スコット・フィッツジェラルド著『グレート・ギャツビー』(中央公論新社)を読む
7月31日(金)
村上春樹翻訳ライブラリーの一冊。今年の5月4日に英語の原文の方を紹介したが、それから翻訳を読み終えるのにほぼ3ヵ月かかってしまった。日本語で読んでも意味がすっと入ってこない表現もけっこうあって、一気には読めない作品だった。
大きな話の流れは英文を読んだときと印象は変わらなかったが、翻訳で浮かび上がったのは、語り手は初めから上流階級に属する男であり、ギャツビーは労働者階級からの成り上がりであるという点である。そのためかギャツビーに対する語り手の口調はどこか冷やかで、ギャツビーの魅力とともに、どこか洗練されない部分がさりげなく描かれたりする。いったいギャツビーのどこがグレートなのか、翻訳を読んでもよくわからないくらいである。
この作品に引かれるような人は、本人に成り上がる野心があって、本気で上流階級と渡り合おうと考えるようなタイプなのではないか。そういう意味では、この作品は村上龍の『テニスボーイの憂鬱』に似ている。そしてこちらの方は吉本ばななが絶賛している。
村上春樹は訳者あとがきで、今までの人生で巡り合ったもっとも重要な一冊として、この作品を挙げている。どこがそんなにすごいのかわたしにはわからなかったが、村上はそういう人には、これが「すごい作品」でないのなら他のいったい何が「すごい作品」なのかと言いたくなるそうだ。
わたしは、村上のように直接にはこの作品の魅力が理解できなかった。せめて次に野間正二の「『グレート・ギャツビー』の読み方」を読んで、作品への読みを深めてみたい。


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