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映画「花はどこへ行った」を観る

7月4日(金)

偶然だが今日はアメリカ合衆国の独立記念日である。そんな日にこの「花はどこへ行った」という映画を観に行ったのも何かの縁だろう。実は今日が東京での上映の最終日ということで重い腰をようやく上げたというのが本当のところなのだけど。

この映画は坂田雅子さんの初監督作品である。初めてとは言っても坂田さんはもう60歳で全共闘世代に属する。夫のフォトジャーナリスト、グレッグ・デイビス氏を2002年に肝臓癌で亡くし、その原因がベトナム戦争で浴びた枯葉剤のためなのではないかとの夫の友人からの指摘を受けて、ドキュメンタリー映画作りを思い立つ。そして海外の大学で一から映画作りを学んで、ついにこの作品を完成させるのである。

内容は、主に、夫の過去を夫とその友人たちの語りで振り返る部分と、ベトナム戦争中に夫の滞在したベトナムの村とその周辺で、枯葉剤が原因と見られる障害者たちの現状を取材した部分とからなる。

圧倒されるのはベトナムの障害者たちである。手や足を失い、顔が変形し脳に障害を負った子供や大人たちの映像が次々と現われる。ベトナムはまだ貧しい。その貧しさの中で、親たちは運命を受け入れて懸命に子供たちを育てている。枯葉剤の散布と障害との因果関係がかなり高いことを医学関係者は証言する。

夫のデイビス氏の早すぎる死とベトナムの障害者たちの現状が深いところでつながり、その原因であるベトナム戦争、その戦争を行ったアメリカ、アメリカに象徴される現代文明の成り立ちへの静かな告発というメッセージがこの作品から受け取られる。

ただ、枯葉剤が原因でなくても、デイビス氏のように若くして癌で死ぬ人はいるし、障害者は一定の割合で生まれ続ける。その人たちは特に原因もわからずにただ運命を受け入れるしかない。その人たちを救う方法ははたしてあるのだろうか、この映画のメッセージとは別のところで、ふとそんなことを思った。

SIGLO:花はどこへ行った

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