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2010.07.25

サイトウアカリ著『犬と私の10の約束』(角川つばさ文庫)を読む

7月25日(日)

主人公の10代の少女に母が教えてくれた、犬を飼う時に犬としなければならない10の約束。ただし、母は9つめの約束までしか教えてくれなかった。母は亡くなり、まるで母の生まれ変わりのような犬がやってくる。少女は11歳からその犬と暮らす中で、犬との約束を一つずつ守っていく。そして最後の10個めの約束が明らかになる日がやってくる。

よくできた物語で、特に犬との10の約束は本当にそうだなあと思う。ただ、出てくる犬も登場人物もいかにもお話の中の人たちだなあという感じもする。こうすればたいていの人は感動してくれるということをよくわかっている人が作ったお話といった感じなのだ。

そう思って著者の略歴を見ると、サイトウアカリ=澤本嘉光(さわもと・よしみつ)、電通にてCM企画・制作にたずさわる、とある。また発行所は、株式会社アスキー・メディアワークスである。そしてこの物語はもちろん映画化されている。つまり、最初からマルチメディア戦略の一環として作られた物語であることが推測できるのだ。

そういう大人の事情が何となく透けて見える本ではあるが、よくできた物語であることは確かだから、読んで損したという感じはしない。

(7月22日読了)

犬と私の10の約束 (角川つばさ文庫)

2010.07.22

Kazuo Ishiguro著『A Pale View of Hills』(Faber and Faber)を読む

7月22日(木)

この本は1982年発行で、1954年生まれの著者にとってのデビュー作である。主人公は、イギリスに暮らす日本人の中年の女性である。彼女は長女の自殺をきっかけに、1950年代後半の長崎の記憶、長女を身ごもった頃に出会った女性とその幼い娘のこと、今とは異なる夫と舅とのことを語り始める。物語は過去の長崎と現在(80年代前半)のイギリスとが交互に入れ替わりながら進んでいく。イギリス文学なのに、登場人物のほとんどは日本人である。主人公の女性にはイギリス人の夫がいるようなのだが、少なくとも今いっしょには暮らしていない。

この本を読み始めたのは去年の12月半ばくらいからだから、読み終えるのに7カ月半くらいかかったことになる。英文は平易で中味もおもしろかったのだが、どういうわけか中々読み進められなかった。わたしの貧しい語学力のせいもあるが、著者の作品には安易な速読を許さないところがある。

主人公の女性の語りは断片的で、なぜその場面が語られるのかよくわからないところがある。それでも読み続けると当時の長崎の情景やそこに暮らす人々の感触が英文を通じて伝わってくる。英文で語られる長崎が、長崎で生まれ育って今は東京に住むわたしにとって新鮮だった。

女性はロンドン郊外の広い自宅に一人で住んでいる。そこへロンドンから次女が帰ってきて何度か滞在する。次女はイギリス人の夫との間にできた娘である。その次女との会話もこの作品の重要な場面である。

この女性にとって、長崎で出会った女性はよく理解できない存在だった。だが今では自分がその女性のように生き、女性の娘に対する仕打ちを肯定できなかった自分が、今長女を自殺で亡くしている。そして次女にはそんな母親が理解できない。

当時の断片的な記憶と現在とがどうつながるかは最後まで語られない。最後の最後にわたしにある疑念を残してこの小説は終わることになる。それは語り手の記憶の抑圧に関する疑念である。

Kazuo Ishiguroはどちらかと言うと寡作だが、出すと何らかの文学賞を獲っている。わたしにとって今最も興味のある小説家である。もしわたしがこれから小説を書くことがあるなら、その師はおそらく彼になるだろう。

(7月20日読了)

A Pale View of Hills

2010.07.19

梶尾真治著『つばき、時跳び』(平凡社ライブラリー)を読む

7月19日(月)

8月に明治座の舞台『つばき、時跳び』を見に行く予定で、その前にと原作の小説を読んでみた。著者はSF作家の梶尾真治で、一般には映画『黄泉がえり』の原作者と言えばピンと来るのではないだろうか。

この小説は、九州は熊本市の高台にある「百椿庵」(ひゃくちんあん)が舞台である。この屋敷には実際に著者も幼稚園の頃から住んでおり、本当に幽霊の噂もあった。この小説は、自分の住んでいた屋敷が実はタイムマシンで、その幽霊が幕末から来た女性であったとしたらというSF的な想像力によって創作されたもののようである。

主人公の井納淳(いのう・じゅん)は駆け出しの作家で歳は30歳、熊本が舞台の歴史小説の執筆活動に専念するために、百椿庵という様々な種類の椿のある古屋敷に住むことになる。しばらくして彼は若い女の幽霊を見てしまう。その女があまりに清楚で美しかったため、また会えないかと家じゅうを探索するうちに、屋根裏に不思議な装置を発見する。その装置を組み合わせたところ、やがて実体化した女が現れる。女はつばきと名のる20歳の幕末に生きる女だった。

物語は淳とつばきの純粋な恋愛感情を中心に、現代から幕末へそしてまた現代へと展開するわけだが、ラストを除くと、あらすじにはあまり意外性はない。おもしろいのは細部の描写である。幕末の風景や風俗、人物の描写が具体的で、著者の資質がSFだけではなく歴史小説にもあることがうかがえる。特に食べ物の描写は見事で、読んでいて、つばきの手料理やお店のお婆さんの作る団子などはわたしも食べたくなった。SFでありながら著者の目が過去を向いているところに、この小説のおもしろさがあるとも言えるだろう。

明治座の舞台の方では、だいぶ設定が違っているようである。だが、小説にはない役があったり、アクションシーンもあったりするみたいで、舞台ならではのおもしろさを味わえそうで今から楽しみである。

つばき、時跳び

つばき、時跳び (平凡社ライブラリー)

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