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2009.10.20

平野啓一郎著『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP新書)を読む

10月20日(火)

若手の芥川賞作家によるスロー・リーディングのすすめ。帯に「作家が読むと、本はこんなに面白くなる!」とあるように、作家としての著者による具体的な作品分析もある。

今は、いかに速く大量に読むかに価値の置かれる時代であり、速読法なる読書術がもてはやされている。しかし、著者は速読が必要な場合があることを認めつつ、そうやって得られる情報にはあまり意味がないと言う。本当に大切なものは、著者の言うスロー・リーディングによって得られるのだそうだ。速読が明日のための読書だとしたら、スロー・リーディングは5年後、10年後のための読書であるとも言う。

ただ、スロー・リーディングと言ってもゆっくり読めばいいというわけではない。著者はそのコツを基礎編、テクニック編、実践編に分けて説明している。基礎編では著者の基本的な考えが、テクニック編では具体的な方法が、実践編では実際の作品を著者がスロー・リーディングのテクニックによっていかに読んだかが具体的に書かれている。

スロー・リーディングを勧める本なのに、普通の新書よりあっさり読めたのは皮肉なことだが、確かにこれくらい分析的に作品を読めたらなとは思う。ただ、それは自分にとって魅力的な作品に限られる。ふつうの読書にそこまで求めるのは負荷が大きすぎる。わたしにふだんできることは、せいぜいブログにこうして感想を書くことくらいか、もしくは作品の解読本を読むことくらいだろうか。わたしのような読者のためにか、著者も続編として『小説の読み方 感想が語れる着眼点』(PHP新書)を著している。

(10月16日読了)

2009.10.11

山口二郎著『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書)を読む

10月11日(日)

本の帯に「生きづらい社会は政治で変える」とあるように、今生きづらさを抱えて生きている若者に、政治への参加をうながすような内容になっている。著者は、政治学者として、日本を政権交代のある真の民主主義国家にするために、細川政権の頃から積極的に発言を続けている。実践的な学者として苦い思いや挫折も十分経験してきた。どちらかというと反自民の学者である。その上、この本が昨年9月のリーマンショックの頃に書かれたためか、自民党に対してかなり辛辣なことが書かれてある。

ただ、そうした点を除けば、内容は政治学の入門書とも言える。難しい学術用語は使っていないが、これを読めば現在の政治学の基本的な考え方がわかるようになっている。

日々仕事や勉強に追われていると、政治について考えることはあまりないし、そういうことは専門家がやってくれよという気持ちもある。民主主義ってのは実に面倒くさいものである。ただ、そういう社会に生きている以上、自分を守るためにも政治については関心を持ち続ける必要がある。この本は、そういうわたしも含めた、政治の無関心層へのアジテーションの書でもある。

とりあえずは、日曜の朝に観る番組をサンデージャポンじゃなくて、サンデープロジェクトに変えてみようかな。

(10月8日読了)

2009.10.08

映画『チョコラ』を観る

10月8日(木)

先週の水曜日、9月30日に映画『チョコラ!』を観に行った。この映画はドキュメンタリーで、アフリカの東にあるケニア共和国の首都・ナイロビの郊外にあるティカという小都市を舞台にしている。その街のストリート・チルドレンが、この映画の主人公たちである。チョコラとはスワヒリ語で「拾う」を意味する。彼らは主にゴミを拾って生きていることから「チョコラ」と呼ばれている。

この映画は不思議な音色と共に13歳の少年の水浴びのシーンから始まる。全裸ですべてを晒しながらもエロは感じない。ただ、少年でまだチンコに毛も生えていないのに、その黒光りする裸体はすでにたくましさを身につけつつある。映画監督は、この姿にこの街に生きるチョコラたちの生身の姿を象徴させたかったのかもしれない。

様々な少年たちが現れる。彼らの生活は汚くはあるが、そこにいる限りは安定しているようにも見える。その中にテルミと呼ばれる日本人の初老の女性の姿がある。「モヨ」という孤児院をやっているようで、路上生活する少年たちに声をかけては、親元に戻すよう努力している。親と少年たちとの話し合いは概ね不毛だ。親は自分を正当化するか子供をやっかい者扱いし、子は親に心を開かない。ただ彼らは弟や妹には優しい。めったに帰らないのに飼い犬が大喜びで飛びついてきたりもする。

エイズの母親も現れる。離婚してスラムに戻り、幼い娘と息子を育てている。どうやら売春で暮らしているようだが、その生きる姿は堂々として美しい。

彼らは撮られていることを意識している。その態度に、わたしは彼らを見ていることを意識する。そして彼らにも見られているように感じる。この撮り方には、一方的な傍観者であることは許されないという映画監督の想いが込められているのだろうか。

映像は汚い生活を描いているのになぜか美しい。それはこの映画監督がそのように描いているからである。それに少年はいくら汚いかっこうであっても、生身は美しいものである。年配の路上生活者を描いたらこういう映像にはならなかっただろう。

わたしの場合、最近『絶対貧困』という本を読んでいたので、映画の世界を理解しやすかったが、何の予備知識もなしに観るのは少ししんどいかもしれない。そういう意味では観客を限定する映画とも言える。今、この映画は全国で少しずつ上映会が開かれているから、機会があったら観てもらいたい。なお、岩波ブックレットからも『チョコラ!―アフリカの路上に生きる子どもたち―』が出ている。映画の裏話も載っていて、映画の理解に役立つ。

映画『チョコラ!』

2009.10.02

雨宮処凛・飯田泰之著『脱貧困の経済学』(自由国民社)を読む

10月2日(金)

日本は90年代のバブルの崩壊以来、長い不況に苦しんできた。そのため会社ではリストラと言う名の正社員のクビ切りが盛んに行われ、多くの人が派遣やフリーターのような不安定な立場で働くようになった。00年代に入り景気はやや回復してきたものの、その利益の大部分は会社に吸収され、雇用の改善はまだなされていなかった。

そこへ昨年9月からのアメリカ発の不況である。会社の派遣切りが突然始まった。派遣で仕事をしてきた人たちの中にはクビを切られても行くところがなく、ホームレスになるしかない人たちも出てきた。昨年末に日比谷公園に突如現れた派遣村のニュースはまだ記憶に新しい。

雨宮処凛はそういう人たちをプレカリアート(不安定なプロレタリアート)と呼び、特に自分たちの世代が一番割を食っているとして、その世代をロスト・ジェネレーション(失われた世代)略してロスジェネと言っている。彼女は作家であると同時にそういう自分たちの世代の問題を引き受けて、政治運動にも主体的に関わり、ロスジェネの脱貧困のための提言を続けている。

飯田は雨宮と同じ1975年生まれの経済学者である。今までの政府の経済政策には批判的で、自らの処方箋を積極的に提示している。

この本は、主に対談の形式で、雨宮の疑問や提言に飯田が経済学の立場で答えたものである。飯田の処方箋は、大まかには経済成長毎年2%を維持すること、そのためにインフレを促進する政策を実行すること、金持ちからもっと税金を取るために累進課税の度合いを強めること、その後に収入に応じたベイシック・インカム型の再分配を行うことである。

本を読む限りでは、飯田の説明は実に理に適っており、このとおりに実行されれば日本の社会は今よりずっと住みやすくなるはずである。では、なぜ日本の政府はそうしないのか。やっぱり今までの与党の自民党が金持ちと年寄りの利益を代表する政党だったからだろうか。それとも飯田の提言にはどこか穴があるのだろうか。たとえば飯田の理論では1ドルは120円くらいが望ましいのだが、今の民主党の政府でさえそうは考えていないようだ。それどころか円高の現状を追認し、輸出依存をやめて内需拡大をなどと言い始めている。

とはいえ飯田の提言は、雨宮のような政治運動の理論的な支えになりうる。プレカリアートの利益を代弁する政党ができたら、そのマニフェストとして、飯田の提言を入れても違和感はない。そうなれば将来はロスジェネが日本を変える中心の世代になるかもしれない。ただ、今は将来のことよりも今年の冬を何とか越せるような緊急の対策が必要だけれども。

(9月30日読了)

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