青来有一著『爆心』(文藝春秋)を読む
6月3日(月)
長崎在住の芥川賞作家・青来有一の短編集。「釘」、「石」、「虫」、「蜜」、「貝」、「鳥」の6編が収録されている。初出は『文学界』で各々2005年2月号、7月号、8月号、2006年1月号、3月号、7月号に掲載された。『聖水』で芥川賞を受賞したのは2001年なので、それから4、5年後の作品ということになる。
青来作品は『聖水』に収録の最初の短編「ジェロニモの十字架」を何とか読み、次の「泥海の兄弟」を読みかけた所で力尽きていた。隠れキリシタンの信仰がテーマのようで、宗教には興味がなかったものだから、読んでいるうちに苦痛を感じて読むのを止めた。わたしには関係ない小説だと思った。
今回、『爆心』を読む気になったのは、今度、この本が『爆心 長崎の空』として映画化されることを知ったからである。せっかく故郷の長崎が舞台の映画が公開されるのだから、見る前にその原作も読んでおこうという気になった。
読んでみると、やはり最初の「釘」を読むのはかなりの苦痛だった。長崎弁で書かれた文体が読みづらく、しかも、隠れキリシタンの末裔の老人が、統合失調症で嫁を殺害した息子のことを語るという何ともやりきれない話だったからだ。だが次の「石」は文体にも慣れてきたのか、比較的ユーモラスな話だったからか、読後感もよく、そのことで次第に青来ワールドへと入れるようになった。一旦入ってしまえば、作家の表情や息遣いまで感じられるような繊細な文体を楽しめるようになる。
この短編集には様々な人物が登場するが、直接的なテーマは長崎の隠れキリシタンの信仰と被爆体験だろう。隠れキリシタンは長く迫害を受けながらも信仰を守ってきたが、原爆を落とされて聖地の浦上天主堂が吹っ飛んでしまう。原爆はキリシタンの信仰の中心地に落ちたのである。その時以来隠れキリシタンの末裔たちの信仰にゆらぎが生じる。この短編集では様々な形の信仰のゆらぎを描いているように見える。ある時は病者にある時は被爆女性にある時は老人にと主人公は様々で、そこに長崎の民俗的な伝承の記憶も加わって、作家の想像力は実に多様なゆらぎを描いてゆく。
そのことで、この作品群は現代を生きるわたしたちの<信>の問題ともつながってくる。この現代社会において、わたしたちは何を信じればいいのか、何も信じることができないとしたらわたしたちはこれからどうなるのか。そんなより普遍的な問いがこの短編集では問われているようでもある。
(雲仙普賢岳噴火の日に)
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