井上靖著『わが母の記』を読む
5月16日(水)
今、全国の映画館で上映中の『わが母の記』の原作。井上靖の実母の80歳から89歳で亡くなるまでの様子を描きながら、死や老い、家族について考えたことを綴った、著者曰く「小説とも随筆ともつかぬ形」の作品である。「花の下」、「月の光」、「雪の面」の3章があり、各章は、母親の80歳、85歳、89歳の時点で書かれている。
著者の母は老いとともに様々なことを忘れてゆく。今自分の言ったことを忘れて何度でも同じ話を繰り返す。やがて夫のことを忘れ、最近のことを忘れ、子供のことも忘れてゆく。それでも足腰は丈夫なものだから、子供たちは母親に散々に振り回されてしまう。
子供たちはそんな母親を見て、子供に還っているのだとか生きるのに不要なものがはがれていっているのだと話し合う。母親の様子は歳を取るごとに次第に変わってゆく。そんな中で、読者も老いとは何か、生きるとは何か、生きるのに必要なものは何かと様々な思いを抱きながら読み進めることになる。
映画の方は、幼少の頃に母に捨てられたと思い込んだ男が最後に母の自分への想いを知って救われるという話だったが、現実は身も蓋もなくて、母親は最後には何もかも忘れて死んでゆく。だが、それでもこの本の読後感がいいのは、この母親のような死も一つの良い死だからだろう。
今だったらこの母親は認知症と診断され、病院でベッドに縛り付けられたまま死ぬのかもしれない。この母親の老後を支え、このような死を支えたのは、かつての日本の家族だったのである。
(5月13日読了)
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