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岩崎夏海著『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(ダイヤモンド社)を読む

3月27日(土)

初めてこの本を手に取ったのは1月初めの頃、神田三省堂書店のビジネス書のコーナーでだった。その時はパラパラとめくって立ち読みしただけだったが、その表紙の女子高生の画のかわいさとそれがビジネス書であることとのミスマッチ感が印象に残った。その後、Twitterを始め、Twitter上でフォローしている人たちの間で本書が話題になり出し、さらにNHKのクローズアップ現代でも取り上げられるに至って、ようやく読んでみる気になった。元々ドラッカーを知らなかったし、ビジネス書にもあまり興味がなかったからである。

読んでみた感想は、おもしろいの一言に尽きる。まず青春小説としてよくできている。漫画で思想家を解説する本はけっこうあるが、その漫画自体はつまらないことが多い。この本は小説としておもしろいのである。そしてドラッカーという思想家の経営思想がまたおもしろい。突飛なようでよく考えると納得できる。こんな思想家がいたのかと今まで知らなかったことを残念に思ったくらいである。

都立高校の野球部という一見ビジネスともドラッカーとも関係ないような場所で、女子高生のマネージャーがマネージャーを「マネジメントをする人」と勘違いして、ドラッカーの『マネジメント』を読み始める。この設定を考えた著者は、マネジメント力も優れているのだろうなと経歴を見たら、AKB48のプロデュースにも関わっていたらしい。最近のAKB48の躍進の陰には、こういう人たちのマネジメントがあったわけである。

この本を読んだら、誰でも次はドラッカー本人の本を読みたくなるはずである。ただ、本人の書いた本はけっこう難しいらしい。だからわたしはとりあえずはドラッカーについての解説本を読んでみることにしたい。その後に『マネジメント』にも取り組むつもりでいる。自分の仕事にもきっとプラスになることだろう。

それから、これは余計なことかもしれないが、著者の岩崎夏海は男性である。orz

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内藤朝雄・荻上チキ著『いじめの直し方』(朝日新聞出版)を読む

3月26日(金)

これは何よりも、今学校でいじめにあっている子供たちのための本である。95ページと薄く、イラストも豊富で、いじめにあっている子供に直接語りかけるように書かれている。だからと言って、その子供たちにがんばれとか勇気を出せなどと励ましているわけではなく、実際にいじめを直す(治すではなく)ための方法を示している。学校はともすればいじめの起きやすい環境に陥る。どのような環境でいじめが起きやすくなるのかその条件を上げ、それを一つずつつぶしていじめの起きにくい環境に変えるための方法が示される。

もちろんこれは学校の先生や親が読んでも役に立つ。学校からいじめを減らすための環境づくりは先生や親の仕事でもあるからだ。より大きく見ると、いじめの起きやすい社会を変えるために、すべての大人がこの本を読む必要があるとも言えるだろう。

ただ、そこまで大きく広げると少し違和感も出てくる。はたしていじめのまったく起きない社会は幸せな社会と言えるのだろうか。その問いは失業率0%の社会が幸せな社会と言えるのかという問いと似ている。最適失業率を唱える学者がいるように、社会にとって最適いじめ率みたいなものもあるような気がする。

でも、実際にいじめにあっている君にはそんなこと関係ないよね。まず自分に起こっているいじめをやめさせること。そのための具体的な方法が、この本にはちゃんと書かれている。それだけはまちがいない。

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平野啓一郎著『小説の読み方 感想が語れる着眼点』(PHP新書588)を読む

3月24日(水)

昨年の10月20日にこのブログでも紹介した『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP新書)の続編。今回は小説に的を絞り、基礎編ではブログなどで小説の感想が語れるような着眼点をあげ、実践編で実際の小説を分析してみせている。

著者は小説をその字のごとく小さく説くものと見る。小説にはプロットという大きな流れとその流れを作り出す一つ一つの文という小さな流れがある。その文は主語と述語からできている。作家によって主語が選ばれさらに述語が選ばれる。その述語は主語そのものを充てんさせる機能を持つものもあれば、プロットを前進させる機能を持つものもある。そのため各々の文の作り出す流れは、プロットを前進させるだけでなく逆向きに流れることもある。だがその全体は最終的な述語へ向かって流れる。

取り上げている小説は、ポール・オースターの『幽霊』から美嘉の『恋空』までと守備範囲が広い。だが、著者はどの作品に対しても、基礎編で述べた理論的枠組みを使って、同じような姿勢で分析してみせる。その冷静で偏りのない態度に好感が持てる。

著者独特の知的スノビズムも時折感じられる。これは自身の教養の深さをどこかに示しておきたいという欲求がどこかにあるからだろう。ただ、これはこれで小説の読み方としてはありだと思う。小説に限らず芸術表現には人を選ぶところがあるからだ。

この本を読んでブログに感想が書けるようになるのかと問われたら、それも人によりけりと言うしかない。少なくともわたしには、こんなにていねいな感想をブログに書く気力は持てそうもないけれど、ただ、またいろいろな小説を読んでみたくなったのは確かである。

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春日太一著『天才 勝新太郎』(文春新書735)を読む

3月10日(水)

わたしがここ2年でおもしろいと思ったノンフィクションは、山城新伍の『おこりんぼ さびしんぼ』(廣済堂文庫)と城戸久枝の『あの戦争から遠く離れて』(情報センター出版局)である。この本はそれに匹敵するおもしろさであった。そのうち山城新伍の本は若山富三郎と勝新太郎の破格のエピソードを記したものであるから、勝新太郎に関わる本がわたしの中のノンフィクションベスト3のうち2つも入っていることになる。

おもしろいと言っても、面白おかしいわけではない。内容は勝新太郎の破天荒で苦悩に満ちた人生を描いたものである。だが、著者は、それを勝のスタッフだった人間たちから濃密に取材し、数多くの勝の作品を自ら観た上で書いている。その入れ込み方がただ事ではない。おそらく著者は、ある部分では勝新太郎自身になり切って文章を書いている。そしてそのことに読んでいる方も不自然さを感じない。勝は本当にこう感じていたのだろうなと思われるのである。

似たような本としては小林信彦の『天才伝説 横山やすし』(文春文庫)を思い出す。だが、あの本が小説家である小林と漫才師の横山の個人的なエピソードに上方芸能論を加えたものだったのに対して、この本には著者と勝との個人的なエピソードはない。著者自身がまだ30代前半と若く、勝と直接出会っていないからである。だが、著者の強い思いが、そのどこか欠落した感触を乗り越えて、勝新太郎の魅力を後の世代にしっかりと伝えたことは確かだろう。

著者の処女作に『時代劇は死なず―京都太秦の「職人」たち』(集英社新書)がある。いずれぜひ読んでみたいものである。

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映画『インビクタス 負けざる者たち』を観る

3月5日(金)

3月1日の映画の日に、新宿ピカデリーで『インビクタス』を観た。監督は名優でもあるクリント・イーストウッドで近年『硫黄島からの手紙』など名作を作ることでも評価が高い。この作品もネットでの評判がよかったので観に行く気になった。

舞台は1995年の南アフリカ共和国、悪名高いアパルトヘイトはすでに撤廃されていたが、白人と黒人の確執は続いていた。大統領はネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)。南アフリカでは黒人初の大統領である。彼は政治犯として27年間獄中にいたが、1990年の2月に釈放され、それから4年後に大統領に就任した。

マンデラは南アフリカの真の統合のためには、白人と黒人の和解が必要と考える。そのために考え出したことが、ラグビーを利用することであった。南アフリカのラグビーチームは長らく国際舞台から離れていたが、白人たちの誇りであった。95年にはそのW杯が南アフリカ主催で行われることになっていた。だがその実力はとてもW杯で戦えるレベルにはなかった。

一方、黒人にとって、ラグビーは白人のスポーツでむしろ憎むべき対象であった。そこでマンデラは、黒人を説得して、全国民でW杯を盛り上げるようにさまざまに働きかける。ナショナルチームのキャプテン(マット・デイモン)を大統領執務室に呼んで激励したり、黒人のスラム街の子供たちのために、選手たちによるラグビー教室を開かせたりする。その結果、W杯の頃には国中がラグビーで盛り上がることになる。

タイトルのインビクタスとは不屈という意味のラテン語であり、マンデラは獄中でインビクタスという詩を心の支えにしていた。その詩は映画の中でたびたび繰り返され、マンデラの不屈の意志が強調されている。

全体として、とてもまっとうな映画の作り方で、ちゃんとした映画を観たという満足感が残る。大統領の警備スタッフを物語の中心に据え、その黒人と白人メンバーたちの関係の変化を描いたところにもうまさを感じる。ただ、いくつかの疑問も残る。例えばなぜこのラグビーチームはわずか1年間でこんなに強くなれたのか。マンデラと家族はなぜ別れているのか。過労で安静が必要な時になぜ台湾訪問だけはキャンセルしなかったのか。映画を見るだけではよくわからない。やはりある程度はマンデラや南アフリカについての知識がないといけないようだ。それにある程度はラグビーのことも勉強しておいた方がいいかもしれない。

わたしにはナショナリズム的な盛り上がりには反射的に引いてしまう傾向があり、この映画の盛り上がりにもついていけなかったが、サッカーのW杯などで盛り上がれる人にはいい映画と言えるだろう。

ただマンデラの自伝『Long Walk to Freedom』が永らく本棚に眠ったままで、これはやっぱり読むしかないなと改めて自分の宿題にできたのは、個人的には収穫だった。それに今後reconciliation(和解)という単語を見るたびにこの作品を思い出すことになるのはまちがいない。

インビクタス

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勝間和代・宮崎哲弥・飯田泰之(鼎談)『日本経済復活 一番かんたんな方法』(光文社新書443)を読む

3月1日(月)

宮崎氏と勝間氏は、今、TVなどのマスメディアで多くの発言を続けている評論家で、彼らの社会的な発言力はかなり大きい。また飯田氏は若手の経済学者で、最近になって、その経済政策のアイディアが様々なメディアを通じて知られるようになった。この本は、こうした3人が集まって、現在の不況にあえぐ日本経済を復活させるための処方を語りあったものである。宮崎氏が広い視野からのかじ取り、勝間氏がアジテーション、飯田氏が理論的な説明をするという役割が自然に振り分けられている。

3人に共通するのは、現在の日本経済はデフレ状況にあるということ、そこから脱却して経済をインフレ状態にして、経済を再び成長路線に乗せることが緊急の課題だと言うことである。構造改革も大事だが、改革をやるためにもまずは経済成長をというわけである。

そのための方策として何よりも効果があるのは金融政策であるという。日銀がインフレをターゲットにした金融政策に転換すれば、とりあえずデフレを脱却できる。日銀にそれができないのは、彼らが自分の利益ばかり考えているからだという。

そして日銀が動けないのは、メディア、ひいては国民にも責任があり、皆がそれぞれの立場で、政府や日銀に政策転換を訴えていくことが必要だという。

彼らの話を聞いていると確かにデフレは百害あって一利なしのようで、わたしたちの生活がここ20年どうもおかしかったのは、デフレが続いたことが一番の原因だったようである。これが金融政策の転換でインフレ状態に変えられるのならそれに越したことはない。ハイパーインフレーションの心配はあるが、最新の経済理論によると、そう簡単に起こるものでもないらしい。

ただ、一方、さらに長期的に見た時に、はたして人類社会は永遠に経済成長を続けられるのだろうかという疑問も残る。定常型社会の構想が一定の説得力を持つのもそういう素朴な見通しが誰にでもあるからだろう。そう思うと、とりあえずは経済成長を維持するとしても、さらに長期的な展望も頭の片隅に置いておく必要はあるのではないか。

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