会社に就職しようとしても、たいへん難しい。よく考えるとこれは、おかしいことである。かりに、彼女がタイピストであったとしよう。彼女がいちど会社をやめて、数年間の空白があったとしても、ふたたびタイプを打つことはできるはずである。なのに彼女が再就職をすることは難しいことなのである。なぜだろう。つまりこれも社会が用意しているワナである。
4.「主婦のパート」
それでも働きたいという女の行動はとめられない。家事労働をしっかりこなしたそのうえで働く場所を求める。その行きつく先が「主婦のパート」である。その収入は最低に安い。今、働いている女は確かに増えている。だが内訳を見るがいい。大部分がこの「主婦のパート」である。その女たちの収入と、「主人」の収入とには何杯もの開きがある。女の「経済力」は、「家計を助ける」ことに費やされる。けっして自立はできないわけだ。
いつしか女は、そんな自分を諦めの目をもって眺め始める。これでいいと思い込もうとする。社会って厳しいものと考える。そう社会は厳しい。へたに逆らわないほうがいい。それに女って無力なものだし、もともと家にいるものだし、「主人」と子供のために家事をするものなんだしね。あーあもうなんだか疲れちゃった。息子が大学を卒業したらもう外で働くのはやめよう。「主人」の収入で十分生活できるのだから。
社会は目的をこれで果すことになる。
5.男と女で家事労働を分担すること
こうした様々なワナをつき破って、女が少なくとも自立できるだけの「経済力」を持つにはどうすればいいのだろう。ひとつの鍵は、家事労働にある。近代になって女は家の中にいて家事労働だけをやればよいことになった。だからたとえ共働きの家でも女はひとりで家事労働をこなしている。「主人」は「家のことをしっかりやる自信があるんなら外で働いてもいいよ!」とか言えば、理解ある男だと見られ、そのうえ台所に立って時々手伝ったりするともう言うことなしだ。
だが、よく考えてみよう。これでは女は男の2倍は働くことになってしまう。「主婦のパート」にしか就けないのも、それが大きな原因なのだ。
ではどうするか。男と女が家事労働を分担すれば問題は解決する。そうすれば結婚するからといって仕事をやめることもないわけだ。男中心の今の社会で、だからといって完全な賃金差はなくならないだろう。しかし少なくとも女は男の収入がなくても生きていかれるくらいには「経済力」を持つことができるハズである。
今の社会では、男が「主婦」を兼業することには大きな抵抗がある。だが、そうすることで女が自立できるのなら、男は女と協力すべきである。それに、それは男が真に自立することにもつながるのである。女を家事労働に閉じ込めることで男は賃労働でこき使われるようになったのだから、男は、女がいなくては満足に生活できないのである。家事労働ができるようになれば、男は真に自立したことになる。そして、打算のはいらぬ男と女の関係は、自立した者どうしにおいて初めて成り立つのではないだろうか。
もちろん、心理的な抵抗だけでなく、実生活の面でも様々な抵抗がある。だがそうしたもろもろの事を乗り越えても試みる価値はあるのではないだろうか。
おわりに―最後の囲いを破るために―
以上、かなり荒っぽくはあるが、なんとかはじめにあげた問題に対する解答を書くことができた。おわりに、この論文のテーマを越えて残されている問題をとりあげてみよう。
Ⅱにおいて、近代社会になってから男は賃金労働者として「囲い込ま」れたと書いた。女はその男に囲い込まれたのだが、もしこれから女が男の囲いを破ったとしよう。すると、女は男と同じ位置に立つわけである。
だが、男と女は同じものにまだ囲い込まれたままである。そのままでは男も女も真に解放されているわけではない。これが残された問題だ。
しかしとりあえずは男と女が自分の足で同じ位置にしっかりと立つことである。立つことができたらなら今度は仲良く腕を組んで歩き出すのだ。方向はどこでもよい。必ず囲いにぶつかる。その時は2人でその囲いを破るのだ!
参考にした本
「沖永良部島知名町 民俗調査報告書」(鹿児島大学民俗研究会)
I.イリイチ「シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う―」(岩波現代選書)
C.ダグラス=ラミス「影の学問、窓の学問」(晶文社)
フォーラム・人類の希望編「シリーズ プラグを抜く 民衆による平和 平和的ジェノサイドとジェンダー」(新評論)
村瀬春樹「怪傑!ハウスハズバンド」(晶文社)
調査に御協力いただいた方
国頭 東武吉さん、国頭 名島アイさん、国頭 道村幸英さん、喜美留 伊地知季一さん、喜美留 伊地知マツさん
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