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デイル・ドーテン著、野津智子訳『仕事は楽しいかね?』(きこ書房)を読む

3月24日(土)

自己啓発書やビジネス書のような類の本は内容の薄いことが多く、最近はあまり読むこともなかったのだが、タイトルに惹かれて読んでみる気になった。主人公は中堅のビジネスマンで、5月の大雪で空港に足止めを食らった時にマックスという名の老人と出会う。マックスは発明家・起業家として有名な人だった。彼は主人公と一晩語り合う中で、主人公にビジネスの極意を授けてくれる。それはビジネス書によくあるような教えを否定した、一見するとシンプルな極意だった。

毎日変わり続けること。そのために自分の仕事の内容を徹底してリスト化すること。そのリストを常に更新し続けること。その結果出てきたアイディアを常に試し続けること。

極意と言えるのは要はこれだけだから、例によって内容の薄い本と言えなくもないけど、これは試してみる価値のあることではある。社会で成功した人は、実は人一倍失敗した人でもある。それは日本のように失敗を許容しない社会においても、成功者の一人一人をよく見ると確かに当てはまっている。

いろいろなアイディアを試してみる。そのアイディアのヒントは今やっている仕事の中にある。十中八九は失敗するが残りが成功であればいい。わたしもさっそく自分の仕事をリスト化してみることにしよう。

仕事は楽しいかね?

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石井光太著『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)を読む。

3月22日(木)

2011年3月11日、宮城県沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北太平洋岸は高さ10mを越える津波に襲われた。東日本大震災と命名されたこの震災の死者、行方不明者は約2万人。1年を過ぎた今も正確な数は確定していない。

著者は3月14日にはすでに被災地に入っている。取材の過程で、数多くの無残な遺体と取りすがる遺族の姿を目にする。その中で、この無残な死を被災地の人たちが受け入れない限り復興はないと思うようになる。釜石市は市の半分が津波の被害を受けなかったため、市民たちが中心になって遺体を取り扱っていた。著者は釜石市の遺体を追うことにする。

様々な登場人物が現れる。民生委員、医師、歯科医、歯科助手、市の職員、海上保安員、自衛隊員、消防署員、消防団員、市長、住職、葬儀屋など、彼らのしたことが重ね合わされて、遺体の発見、安置所への搬送、安置所での取り扱い、埋葬までの過程があぶり出される。だが、著者は様々な登場人物の中から、民生委員の千葉淳を最初に登場させる。

わたしは、この人が釜石市の「おくりびと」として描かれていると感じた。彼は葬儀社に長く勤め、今は引退して民生委員をして暮らしている。その彼でさえかつて見たことのなかった数の遺体と遭遇する。その遺体への乱暴な扱われ方に心を痛め、自ら進んで安置所の遺体の扱いを引き受ける。

千葉の遺体の取り扱いは、生者に対するものと同じである。遺体にも尊厳があり、尊厳を損なう行為は決して行わない。また、遺族に対してもそうである。肉親の死によって遺族の心が損なわれることのないように言葉をかける。遺族はその言葉に慰められ涙を流す。

釜石市では千人を越える遺体を市民の働きによってきちんと弔うことができた。わたしは、このことで釜石市は復興への道のりをしっかり歩んでいると確信できる。これは震災に限った話ではない。人は遺体をきちんと弔うことができて初めて先に進むことができるのだ。

この本を読み始めた頃、ルポルタージュなのになぜ写真が一枚もないのか不思議だったのだが、おそらく写真だと遺体の尊厳を損なうからなのだろう。つまり、この本も鎮魂の書なのである。

(3月19日読了)

遺体―震災、津波の果てに
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常岡浩介著『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(アスキー新書)を読む

3月2日(金)

著者はフリーランスのジャーナリストである。一昨年の4月から、アフガニスタンでタリバンを自称するグループに約半年間拘束されたことで、一躍有名になった。わたしが著者の名前を知ったのもその事件がきっかけで、拘束直後に著者のTwitterアカウントをフォローした。無事帰国後は精力的にツイートしており、そのオタク的なツイートが実におもしろい。

著者は長崎県の島原市出身で、早稲田大学を卒業後、1994年からNBC長崎放送局の報道部記者になっている。わたしも長崎県出身なのだが、その感覚では、早稲田を出てNBCに入社というのは地元のエリートコースである。

しかし著者はその地位を捨て、98年からフリーランスのジャーナリストになる。そして99年11月には、この本の舞台であるチェチェンに現れている。イスラムに改宗しチェチェンゲリラの戦闘作戦に命がけの従軍をするのは2000年から01年にかけてである。いったい著者に何があったのかにも興味を引かれるが、残念ながらそのことは語られていない。

この本では、ロシアとトルコの間、黒海とカスピ海に挟まれた小国チェチェンと大国ロシアとの戦争が描かれている。この戦争は、その凄惨さや期間の長さの割に驚くほど知られていない。その理由としては、その地域がヨーロッパからも中東からも離れた地域にあって関心を抱かれにくいということに加え、ロシアの諜報戦によるものであることも指摘されている。

そのため、この本では、チェチェン戦争のことだけでなく、その周辺で起こった劇場占拠事件や学校占拠事件などの大きな事件についても取材し、そこでのFSB(ロシア連邦保安局)という諜報機関の暗躍を追及している。巻末には元FSB中佐で2006年に暗殺されたリトビネンコへのインタビューも収録されている。その内容は恐るべきもので、プーチン前大統領の犯罪を追及するものともなっている。

表題の「語られない戦争」には、だから、二つの意味があると言えるだろう。今まで誰にも語られなかったという意味と、プーチンに権力のある間はまだ語ることができないという意味とである。著者の記述は、その二つの「語られない」ことの間で揺れ動いているようにも見える。

(2月28日読了)

ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71)

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