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2013.05.19

過去の読んだ本の感想(シリーズ)1

5月19日(日)

これからは、読んだばかりの本の感想だけでなく、過去にノートやワープロに書いていた読んだ本の感想も載せることにしました。ノートだと紛失することもあるし、ワープロだとパソコンが壊れた時にバックアップを忘れてその間の記録がなくなったりします。実際、過去にそういうことがありました。ブログに残すことで、記録のバックアップ代わりになると考えました。かといって文章全部を書き写すのには手間がかかるため、とりあえず読んだ本の感想だけに限ることにします。まずは1981年4月3日(金)の文章より。

―原発ジプシー 堀江邦夫 現代書館

あらすじ

1978年10月から79年4月までの著者の原発労働者としての体験ルポ。美原、福島、敦賀原発を渡り歩く「原発ジプシー」を行った。

感想

堀江氏のルポを読んで初めて原子力発電所の実態がおぼろげながらわかった。私はこれを読むまで原発労働者のことを少しも考えていなかった。ましてや彼らが被ばくしているなんてまったく知りもしなかった。私は今まで何も知らされてはいなかったのだ。

もうだまされない。竹村健一をはじめとするニセ者のたわ言にはもう二度と耳を貸すことはないだろう。私たちが考えていかなければならないのは、原発以外のエネルギーを開発することではないだろうか。―

2013.05.16

32年前の読んだ本の感想

5月16日(木)

1978年3月末から、本を読むとそのタイトルと出版社、読んだ日付けをノートに記録するようになった。高2になる前の春休みだった。同じ時期から日記も書くようになって、たまに読んだ本の感想も書いていた。だが、1978年から85年頃の日記は引っ越しの時になくしてしまった。ただ、1981年3月だけは読んだ本を記録するノートに感想も書いていた。だから1981年3月6日(金)の読んだ本の感想が手元に残っていて、これが自分の中で最も古い読んだ本の感想ということになる。当時は19歳だった。せっかく思い立ったのでこのブログに記録しておきたい。

―戦場の村 本多勝一 朝日選書

1966年12月から1967年10月までのベトナム戦争とベトナム人の生活を取材したルポルタージュ。全体は六部で構成され第一部から第四部まではベトナムの一般民衆の生活を、第五・六部では戦争そのものを取材している。サイゴンの市民、山岳民族、デルタ農民、中部の漁民の生活をじっくり追ったあと、アメリカ・韓国軍に従軍、そして解放戦線にはいりこんで取材をしている。

思ったより感動がなかった。私の想像力が足りないせいであることは分かっている。じわじわとにじみでてくるような味わいをむしろ感じた。ベトナムにアメリカ兵がいることが何とも不思議なことに思えた。それは本多氏が徹底的に民衆の側からこの戦争を見すえようとする姿勢から生れるものであろう。

自分の「経験」が足りないことを強く感じる。ここに書かれた素朴な生活。それが私にはない。もっと根を張った生活を送りたいのにどういうわけか実にあやふやなのだ。ベトナム人がうらやましい。

解放戦線の兵士は多くが「殉死の相」をしていたという。何者にも負けない厳しい表情。澄んだ目。私はできればこういう人々のようになりたい。

自国の真の独立を願って戦い、彼らはついに勝利した。1975年ベトナムはひとつの国、ベトナム社会主義共和国となった。多くの犠牲の上にアメリカ合州国に勝ったのだ。

現在、世界には様々な問題がある。ベトナムもいろいろ大変なようだ。そして日本にもまた、複雑な問題がある。私にはそれらにたちむかう気力がない。ベトナム戦争。これからのアジア。そして日本。気力、体力が欲しい。―

2013.05.14

梶尾真治著『ダブルトーン』(平凡社)を読む

5月14日(火)

熊本在住のSF作家・梶尾真治の長編小説。2010年7月から12年2月にかけて連載されたものが加筆・訂正されて、昨年5月に単行本として出版された。今年の6月下旬からは、NHKのBSプレミアムで連続ドラマも放映される。

熊本市内に住む30代の主婦と20代の独身女性、二人はいつの頃からかお互いの記憶を共有していることに気づく。その謎を互いに追求する中で、二人とも恐ろしい出来事に巻き込まれてゆく。

主婦と独身女性の平凡な日常が、SFとオカルト風味な設定が加わることでドラマチックに変化してゆく。そこに池波正太郎も顔負けの料理の描写も加わり、独特の梶尾ワールドが形成される。

著者は今年で66歳になるが、アイディアの泉はつきることはなさそうで、まだまだ、わたしたちを楽しませてくれそうだ。

(5月6日読了)

2013.05.10

山本美香著『戦争を取材する 子どもたちは何を経験したのか』(講談社)を読む

5月10日(金)

著者の山本美香さんは戦争ジャーナリストで、昨年8月20日にシリアで取材中に、政府軍の銃撃を受け死亡した。この本は2011年7月に発行されている。著者の執筆によるものとしては最後の著作である。講談社の「世の中への扉」という小学生むきノンフィクションシリーズの中の1冊であり、小学上級からを対象に平和をテーマに書かれている。

著者はまず自分がなぜ戦争ジャーナリストをしているかを語る。戦争の現場で起こっていることを世界中に伝えることが自分の仕事であること、そのことで少しでも世界が平和になるのではないかと信じてこの仕事をしていると著者は言う。

次に、著者自身が取材してきた地域を素材に、戦争になるとどうなるのか、具体的なできごとを上げながら説明してゆく。レバノン、コソボ、ウガンダ、アルジェリア、アフガニスタン、イラク、チェチェンと取材先は世界各地に及ぶ。地雷で負傷した子どもたちやゲリラにさせられた少年たち、戦争PTSDに苦しむ子どもたち、親と死別し廃墟に暮らす子どもたち、難民キャンプでの生活など、主に、子どもたちの過酷な経験とそれでも生きようとする子どもたちの様子を伝えている。

戦争はいったん始まったら終わらせることが難しい。だからこそ始めてはいけない。どうすれば戦争を起こさないで済むのか、今10代のみんなも考えて欲しいと著者は訴えている。

小学上級から向けの本のためけっして難しい言葉は使っていない。それだけに著者の真摯な気持ちがストレートに伝わってくる。著者の志は生きているわたしたちが引き受けるしかないだろう。

(5月2日読了)

2013.05.09

村上春樹著『1Q84 BOOK3<10月‐12月>』(新潮社)を読む

5月9日(木)

この本は2010年4月に発売された時にすぐ買ったのだが、途中で読むのを止めていた。今回、著者の新作が出るということで、読みかけの本を再び読み始め、3年越しでようやく読み終えた。ちなみにこの作品はBOOK3であり、BOOK1とBOOK2は前年にまとめて出版されている。その感想は当時のブログに書いてある。

http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2009/06/1q84-book146-fe.html (BOOK1)
http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2009/07/1q84book279-4c5.html(BOOK2)

BOO1と2は青豆と天吾の章が交互に進行していたのが、BOOK3では牛河という二人の秘密を探る醜い男の章が加えられる。視点が3つになったわけだが、物語が複雑になるわけではない。物語の中でBOOK1と2の主題は背景に退き、BOOK3は天吾と青豆がいつ出会えるか、どうやってこの世界から抜け出すかという1点に収斂していく。BOOK3では作家の視点まで顔を出す。そのことでこの世界の作りモノ感が増してゆく。登場人物がまるでゲームのキャラクターのように感じられてくる。

この長い物語を読み終えた時、読者は、自分が濃密な物語空間の中で過ごせたという充足感を味わうだろう。だが、物語のメッセージは意外なほど単純である。自分がどんな世界に迷い込むことがあろうとも、好きな人と出会って共に生きることが大切なことであるし、それこそが人間にとって確かな生き方であるということである。だが、おそらくこのメッセージはこの物語を作るために必要であっただけで、作者はそういうことは信じていないのだろうなという感じも残る。

(5月1日読了)

2013.05.04

映画『リンカーン』を観る

5月4日(土)

1日(水)の映画の日に、新宿ピカデリ―で映画『リンカーン』を観てきた。リンカーンの伝記風な物語でないことは事前に予告編を観ていたのでわかっていたけど、実際に見てみると、有名なゲティスバーグ演説よりも後の、南北戦争も終わりに近づいた1865年初めのわずか1ヶ月間の物語だった。

物語の中心にあったのは、憲法改正である。リンカーンは合衆国憲法に奴隷制廃止の修正条項を加えようとしていた。奴隷解放宣言はすでに行ったもののその宣言に法的な根拠はなかった。そこで憲法の改正をすることで奴隷制を永遠に合衆国から葬り去ろうとしていた。だが、そのためには与党・共和党内のさらに過激な改正を要求する急進派の説得と改正に反対している野党・民主党から20名の賛成者を出すことが必要だった。

また、この提案は奴隷制を保持している南部諸州が復帰してからでは成立は不可能であるため、戦争が終結する前に成立させる必要があった。

物語はそのための多数派工作と戦争終結の交渉とを織り交ぜて展開していく。わたしはアメリカの歴史にくわしくないので、正直なところ、登場人物についてよくわからない所があった。たぶんアメリカ人にとっては日本の大河ドラマの登場人物のように、お馴染みの人たちなのだろう。そのお馴染みの人たちが出てきましたよという演出で、そこにはあまり付いていけないところもあった。

ただ、そんな勉強不足なわたしにも、リンカーンの真摯な気持ちは伝わってきた。リンカーン自身もけっして偉人ではない。1人の悩み苦しむ人間である。だが、奴隷制を廃止したいという気持ちの強さだけは超人的だった。

なぜそうまでしてリンカーンは奴隷制を廃止したかったのだろうか。それは、南北戦争を戦った60万人を越えた死者たちのためなのであろう。有名なゲティスバーグ演説は次の言葉で終わっている。それがリンカーンの真に成し遂げたかったことなのである。

―われわれはここで強く決意し、亡くなられたこれらの人たちの死を無駄にしないように、この国が神の下で新たな自由を生み出せるように、そして、人民の、人民による、人民のための政治がこの地上から滅びることがないようにしようではありませんか。(1863年11月19日)―

今、わが国でも憲法を改正しようという動きがある。はたしてそれは日本が日本らしい国として永遠に続くために必要なことなのだろうか。どのような憲法なら日本という国の形にふさわしいのか。『リンカーン』を観ることで日本の憲法についていろいろと考える機会にもなった。

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