堀辰雄著『風立ちぬ・美しい村』(新潮文庫)を読む
9月7日(土)
「美しい村」と「風立ちぬ」。この2つの小説を読んだ後にアニメ『風立ちぬ』を見に行った。このアニメはすでに7月31日に見ていたのだが、細部でよくわからない所があったため、とりあえず堀越二郎と堀辰雄の本を読んでからまた見てみようと2冊の本を買ったのだった。
堀越二郎の本についての感想は先に述べたので、次は堀辰雄である。この2つの小説を読み終えた印象は、一言で言うと、雲のようにふわふわしているということである。そういう点ではアニメはこの空気感を取り入れているのかもしれない。
「美しい村」は重い病の後に療養をかねて初夏の軽井沢にやってきた男が主人公。病み上がりの重い心を抱えたまま、別荘のある森の中を歩き回る記述が前半にあり、後半には、その地で絵を描く少女と出会い、親密さを深めていく様子が描かれる。本当に現実にあったことのような書かれ方をしている。小説の構成はバッハの小フーガにヒントを得たそうだが、わたしにはよくわからなかった。
「風立ちぬ」はその少女と思われる女性との軽井沢での生活の続き、そしてその女性が重い結核にかかり、恋人の私の付き添いで山の中の療養所で過ごす日々が描かれる。「美しい村」にあったような下世話な現実感はなくなり、より洗練された詩的でかつ哲学的な文章になっている。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」は私の口からふいに出てきた詩句として出てくる。だがこの詩句の意味することと小説とのつながりはよくわからない。ただ作中で主人公は「皆がもう終わったと思っているところから始まっているようなこの生の愉しさ」を小説に書きたいと言っている。この作品がそういう作品になっているとは思えないが、死に向かいつつある生の相をうまく描けているとは思う。
堀辰雄はフランス文学の新しい話題作を熱心に読み、その最新の手法を積極的に自身の小説に取り入れたと言われている。わかっている人が読めば、誰の作品のどんな文章かわかるような書き方で、そういう引用による作品の作り方から堀辰雄の作品を今のサブカルの源流の一つと見る向きもある。
武器マニアでアニメ職人の宮崎駿が、堀越二郎だけでなく、堀辰雄にも敬意を表して自身の最後の長編アニメ作品の中核に据えたのには、そういう理由もあるのかもしれない。
(8月29日読了)
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