東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』(genron)を読む
9月24日(日)
先月末に読み終えてすぐ感想をブログに上げるつもりだったのに、なぜか自分の中で感想がしっくりまとまらないままに時間が過ぎてしまった。読み終えた直後は、哲学書にしては嘘みたいにわかりやすいと思ったのだが、1か月近く経ってみるとまるで霧の中にいるように内容が捕まえられない。やはりわかっているようで、よくわかっていなかったのだろう。なのでここでは感想というより読んだ印象を残しておきたい。それはひょっとしたらまったくの誤解かもしれない。
近代になって大衆が出現した時、知識人はその存在を概ね否定的に評価してきた。知識人にとって大衆は啓蒙すべき存在だった。
だが著者はむしろ大衆それ自体の中に新しい政治の可能性を見ている。そのキーワードが観光客という概念で、それは現実の観光客から哲学的に抽象した概念である。観光客は近代の旅行の大衆化の中で生まれた。その観光客の動きに世界を変える力を著者は見出しているように思える。
では、私たちがただ観光をしていれば世界は変わっていくのかというとそうではないと著者は言う。観光客という概念は現実を把握するためには有効な概念だが、それは行動の指針となる倫理的な概念ではないからだ。倫理的な概念については著者もまだ考えがまとまっていなくて、とりあえずの試論として出したのが「第2部家族の哲学(序論)」である。本書は2部構成で第1部が「観光客の哲学」なのだ。
かつて大衆を徹底的に肯定した日本の思想家に吉本隆明がいて彼は「大衆の原像」という概念を自らの思想の公理として選び取っていた。本書の「観光客」は「大衆の原像」の読み換えとも捉えることができて、だとすると展開次第では吉本思想の更新にもつながるのではないかという個人的な期待もある。
(8月29日読了)
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