映画『時をかける少女』を観る
5月3日(月)
映画の日の5月1日に新宿ピカデリーで映画『時をかける少女』を観た。今年に入って映画を観に行くのはこれで3度目である。いずれも毎月1日の映画の日に出かけている。しかも同じ新宿ピカデリーである。映画の日は映画代が1000円で済むし、新宿ピカデリーではオンラインでのチケット購入が簡単なので、当分はこの習慣が続くような気がしている。
さて本作品の方であるが、この作品の原作は1966年作の筒井康隆の小説『時をかける少女』であり、何度かTVドラマ化や映画化もされている。最近では2006年にアニメ化もされた。このアニメは半世紀前の原作を現代に蘇らせた作品として高く評価された。だから今さら実写で『時かけ』?という気持ちもあったのだが、前回『インビクタス』を観た時に流れていた予告の出来がよかったので観る気になった。そして今、観てよかったと思っている。
この作品もアニメと同じく原作の物語とは大きく異なる。原作でヒロインだった中3の少女は母親になっており、一人娘は高3である。今回はその娘がヒロインとなっている。母親は大学の薬学研究者で、タイム・リープの薬を独力で完成させる。そしていざ1972年4月のあの中学校の理科実験室へと行く寸前になって、交通事故で意識不明の重態になってしまう。ちなみにこれは初めてのTVドラマの設定年月である。
病院で一瞬だけ意識を取り戻した母親は、娘に自分の代わりに、深町一夫に会ってきてほしいと頼む。娘は母の願いをかなえるために、薬を飲んでタイムリープをする。しかし、パニックの中で念じる年代を1974年の2月と間違えてしまう。しかもその場所は大学の実験室であった。ヒロインは、その実験室で大学生の涼太と出会い、やがて涼太といっしょに深町一夫を探すための探索が始まる。
さらに言うと、この作品は、過去のすべての時かけ作品と本質的に異なる。本質的に異なるとは、その物語の構造が異なるということである。今までの作品のヒロインは小さなタイムリープは行っていたが、あくまでもその時代に限定されていた。未来からやってくるのはヒロインの約束の相手の方であった。ところがこの作品ではヒロインの方が大きくタイムリープして時代を飛び越えてしまう。その飛び越えた先の時代で約束の相手と出会うのである。今までの作品が共同体に住むヒロインの元にまれ人が訪れる、いわゆる「まれ人物語」であるのに対して、この作品はヒロインが自ら冒険に出かけて相手と出会いまた戻ってくるという、いわゆる「ゆきて戻りし」物語であると言えるだろう。
かつてこういう物語構造の主人公は、不思議の国のアリスを例外としてもっぱら少年だったのだが、ここでは少女が冒険の旅に出る。そのせいか、2010年の時をかける少女はどことなくアリスに似ている。そして彼女は時間のみならず空間もよくかけ回る。2010年の少女は自ら時空をかけて約束の人に出会う。でも、出会い方は大きく異なるのに、母と娘は同じものに出会っている。そこに時代を越えた普遍性がある。この映画の製作者はたぶんそう言いたいのだろう。
また少女が降り立った1974年2月という時代の空気を知っている者にとっても、これはたまらない作品になっている。50代のおじさんにとっても十分楽しめる作品と言えるだろう。いや、わたしはギリ40代ではあるのだが。
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