Kazuo Ishiguro著『A Pale View of Hills』(Faber and Faber)を読む
7月22日(木)
この本は1982年発行で、1954年生まれの著者にとってのデビュー作である。主人公は、イギリスに暮らす日本人の中年の女性である。彼女は長女の自殺をきっかけに、1950年代後半の長崎の記憶、長女を身ごもった頃に出会った女性とその幼い娘のこと、今とは異なる夫と舅とのことを語り始める。物語は過去の長崎と現在(80年代前半)のイギリスとが交互に入れ替わりながら進んでいく。イギリス文学なのに、登場人物のほとんどは日本人である。主人公の女性にはイギリス人の夫がいるようなのだが、少なくとも今いっしょには暮らしていない。
この本を読み始めたのは去年の12月半ばくらいからだから、読み終えるのに7カ月半くらいかかったことになる。英文は平易で中味もおもしろかったのだが、どういうわけか中々読み進められなかった。わたしの貧しい語学力のせいもあるが、著者の作品には安易な速読を許さないところがある。
主人公の女性の語りは断片的で、なぜその場面が語られるのかよくわからないところがある。それでも読み続けると当時の長崎の情景やそこに暮らす人々の感触が英文を通じて伝わってくる。英文で語られる長崎が、長崎で生まれ育って今は東京に住むわたしにとって新鮮だった。
女性はロンドン郊外の広い自宅に一人で住んでいる。そこへロンドンから次女が帰ってきて何度か滞在する。次女はイギリス人の夫との間にできた娘である。その次女との会話もこの作品の重要な場面である。
この女性にとって、長崎で出会った女性はよく理解できない存在だった。だが今では自分がその女性のように生き、女性の娘に対する仕打ちを肯定できなかった自分が、今長女を自殺で亡くしている。そして次女にはそんな母親が理解できない。
当時の断片的な記憶と現在とがどうつながるかは最後まで語られない。最後の最後にわたしにある疑念を残してこの小説は終わることになる。それは語り手の記憶の抑圧に関する疑念である。
Kazuo Ishiguroはどちらかと言うと寡作だが、出すと何らかの文学賞を獲っている。わたしにとって今最も興味のある小説家である。もしわたしがこれから小説を書くことがあるなら、その師はおそらく彼になるだろう。
(7月20日読了)
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