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2017.10.30

制服論議より大切なこと(26歳の頃の文章―高校の職員会議にて)

10月30日(月)

最近、高校で地毛を黒髪に染めるように強要されたことに対して裁判を起こした女生徒のことがニュースになっていて、ふと、定時制高校で教員をやっていた頃に書いた文章のことを思い出しました。たしか1988年の9月に書いた文章で職員会議で配ったような記憶があります。当時26歳でした。すでに9月末に退職して青年海外協力隊に参加することが決まっていたので、最後のメッセージのつもりだったのでしょう。以下にその文章を載せておきます。ブログ用に改行の仕方などは変えましたが、誤字・脱字も含めて文章はそのままです。

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制服論議より大切なこと

7月の末から継続中の頭髪・服装指導も、制服を着てこない者は欠課扱いという大詰めの段階に入った。

今回の指導の背景には、「生徒が荒れている」という認識がある。その荒れを克服するために、まず服装を!という訳である。

だが、その考え方は、倒錯している。服装の乱れは、荒れの現象の1つにすぎない。現象の1つを叩いてもまた別の現象が吹き出してくる。イタチごっこを繰り返すだけである。

ではどうすればいいのか。

1.生徒会自治の大幅な拡大

今の学校には生徒同士の交流ができる場が乏しい。クラス全体で取り組む材料が不足している。そのため、クラスとはいってもグループに分かれていてバラバラである。

まず生徒の権限を拡大すること。その権限を使いこなせるよう教師の側から働きかけることが必要である。

楽しいことから始めよう。文化祭を本当の祭りにする。今年の文化祭は、3日間にする。祭りには一切の制約を外す。企画から実現までを生徒会の自治にまかせる。ロックは無条件に演奏できなければならない。模擬店をひらくのもいいだろう。(私は大学祭をイメージしている。ガラスが割れ、車が火を噴き、あちこちでケンカが起こる。3日3晩騒ぎまくり、死ぬほど酒を飲み、あの解放感は、もう2度と味わえない。)

2.生徒への問題提起・クラス討議・臨時生徒会

(1)生徒への問題提起

教師一同の署名を入れ、私たちが現在何を共通の問題としているのかを文書の形で生徒全員に提起する。その時、ただ問題を提起するだけでなくその解決案を出しておくことが重要である。

(2)クラス討論

その文書を元に、クラスで討議する。ここで結論を出すのではない。論議の土壌を作っておくのである。

(3)臨時生徒総会

全校生徒・全教師の参加による臨時生徒総会を開く。ここでは教師にも発言権がある。意見の交換の後、結論を出す。

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2017.10.24

仏教の入門書を2冊読む

10月24日(火)

仏教には以前から関心があって少しずつ本を集めているのだが、中々読めないでいた。今回ようやく入門書を2冊読むことができたので、感想を残しておきたい。

1.呉智英著『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房)

著者の職業は漫画評論家だが、東洋思想や日本の古典、キリスト教、現代思想と幅広い読書を重ね、その中で独自の思想を形成してきた。本書は、そんな著者らしく、仏教の特に哲学的な側面について様々な角度から検討している。著者は仏教徒ではなく、誰に遠慮する必要もないため、釈迦の教えの矛盾をはっきりと指摘する。

初期の仏教からやがて大乗仏教が生まれ、大乗仏教は中国への伝播と受容の過程で荘子の思想と混ざってしまう。中国経由で日本に伝わった仏教は、それゆえ荘子の思想が混ざった大乗仏教である。そして日本の土着の宗教とも混ざり合い、もはや釈迦の教えとは似ても似つかぬものになってしまった。日本の仏教が衰退しているのは、教えの原理的な検討がなされていないからではないかと著者は問題提起する。

かと言って著者は釈迦の教えに帰れと原理主義的な主張をしているわけではない。仏教の教えを仏陀の教えから検討することで仏教の更新が必要だと主張しているのである。

(9月23日読了)

2.釈徹宗著『とらわれない 苦しみと迷いから救われる「維摩経」』(PHP)

著者は浄土真宗の住職であるが、宗教思想の研究者でもある。そのため、著書には仏教の思想的な検討をしたものと宗教的な実践の方法を示したものとがある。住職であるにも関わらず、浄土真宗にはキリスト教的な救いの宗教の側面があることも指摘している。

この本は大乗仏教の成立の初期のお経である「維摩経(ゆいまぎょう)」を訳したものである。とはいえ全訳ではなく抄訳で、しかもかなりの超訳になっている。この本の目的は、大まかにお経の内容を伝えながら、大乗仏教の核心を伝えることにある。

維摩という人は在家信者なのだが、出家の菩薩様でもかなわない最強の在家信者という設定になっている。この人は世俗の中で暮らしながら、仏になる道を歩いている。その何事にもとらわれない生き方は、今の世を生きる私たちにも参考になるはずだという確信が著者にはあるようだ。

(10月17日読了)

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