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2012.07.21

呉智英著『真実の「名古屋論」』(人間社)を読む

7月21日(土)

副題はトンデモ名古屋論を撃つで、まずは名古屋について言われている俗論を、ある「県民性評論家」を俎上に載せて徹底的に批判するところから始まる。その後、名古屋、尾張の文化について論じるという構成になっている。

著者はまず県民性というもの自体が俗論であるとしてしりぞける。その批判の切り口はあいかわらず鋭く、著者をよく知っている人なら、先生やってますなという感じである。だが、批判の相手が「県民性評論家」という珍妙な肩書の無名の学者もどきであるため、何もそこまでという気もしてくる。呉智英は30代の頃に著名な知識人を叩くことで名を揚げたのだが、60代になっても同じようなことをしかも小物相手にやっているというのはどうなのだろう。

また、後半の名古屋、尾張文化論も、確かに知らないことだらけで民俗学や尾張名古屋の郷土史に興味のある人にはおもしろいと思うのだけど、反面その程度のことはどこの地方にもあるんじゃないかとも思える。世界的な思想や宗教とのつながりを強調してはいるけど、それだってどこの地方でも深く掘れば出てくるはずである。

全体として批判としても論としても呉智英にしては何とも物足りない本になっている。残念。

真実の「名古屋論」 トンデモ名古屋論を撃つ (樹林舎叢書)

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2012.07.12

石井光太著『物乞う仏陀』(文春文庫)を読む

2012年7月12日(木)

著者は、90年代半ばの学生時代にパキスタン国境へとちょっとした冒険気分で旅をする。その難民キャンプで様々な障害や病を負った無数の物乞う人々を見て衝撃を受ける。このような人々は他の国にもいるのかと、休学してまでアジア各地へと旅をする。そしてどの国にもそのような物乞う人々がいるという現実を突きつけられる。

大学を卒業して一旦は就職するが、やがて彼らは具体的にどう生きているのだろうという疑問にとらわれ始め、その答えをむしょうに知りたくなり、2002年の夏、25歳の時に仕事を辞めて、アジアの物乞う人々と出会う旅を始める。この本は、その旅の記録である。

この本を読んでいると、そういう純粋な若者の自分探しの側面と後にノンフィクションライターになる著者の取材者としての側面が入り混じっていて、作品としてはちょっと坐りが悪い感じがする。

この作品の著者は若者らしく悩み苦しんでいる。その中で物乞う人々と出会う。だからその描写には著者の感傷が必ず混ざって来る。その感傷がやや過剰で個人的にはあまり共感できないのだが、著者は相手の現実を冷徹に見る目も持っていて、そこからは相手の生きる実相を感じ取れる。

処女作とはそういうものなのかもしれない。処女作には著者のすべてが含まれるとよく言われるように、この作品にも著者の良い面と悪い面のすべてが含まれている。次の作品を読みたくなるような、様々に拡がる可能性を感じさせる作品になっている。

(7月10日読了)

物乞う仏陀 (文春文庫)

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