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2009.12.29

荻上チキ著『社会的な身体(からだ)』(講談社現代新書1998)を読む

12月29日(火)

著者の荻上チキ(おぎうえ・ちき)は1981年生まれで20代後半の若手の社会学者である。本の内容はメディアと社会と個人との関係を考察したものとでも言うべきか。中々に知的刺激に満ちた本だった。

著者はまず有害メディア論を軸に、新しいメディアに対する社会の受容の過程を示し、その中で社会的身体という概念を提示する。次に社会的身体という概念を使って、TVや新聞などの大きなメディアとブログや掲示板などの小さなメディアとの社会での受容のされ方および両者の関係について分析する。さらに現在のお笑いや市民運動を超えたポスト社会運動の可能性についても論じている。

第2章と第3章の間にある「ノート 情報思想の更新のために」は、この本の全体のテーマをより抽象的に論じたものである。これまでの現代思想で提示された現代社会の理論がモデルとして整理され、それを更新するものとして著者のモデルが示されている。

今、著者のような20代30代の社会学者が面白い仕事をしている。単に目新しいだけなのか、それともこの中から新しい社会思想が作られていくのか。これからもしばらく注目していきたい。

2009.12.08

大塚英志著『物語論で読む村上春樹と宮崎駿』(角川oneテーマ21)を読む

12月8日(火)

日本のサブカルチャー評論で名を馳せた著者が、その独特な物語構造論によって、今や世界的な作家となった村上春樹と宮崎駿の作品を解読する試み。また、なぜ村上文学や宮崎アニメを始めとする日本のサブカルチャーが世界に届いたのかの謎を解き明かす試みともなっている。

著者によれば、村上と宮崎の作品は物語構造しかないから世界に届いたという結論になるのだが、そこに至るまでの物語構造という概念の説明とそれに基づく作品の解読は、正直、退屈である。ただ、日本のサブカルチャーは、日本の戦時ファシズム体制下において、デイズニーアニメのロシアの文化理論を通しての歪んだ受容から始まったという説は新鮮だった。のらくろや紙芝居でさえ決して素朴な作品ではなかったのである。

そして80年代にハリウッド映画のスター・ウォーズの物語構造が世界化する中で、村上や中上健次などは小説の世界で、宮崎駿はアニメの世界でその流れに適応していった。日本のサブカルチャーが世界に受容された背景には、そのような歴史の流れがあったのである。

村上春樹がスター・ウォーズの物語構造の元ネタとなったキャンベルの「単一神話論」を丸々参照して『羊をめぐる冒険』を書いたとか、実はどうでもいいことである。それだけで村上がノーベル文学賞の候補になれるはずもなく、村上文学の秘密は物語構造をはみ出たところにあるはずだからである。同じように宮崎駿の物語構造上の欠点もどうでもいいことだ。

それでもこの本に読むべきところがあるのは、いわゆるジャパニメーションのような日本のサブカルチャーの世界的な受容は、日本の文化の特殊性が認められたからとする説の無効性をはっきりと示しているところにある。

2009.12.07

内田樹著『街場の教育論』(ミシマ社)を読む

12月7日(月)

フランス現代思想で知的に、合気道で肉体的に武装し、オジサン的感性で現代社会を斬りまくる内田教授の教育に関する発言集。あいかわらず鋭い現状分析と提言に満ちており、特に現場で懸命に頑張っている教師は読めば励まされるはずである。

ただ、わたし自身は別に今の日本の教育が、内田先生の言うほど危機的な状況にあるとは思っていない。内田先生は学校で教わるという形態に教育の本質を見るから、その形態が社会からも子供たちからも支持されなくなっている現状が危機的に見えるのはわかる。しかし、わたしは教育の形はこれからのメディアの発達によっていくらでも変わっていくし、その中で学校の地位は相対的に下がっていくのだろうと考える。

かつてソクラテスが文字の誕生に危惧したように、内田先生の発言は新しい社会の出現に対するおじさん世代からの危惧の表明のように見える。どれだけ知的で洗練されていても、その感性は新橋で飲んでいるおじさんと同じなのだ。もちろんおじさん世代の良質な発言は若い世代にも大いに歓迎されるべきであろう。ただし、それは乗り越える対象としてである。

(12月6日読了)

2009.12.06

William Golding著『lord of the flies』(A Perigee Book)を読む

12月6日(日)

日本では『蝿の王』という翻訳名でも知られる小説。著者のゴールディングはノーベル文学賞作家である。蝿の王とは、聖書にも登場する腐敗と破壊の悪魔・ベルゼバブの別名であり、このタイトルからも悪を主題にした作品と推測できる。

この作品は、未来のある時に飛行機が無人島に不時着するところから始まる。世界は原爆戦争の最中であった。生き残ったのは少年たちだけで、彼らだけの無人島生活が始まる。彼らは、始めのうちは秩序だって暮らし救助を待っていたが、次第に、暴力で支配したがる連中が力を持ち始め、ついにはリーダーを殺すための狩りが始まる。

わたしたちは、いったいどのようにして秩序を保ち、社会を形成できているのか。著者はこの作品によって、様々なキャラの少年たちがいかに無秩序になっていくかを示すことで、その問題への解答を与えようと試みている。

果たして世界は『十五少年漂流記』のような世界なのか。それとも『蝿の王』のような世界なのか。おそらくどちらも世界の一つの面を捉えたものなのであろう。

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