カズオ・イシグロ著、小野寺健訳『遠い山なみの光』(ハヤカワepi文庫,2001)を読む
6月1日(金)
原典は英語で書かれた『A Pale View of Hills』(Faber,1982)であり、カズオ・イシグロのデビュー作である。原典は8年前に読んで、その感想をこのブログに書いた。
http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2010/07/kazuo-ishiguroa.html
今回、日本語訳で読んでみて、読後感はあまり変わらなかったが、細かい設定を確認できた。また、訳者のあとがきと作家の池澤夏樹による解説で、この作品のテーマと文学的な意義について知ることができた。
英語で読んだ時はこの作品の時代設定を1950年代後半の長崎市と80年代前半のロンドンの郊外と思っていた。だが、本当は朝鮮戦争がまだ続いていた時代の長崎市と70年代後半のロンドン郊外だった。
だが、そうなると奇妙なことになる。作中にケーブルカーで長崎市の稲佐山を上っていくというエピソードがあるのだが、これは描写からロープウェイのことだと推察できる。だが、稲佐山にロープウェイができたのは1959年なのである。また1955年に完成した平和祈念像を見たような描写もある。これを作者が意図して書いたのだとすると、主人公の女性の中で記憶の改変が起こっていることになる。
では、稲佐山のエピソードの少女は誰なのだろう。主人公は万里子として記憶していたはずなのだが、最後の最後に「あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの」と語って、エピソードとの食い違いを見せる。エピソードではまだ妊娠3、4ヶ月の頃のはずで、それにしてはこの語りは不自然だ。考えられるのは、この主人公が万里子と景子の記憶を混同して定着させたということである。
そう考えると、この小説の表面上のテーマが女性の自立であり、世代の対立であるのだとしても、底流にあるのは著者の文学の根本のテーマである記憶の問題であることが見えてくる。わたしたちは、この主人公の女性の記憶をどこまで信用していいのか、宙吊りなままでこの薄暗い物語を読み終わることになる。
(5月21日読了)
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