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2012.05.21

宮下恵茉著『あの日、ブルームーンに。』(ポプラ社)を読む

5月21日(月)

この本のタイトルを見て、まずブルームーンって何だろうと思った。でもそのうちわかるだろうと読んで行くとやはり途中で説明があった。何でもひと月のうちに満月が2回見えることがあって、その2回目をブルームーンと呼ぶらしい。そしてブルームーンに願い事をするとその願い事がかなうという。

物語は中3の内気な女の子の胸がきゅんきゅんする初恋物語なのだけど、ただこの物語では、自分の恋の行く末を振り返る高3の主人公が最後に登場する。そしてこの物語のおわりは、新しい物語のはじまりを暗示している。まるで、月が新月となり、また新しい周期を迎えるように。

ブルームーンは元々、月が青く見えるという珍しい現象を指す意味しかなかったのに、ある天文雑誌の誤解から冒頭のような意味が加わったらしい。また、ブルームーンには様々なイメージが付加されている。

そのような多義的なイメージのタイトルのように、物語は誤解やすれちがいや困難の連続で進んで行く。この初恋はけっして簡単には成就しそうもない。それでも内気だった女の子は、いつしか必死になって問題に立ち向かってゆく。

児童文学ではえてして結末はファンタジーになったり、子供たちだけの努力で問題が解決されたりする。だが、著者の資質なのか、この物語はあくまでも現実の中で止まる。そしてその現実の中に希望を見出せるのがこの物語の特徴である。

(5月19日読了)

あの日、ブルームーンに。 (teens' best selections)

読み助の本棚

2012.05.16

井上靖著『わが母の記』を読む

5月16日(水)

今、全国の映画館で上映中の『わが母の記』の原作。井上靖の実母の80歳から89歳で亡くなるまでの様子を描きながら、死や老い、家族について考えたことを綴った、著者曰く「小説とも随筆ともつかぬ形」の作品である。「花の下」、「月の光」、「雪の面」の3章があり、各章は、母親の80歳、85歳、89歳の時点で書かれている。

著者の母は老いとともに様々なことを忘れてゆく。今自分の言ったことを忘れて何度でも同じ話を繰り返す。やがて夫のことを忘れ、最近のことを忘れ、子供のことも忘れてゆく。それでも足腰は丈夫なものだから、子供たちは母親に散々に振り回されてしまう。

子供たちはそんな母親を見て、子供に還っているのだとか生きるのに不要なものがはがれていっているのだと話し合う。母親の様子は歳を取るごとに次第に変わってゆく。そんな中で、読者も老いとは何か、生きるとは何か、生きるのに必要なものは何かと様々な思いを抱きながら読み進めることになる。

映画の方は、幼少の頃に母に捨てられたと思い込んだ男が最後に母の自分への想いを知って救われるという話だったが、現実は身も蓋もなくて、母親は最後には何もかも忘れて死んでゆく。だが、それでもこの本の読後感がいいのは、この母親のような死も一つの良い死だからだろう。

今だったらこの母親は認知症と診断され、病院でベッドに縛り付けられたまま死ぬのかもしれない。この母親の老後を支え、このような死を支えたのは、かつての日本の家族だったのである。

(5月13日読了)

わが母の記 (講談社文庫)

映画『わが母の記』

読み助の本棚

2012.05.08

的場昭弘著『超訳『資本論』』(祥伝社)を読む

5月8日(火)

これは、19世紀の巨大な思想家・マルクスの大著の代表作『資本論』を新書1冊にまとめた本で、『資本論』全3巻のうちの第1巻部分を本文の流れに即して解説したものになっている。『資本論』はマルクスが実際にまとめたのは第1巻だけであり、エンゲルスが編集した他の巻についてはあまり顧みられなくなっている。出版社の中には第1巻しか出さない所もあるくらいである。実際、第1巻を理解できれば、マルクスの思想は大枠で理解できたと言えるだろう。

私も学生時代にマルクスとエンゲルスの様々な著作を買った。『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』や『空想から科学へ』、『賃労働と資本』、『共産党宣言』、『経済学・哲学草稿』、『経済学批判』、『資本論』(第1巻部分のみ)などである。でも読み通したのは『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』と『空想から科学へ』だけで『資本論』も100ページくらい読んで挫折した。

当時からマルクスの思想や社会主義思想は古臭いと言われていた。私もわかったような顔をして旧左翼批判をしていたけど、実際は社会主義思想が何なのかよく理解できていなかった。資本主義は繁栄を続けており、社会主義国のソ連や東ドイツ、中国、北朝鮮は貧しい独裁国家で、人々に自由がなかった。一応、マルクスとエンゲルスの本くらいは読んどけみたいな知的雰囲気はまだ残っていたけど、私にはあえて全部読み通す気力がなかった。

やがて東ドイツとソ連が崩壊し、社会主義は完全に息の根を止められたように見えた。日本でも社会党が分裂し、旧左翼としては社民党と共産党だけが生き残った。私もマルクスや社会主義への関心を完全になくした。

だが、最近、資本主義自体も何だかおかしくなってきた。民主主義と資本主義という2本立てで世界は当分続くだろうと思っていたのに、どちらにもおかしなできごとが次々と起こってきた。日本国内では貧困と格差の問題が起こる一方、政府は財政難に苦しみ、自民党と民主党という2大政党が衆参でねじれたところへ東日本大震災が起こって、原発事故と津波による被災からの復興も中々進まない。こんなことは日本だけのことなのかと思ったら、アメリカやヨーロッパもかなりおかしなことになっている。

この本を読むと、マルクスはすでに19世紀後半の段階で、資本主義が行きつく果てにはそういうことが起こると、世界市場の規模で原理的に考察していたことがわかる。その考察の射程は21世紀の今に届いている。資本主義は、そのシステム自体にシステムを崩壊させる要因を抱えている。今まで、様々な経済学者がそのことに気づき、政府や国際社会の協調によって調整する方策を考えてきた。だが、ついに資本主義は果ての果てにまで近づきつつあるのではないか。

今、マルクスを読み直すことで何かが解決されるとは思えないけれど、資本主義というシステムが崩壊したあとにあらわれてくる未来社会のビジョンについてもっとも説得力を持っているのが、私にとって今のところ『資本論』だけである以上、とりあえず1巻だけでも読んでみるしかないなと思い始めている。その時に、この超訳本を読んだことがきっと役に立つにちがいない。

超訳『資本論』 (祥伝社新書 111)

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