梅原猛著『梅原猛の『歎異抄』入門』(PHP新書)を読む
1月13日(木)
著者の梅原猛は1925年生まれ、元々は哲学者であるが、『地獄の思想―日本精神の系譜』や『隠された十字架―法隆寺論』などの日本の古代史や文学、宗教についての著述も多く、彼の業績を『梅原日本学』と呼ぶ人もいる。
この本はそんな日本を代表する学者である梅原猛による『歎異抄』の入門書である。『歎異抄』は鎌倉時代の浄土真宗の開祖・親鸞の直弟子、唯円の作であり、異を嘆くとあるように、親鸞の死後に誤った教えが広まっていくのを嘆いて、親鸞の生前の言葉を辿りながら、正しい教えを説いた本である。しかし、長らく浄土真宗の本願寺の内部に秘せられ、広く知られるようになったのは明治の末になってからである。
この本は入門とはあるが、実は著者独自の解釈が色濃く出ており、読み進めるうちに、はたしてこの本から先に読んでいいものかと迷った。しかし著者の語り口に乗せられて、つい最後まで読んでしまった。
明治以来多くの文学者や哲学者が『歎異抄』に魅せられ、数々の作品が発表されてきた。古くは倉田百三の『出家とその弟子』、わたしの学生時代だと吉本隆明の『最後の親鸞』、最近では五木寛之の『親鸞』を思い出す。
ただ、この本を読む限りでは、著者の熱意にも関わらず、わたしには『歎異抄』の魅力がいまいち伝わらなかった。個々の部分では引きつけられるところもあるのだが、全体としては何だかピンとこない。
ふと思い浮かんだのが、芥川龍之介の『くもの糸』という短編である。地獄に落ちた男は、哀れに思った仏からくもの糸をたらされて、そこから極楽への道を上り始める。念仏というのは要はこのくもの糸じゃないのかと思った。己が地獄にいるしかしょうがない業の持ち主なら、そもそも念仏などで救われるものなのだろうか。極楽へ行きたいという思いを抱くこと自体が人間の業なのであり、それだけで地獄行きの資格として十分なのではないか。
芥川のくもの糸は切れてしまった。『歎異抄』の親鸞の言動に、わたしはくもの糸を上る男の姿を見た気がした。
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