大塚英志著『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』(角川oneテーマ21)を読む
12月8日(火)
日本のサブカルチャー評論で名を馳せた著者が、その独特な物語構造論によって、今や世界的な作家となった村上春樹と宮崎駿の作品を解読する試み。また、なぜ村上文学や宮崎アニメを始めとする日本のサブカルチャーが世界に届いたのかの謎を解き明かす試みともなっている。
著者によれば、村上と宮崎の作品は物語構造しかないから世界に届いたという結論になるのだが、そこに至るまでの物語構造という概念の説明とそれに基づく作品の解読は、正直、退屈である。ただ、日本のサブカルチャーは、日本の戦時ファシズム体制下において、デイズニーアニメのロシアの文化理論を通しての歪んだ受容から始まったという説は新鮮だった。のらくろや紙芝居でさえ決して素朴な作品ではなかったのである。
そして80年代にハリウッド映画のスター・ウォーズの物語構造が世界化する中で、村上や中上健次などは小説の世界で、宮崎駿はアニメの世界でその流れに適応していった。日本のサブカルチャーが世界に受容された背景には、そのような歴史の流れがあったのである。
村上春樹がスター・ウォーズの物語構造の元ネタとなったキャンベルの「単一神話論」を丸々参照して『羊をめぐる冒険』を書いたとか、実はどうでもいいことである。それだけで村上がノーベル文学賞の候補になれるはずもなく、村上文学の秘密は物語構造をはみ出たところにあるはずだからである。同じように宮崎駿の物語構造上の欠点もどうでもいいことだ。
それでもこの本に読むべきところがあるのは、いわゆるジャパニメーションのような日本のサブカルチャーの世界的な受容は、日本の文化の特殊性が認められたからとする説の無効性をはっきりと示しているところにある。
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