カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳『日の名残り』(中公文庫、1994年)を読む
8月10日(金)
原典は『The Remains of the Day』で1989年の作であり、長編としては第3作めである。この作品で著者は、イギリスで最も権威のある文学賞であるブッカー賞を受賞した。日本語訳は1990年に中央公論社から出版された。
過去2作の長編では日本人が主人公だったのだが、3作目の本作では1950年代のイギリス人の老執事を主人公にした。日本語訳しか読んでいないのだが、それでも執事らしいていねいな言葉づかいと生真面目な性格は伝わってくる。最初はイギリス人の老執事の話とかとっつきにくいのではと思ったのだが、こなれた日本語訳のおかげもあって、読み始めたら実に読みやすく最後まで楽しく読み進めることができた。
老執事は1920年代から格式のある大屋敷に勤めている。主人はイギリス人の貴族で忠誠を持って仕えてきた。だがその主人は第2次大戦の後、失意のうちに亡くなり、今ではその屋敷を買い取ったアメリカ人の主人に仕えている。ある日、老執事は休暇をもらい、主人の車を借りて旅に出る。かつて屋敷で働いていた女中頭から手紙をもらい、人手不足であることもあってもう一度、働いてもらえないか直に会って確かめるという目的もあった。
物語は旅行の途中で起こったことと20年代からの回想が、ほぼ時間の流れどおりに交互に進行していく。すべてが老執事の記憶に基づく記述であって、そのため、時々記憶があいまいになったり、ひょっとして間違っているのでは、もしくは自分の都合のいいように解釈しているのではという危うい感覚のまま物語を読み進めることになる。だが、この作品の場合、最後には、執事自身の記述によってすべての真実が明らかになるように描かれている。これは前に読んだ同じ著者の『遠い山なみの光』とは違う点である。
老執事は第一次大戦後から第二次大戦後までイギリス人の貴族に仕えていた。だからその描写は老執事の目から見たイギリスの政治史にもなっている。だが、老執事の苦悩は日本の知識人が同じ時代に経験した苦悩と共通していて、それゆえに日本人が読んでも共感できるのかもしれない。老執事は主人の、日本の知識人は政府の間違いを正すことができなかった。そんな自分を正当化する言葉を探しながらもどこかで自分を卑怯者だったと感じている。
ただ、この小説で老執事は最後に希望を語っていて、その言葉に嘘はないように思われる。それがこの作品の救いになっている。
(8月3日読了)
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