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2010.04.30

垣添忠生著『妻を看取る日』(新潮社)を読む

4月30日(金)

副題に「国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録」とあるように、著者は医師でありがん治療の専門家でもある。国立がんセンターに長く勤務し、がんで亡くなる患者と数多く接してきた。その著者が2007年の大みそかに、長年連れ添った妻をがんで亡くす。ところが、患者の死と数多く向き合ってきた彼をもってしても、妻を失って自らの想像を絶する苦しみを味わうことになる。それは人間の生きる限界を超えていると感じられるほどの苦しみだったと言う。

この本は、自身の半生を振り返りつつ、妻の死を自らがいかに受けとめ、そしていかにそこから回復していったかを記したものである。その中で、グリーフケアという学問も紹介される。愛する人を亡くした人たちについても、それを癒すための学問が存在するのである。

ただ、そういう学問があるとはいえ、立ち直るのはあくまでも自分自身である。著者は、そのためにはまず徹底して悲しむことが必要だと言う。喪に服すという言葉がある。その過程には様々な法事が挟まれているが、そこには先人の知恵が込められている。そして次の段階では、しっかりと生きるのだと自覚することが大切であると言う。亡くなった人に恥ずかしくない生き方を自ら模索し実践する中で、少しずつ薄紙を一枚ずつはがすように回復の感覚が訪れるのだそうである。

では周囲はどうすべきなのだろうか。著者にとってありがたかったのは、共に嘆いてくれる言葉だったという。悲しみを素直に表すことが、残された人への一番の慰めになるようである。

この本を読んでいる途中で、まだ読みかけの他の本の冒頭をふと思い出した。少し長くなるが、ここに引用しておきたい。この本と引用の文とがどう関係するのかは、実はよくわからない。ただ思い出したというだけのことである。

―私は病院で、生きている人が死にゆく人の傍に付き添うことの必然性について、何時間も考えさせられた。この必然性は、医師や看護師、つまり、できることをすべて行なうためにそこに居る人びとだけのものではない。死にゆく人に最後まで付き添おうとする人、打つ手が何もなくなったのに居つづける人、自分がそこに居つづけないわけにはいかないと切実に感じている人にとっての必然性でもある。それはこの世で最も辛いことではあるが、人はそうすべきだとわかっている。死にゆく人が人生を一緒に生きてきた親や恋人だから、という理由だけではない。人は、隣のベッドで、あるいは隣の病室で、まったく知らない人が孤独に死につつあるときにも、そこに居つづけようとするのだ。―
[アルフォンソ・リンギス著『何も共有していない者たちの共同体』(洛北出版)]

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