三浦綾子著『母』(角川文庫)を読む
1月26日(水)
三浦綾子というと最近NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』にもその名が出ていた。『氷点』という作品が新聞の懸賞小説で入選し1000万円の懸賞金をもらったというもので、無名の主婦が賞を取ったということで大きな話題になっていた。1964年(昭和39)のことである。『氷点』はのちにTVドラマにもなって、その人気にあやかって『笑点』が名付けられたという。その作品にはキリスト教の信仰をテーマにしたものが多く、クリスチャン作家とも言われている。
『母』という作品は、小樽在住のキリスト者である小林セキの一生を描いている。小林セキは作家・小林多喜二の母である。セキが亡くなったのは1961年(昭和36)5月で、『母』はその年の4月、つまり死の1か月前にセキから話を聞いているという設定になっている。『母』の書かれたのは1992年(平成4)だから、この設定はもちろんフィクションである。
小林多喜二は戦前に日本共産党の活動をしていた作家で、1933年(昭和8)に警察に捕まって拷問を受け29歳で亡くなった。当時プロレタリア文学の旗手と言われ、代表作の『蟹工船』が数年前にブームになり、今の若い世代にも知られるようになった。
三浦綾子は夫から小林セキを書いてほしいと頼まれ、最初は多喜二もセキもよく知らないので気が進まなかったが、セキがキリスト者として受洗していると聞いて書く気になったと、あとがきで述べている。後に受洗していないことがわかって挫折しそうになったが、さらに調べて書く気になったそうである。
わたしはキリスト教も共産党のこともよく知らないし、小林多喜二の作品は『蟹工船』を2年ほど前にブームということで流し読みしてみただけである。それでも『母』を読んで、優しかった息子を警察に殺された母の気持ち、その母親がやがてキリスト教に惹かれて行く成り行きは理解できるような気がした。
セキにとっては、息子の多喜二が警察に殺されるということは想像を絶するできごとだったろう。貧しい人のいない世の中にするのだと、息子は一所懸命小説を書いていた。荒げた声を出すこともなく、険しい顔をすることもなくて誰にでも優しかった。その息子が警察に殺されたのである。セキは神も仏も信じられなくなる。
しかしセキは後に小樽でキリスト教の牧師と知り合い、イエス・キリストの物語を教わる。イエスは貧しい人や病気の人を憐れんで救っていたのに、役人に捕まって処刑された。処刑されたイエスの遺体を抱きかかえる聖母マリアの絵を見て、セキは衝撃を受ける。自分も同じように多喜二の遺体を抱いたからだ。セキはイエスの姿に多喜二を重ねるようになる。
セキは『山路こえて』という讃美歌が好きだった。その讃美歌ではイエスに導かれて天国へと山路を登っていく様子が歌われている。いつか自分も多喜二のようなイエスに導かれて天国へ行くのだとセキは思う。
三浦綾子の作品の底流には、キリスト教の信仰と自身が戦時中に小学校教師として戦争に協力したという罪の意識との2つの流れがあるようだ。『母』は夫に頼まれて書いたものだけど、小林多喜二という国家権力に屈しなかった作家の母でありキリスト者であるセキは、まさに三浦綾子の描くべき人間だったと言えるだろう。
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