岩井克人著『資本主義から市民主義へ 聞き手=三浦雅士』(新書館)を読む
12月2日(火)
著者の岩井克人は、1980年代の『ベニスの商人の資本論』以来、現代思想の分野で才気あふれる発言を続ける経済学者だが、この本でも相変わらず、読者に鋭い視点を提供している。聞き手が雑誌『現代思想』の編集長である三浦雅士ということから、著者の思想が現代思想全体の見取り図の中で意味づけられてゆく。
内容は章ごとに、貨幣論、資本主義論、法人論、信任論、市民社会論、人間論に分かれる。著者は貨幣から話を始める。貨幣はなぜ貨幣なのか、貨幣だからである。つまり貨幣は自己循環論法によって成立している。自己循環論法ということはその成立に実体的な根拠を持たないということである。資本主義は貨幣を媒介とした商品の交換システムである。ゆえに実体的な根拠のないシステムということになる。労働が価値の実体であるとしたマルクスの理論は、産業資本主義にのみ当てはまる理論と位置づけられる。同じように、言語と法も自己循環論法で成立していることが明らかにされる。
次に著者は、資本主義システム内の会社という組織が、法人というヒトでありモノでもある存在であることを指摘する。実際、会社は建物であり財産であると同時に従業員が働いている職場でもある。株式会社の経営者とは何か。それは、会社という法人の経営を株主に信任された存在である。そこから資本主義というシステムの内部に信用という倫理が埋め込まれていることが明らかにされる。
資本主義という経済システムや法に基づく国家は、それ自体が自己循環論法によって成立しており、いずれも不安定なシステムである。著者は、それを補完するものとして市民社会の存在を必要とすると主張する。経済や政治に還元できない市民社会的な動きというとNPOの活動などが考えられる。そのような市民社会的な活動は一つ一つはいずれ経済や政治に吸収されるが、絶えず、沸き起こって問題を解決するように運動し続ける。
ここまで来ると疑問も生じる。市民社会のような外部(=超越)が資本主義や国家に必要なことはわかる。だが、それは市民社会でなければならないのか。例えば天皇制でもいいのではないか。また資本主義や国家が不安定なシステムと言うのなら、さっさと壊れてしまえばいいとも思えるのだが、どうもそう簡単には壊れそうもない。理論的な不安定性と現実のしぶとさとのギャップの正体は何なのか。
著者の思想は人間の存在論にまで及ぶ。その具体的な展開は次の作品に期待したい。
(11月30日読了)
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