上野千鶴子著『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(紀伊國屋書店)を読む
8月7日(木)
近代日本社会を分析する際に、ミソジニー(女性嫌悪・女性蔑視)をキーワードに腑分けしていくと、日本の家族や男女に関する様々な問題が解けていく。一面的な理屈と感じる部分もあるが、概ねこれでいいような気もする。よくできたフェミニズム理論である。
ただ、読み進めるうちに引っ掛かる所は何ヶ所もある。たとえば、
―これまでの一生で、男のうちで、「女でなくてよかった」と胸をなでおろさなかった者はいるだろうか。女のうちで「女に生れてソンをした」と一度でも思わなかった者はいるだろうか。(p.8)―
これまでの半生で「女でなくてよかった」と思ったことはないが、「男に生まれてソンをした」と思ったことは何度かある。
―女を性的客体とし、それを貶め、言語的な凌辱の対象として共有する儀礼トークが猥談だ。下半身ネタを語ればすなわち猥談になるわけではない。猥談には作法があり、ルールがある。(p.32)―
女たちが女子会で語る下半身ネタは猥談ではないのだろうか。
―男と認めあった者たちの連帯は、男になりそこねた者と女とを排除し、差別することで成り立っている。(p.29 )
男の連帯とかどこの話なのだろう。むしろ近所のコミュニティで強いつながりを持っているのは女の方ではないのか。
次々と湧き上がる疑問を取りあえず抑えて、著者の考える前提をすべて正しいと仮定して我慢して読み進めていくと、やがて霧が晴れるように、この世の中で起こっていることが、スッキリと見通せるような気がしてくる。そういう意味では、この本の理論はかつてのマルクス主義やフロイトの精神分析の理論に似ている。それだけでかなりのことが説明できてしまうのである。
理論の前提は変わりうるし、著者自身もやがて自分の理論が古臭くなるような社会になってもらいたいと語っている。だが、今のところは、著者のこの徹底して記号論的な理論の現実妥当性を認めるしかないようである。
(7月28日読了)
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