田口ランディ著『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ 原子力を受け入れた日本』(ちくまプリマー新書165)を読む
8月4日(土)
なぜ日本は被爆国なのに原発を受け入れたのだろうか。なぜ日本はアメリカに原爆を落とした罪や水爆実験の罪を問わないのだろうか。なぜ反原発の主張は反体制運動と結びつけられるのだろうか。1959年生まれの著者は、歴史を辿ることで自分の中に湧き起こる疑問を解決しようとする。その行動のきっかけとなったのは、1999年の東海村の核燃料臨界事故だった。
そうした疑問はわたし自身の中にもあり、ただ、わたしはその疑問をいつの間にか飼い慣らしてしまい、いつしか問うことをやめていた。今、この本を読もうという気になったのは、昨年の福島第一原発事故によって眠っていた疑問がまた湧き上がってきたからである。
著者の解答には納得できる部分もあり、納得できない部分もある。それでもここまで歴史を手際よく整理した力量はかなりのものである。同じような疑問を持つ人はまずこの本を読むべきだろう。
著者は後半の章でレオ・シラードという科学者に焦点を当てる。原爆の開発者の一人でありながら、原爆の使用を止めるために奮闘し、戦後は核軍縮の原則を提言した。核兵器を廃絶することの不可能性とそのコントロール可能性を示した提言そして対話することの重要性を訴える彼の姿勢に、著者は日本の未来の方向を見出そうとする。
終章ではロバート・リフトン著『アメリカの中のヒロシマ』を紹介している。それは原爆投下を実行してしまったアメリカの精神分析の書であり、アメリカによる歴史の「黙示録的な隠蔽」の可能性が指摘されているらしい。著者は、日本もその隠ぺいに無意識のうちに加担しており、そのことが私達に混乱を招いているのではないかと言う。何だか文学的な表現だけど、そう言えば著者は小説家なのだった。
(7月30日読了)
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