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須原一秀著『<現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組』(新評論)を読む

6月29日(日)

あとがきによれば「本書は哲学研究者が一般社会と社会学と政治学のために書いた『大衆社会論』ないし『社会思想』ジャンルの本である」。

哲学研究者でありながら著者は、学問としての哲学の死亡を宣言する。そして古代ギリシアの民主制社会と現代の民主主義社会を比較して、古代ギリシア社会を貴族的英雄的肯定主義、現代社会を大衆的有名人的肯定主義と見なす。古代ギリシア社会の神話の神、貴族、英雄には、現代大衆社会ではスター、有名人、チャンピオンが対応している。

一部の知識人は現代社会を否定的に見る。そのために哲学という否定主義的な道具を用いる。だがその知識人でさえ体はどっぷりと現代大衆社会に浸かっている。哲学は死んでおり、本当はもはやこの現実を肯定するしか術はないのだ。

こういう何もかも肯定される社会は実は犯罪も堕落も起こりやすい社会でもある。しかしある程度の犯罪も堕落も許容しつつそれらに個々に対応していく社会こそが、一番ましな社会である。哲学的な真理や正義を振りかざす社会や国がどうなっているかは歴史や現実が示している。

TVや新聞のニュースや評論家の論調は、常に否定主義的である。その方が賢くも見える。その中でここまで社会を肯定的に見る思想は珍しい。わたしたちは、答えの見つからない先の見えない閉塞した時代に生きているのではない、先の見えないフロンティアの中で生きているのである。ただそう主張する著者は、自らは死を選んだ。そのせいもあってか、読んであまり明るい気分にはなれなかった。著者自身は屈折した肯定主義者だったのだろうか。

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梨木香歩著『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)を読む

6月25日(水)

中学1年生の少女まいは、入学早々学校に行けなくなり、西の魔女と母娘で呼んでいる母方のおばあちゃんの家で暮らすことになる。おばあちゃんはイギリス人で日本人と結婚して日本の田舎に住むようになった。おじいちゃんはすでに亡くなり一人暮らしだ。まいはおばあちゃんから自分たちは魔女の家系だと教わる。そこでまいは自分の生きにくさを克服するために、魔女の修行をする決意をする。

その修行とは早寝早起き、ジャム作り、ベッドメイキング、洗濯、畑仕事、勉強と日常をしっかり生きることだった。まいはその修行の中で、自分の意志で物事をやりぬくことを学び、たくましくなってゆく。結局、まいは父親の単身赴任先へ母親といっしょに引越し、学校を変えて再出発をする。

そして2年後、西の魔女が死ぬ。

本の帯にあるように最後の3ページが泣ける。初刊行が平成6年のロングセラーで、読者アンケートで1位を取っただけはある。好きな本は恋空と言うような中学生にも読んでもらいたい作品である。それに、この本を原作に今映画が公開されている。おばあちゃん役のサチ・パーカーさんのインタビューを雑誌で読んだけど、とても魅力的な人だった。ぜひ映画でも見てみたい。

西の魔女が死んだ(映画)

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ドミニク・チータム著『『くまのプーさん』を英語で読み直す』(NHKブックス)を読む

6月22日(日)

古典的名作である『くまのプーさん』の世界を英語の原文に添いながら解説した本。本文は3部に分かれる。第Ⅰ部はプーの魅力とミルンのタイトルで、物語ができるまでの成り行きや登場人物の説明、作家ミルンの人生、その文章のスタイルなどについての説明がある。

第Ⅱ部は『ウィニー・ザ・プー』の世界のタイトルで、翻訳では『くまのプーさん』として知られている本の中味を1章ずつ詳しく解説している。そして第Ⅲ部は『プー・コーナーの家』の世界のタイトルで、翻訳では『プー横丁の家』で知られる本を章ごとに解説している。

確かにこの本は英語でくまのプーさんの本を読む助けになる。わたしの場合はもう読んでしまっていたが、あれはそういう意味だったのかと教えられることがいくつもあった。もちろんこれから読む人にとっても役に立つ本だとは思う。ただ、この本を読まなくてもくまのプーさんの世界を楽しめることも確かである。

欲を言えば、もっと具体的に英文の分析をしてもらいたかった。それに著者の好みなのか教訓的な部分への言及が多かったけど、その部分はもっと少なくてもよかったのではないか。著者のチータムさんのエッセイのファンで、それがプーさんを英語で読むきっかけになっただけに、読者としてはちょっと欲張りな要求をしているのかもしれないけれど。

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Roald Dahl著『Charlie and the Chocolate Factory』(A Puffin Book)を読む

6月21日(土)

映画「チャーリーとチョコレート工場」の原作。貧乏な子供チャーリーが、ゴールドチケット5枚のうちの1枚を当てる。それは、世界で一番有名で謎に満ちた地元のチョコレート工場に招待されて、一生分のお菓子をもらえるというチケットであった。祖父のジョーと工場に行くと、そこには他の4人の子供とその両親、そして工場主のウォンカ氏がいた。そこで考えられないくらい不思議な出来事に子供たちは出会うことになる。

これは映画で見たほうがおもしろいかもしれない。私の固い頭では想像できないくらい奇想天外なことが起こる。これは映像で見たほうがいい。

(2006年5月5日読了)

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第138回TOEICテストの結果

6月17日(火)

先月25日に受けたTOEICの結果がわかった。公式のウェブサイトから個人向けのサービスにログインすると結果がわかるようになっている。その結果は855点、リスニングが430点、リーディングが425点であった。

以前に、今回のTOEICは今までにない手応えで900点を越えてても不思議ではないと書いた。確かに過去最高の点数ではあったが、あの手応えの割には低い。特にリーディングが意外であった。

10月に英検1級を受けるかこれで微妙になってきた。英検1級に合格するにはTOEICで900点くらいの力は必要である。しかし今のわたしにはその力はないようだ。今から十分に準備して受検に臨むべきか、それともTOEIC900点を先に達成すべきなのか。しばらく悩むことになりそうだ。

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東北の大地震と秋葉原の無差別殺傷事件

6月15日(日)

昨日の午前8時43分頃に、岩手県の内陸部を震源地とするM7.2(推定)の大地震が起こった。岩手県の奥州市と宮城県の栗原市では震度6強を記録した。西東京のわたしのアパートでも、30秒くらいの横揺れが続いた。今のところ死者は6人、不明11人、負傷155人と伝えられている。気象庁では、この地震を「岩手・宮城内陸地震」と命名した。阪神・淡路大震災並みの規模の直下型地震で、一つの山がなくなる位の大きな地震だった割には人の被害は少ない。地震は規模だけじゃなくて起こる場所も重要なんだと実感する。もちろん実際に今被害にあわれている人たちにとっては、そんなことは関係ないことである。

先週の日曜日の昼下がりには、秋葉原で無差別殺傷事件が起こり、7人が死亡、10人が負傷した。犯人は25歳の派遣工の男である。犯行の相当前から携帯のサイトに約3千回の書き込みをしていて、犯行に至るまでの心理が克明に記されている。マスコミに出ているものを読む限りは了解可能なもので、特に異常な感じはしない。能力や環境に恵まれない者の誰もが抱く感情と言っていいだろう。しかし、それがなぜか通り魔的な殺人という行動へと飛躍する。その飛躍を媒介するものは何なのか。いずれ自分なりに考えたことをここで記せればと思う。

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A.A.Milne著『The House At Pooh Corner』(A PUFFIN BOOK)を読む

6月12日(木)

『くまのプーさん』の続編。作家のミルンが息子に語る、プーさんと森の仲間たちの物語。続編では、ディズニーランドでも人気者のTiggerも登場する。登場する動物は別に気のいい連中ばかりではない。知ったかぶりのふくろうもいれば、ヒネクレ者のロバもいる。でも、そのすべての中で一番賢いのは息子のロビンだから、たかが知れてはいるのだが。

この時間が止まったような、すべてが肯定された世界は、ロビンがその世界から去ることで突然の終わりを告げる。それでも、最後のロビンとプーさんとの会話は、わたしたちの心の中に、この世界が永遠に続くことを暗示している。

わたしの英語力、読解力では読みきれない部分は、ドミニク・チータム著『『くまのプーさん』を英語で読み直す』(NHKブックス)を読むことでおぎなっていきたい。

(6月12日読了)

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遅塚忠躬著『フランス革命 歴史における劇薬』(岩浪ジュニア新書)を読む

6月8日(日)

フランス革命を劇薬に例え、なぜ劇薬が用いられたのか、その効用と副作用について述べ、さらに革命を生きた人たちの人生を何人か紹介している。劇薬の正体は人間の熱情であるという。人間の熱情がなければフランス革命は成し遂げられなかった。そして人間の熱情とはすばらしいものであると同時に恐ろしいものでもある。

フランス革命の掲げた理想のいくつかは実現し今や当たり前の良識としてとらえられる概念もある。しかし当時の革命における経済的自由と社会的平等を共に目指すというアクロバットは、後に社会主義革命によって成功したかに見えたが結局は失敗に終わった。福祉国家も一部の国家でしか実現していない。そういう意味では、まだ私たちはフランス革命の途上にあるとも言える。そうである限りフランス革命から学ぶことはまだいっぱいある。

(2006年5月10日読了)

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神戸康弘著『びっくり英読法』(中経出版)を読む

6月7日(土)

英語の5文型を統一して一つの図で表示しそれに脇役の役割も明示することで英語のすべての文章を「てにをは」をつけて読めるようにした本。英文解釈の本として画期的で確かにこれでたいていの英語の文章を文法上は誤訳しないで読める。あとは安心して語彙を増やせばいい。しかもこれほどの本が、300ページ近くあって問題を解きながらも、3日で読めた。英語の学習書として久しぶりのヒットであった。

(2006年6月6日読了)

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須原一秀著『高学歴男性におくる 弱腰矯正読本 ―男の解放と変性意識―』(新評論)を読む

6月4日(水)

哲学者による男性解放の書。女性解放のプログラムは数多く提示されているので、ここでは高学歴男性に典型的な弱腰の男性が男として解放される方法を提示したと著者は言う。

キーワードは変性意識である。特に異常でない人間でも、ナイフの先を見つめると急に体に突き刺したくなったり、ビルの屋上から下を見ているとふいに飛び降りたくなったりすることがある。著者はそういう状態の意識を変性意識と呼ぶ。その時、人は価値意味と呼ぶべきものに触れている。そして価値意味に触れる時、人は自己防衛意識を低下させている。逆に、人が価値意味に触れられるのは自己防衛意識を低下させた時である。

著者は価値意味を重視した生き方を生活ウヨクと呼び、反対に利得を計算して自己保全に生きる生き方を生活サヨクと呼ぶ。そして男性の解放は、生活ウヨクな生き方を実行することから実現できると説く。

賛否はともあれ、ここまで現実を捉える概念の体系を独力でよく構築したものだとわたしは素直に感心した。社会学で言えば小室直樹の著作を読んだときのような手触りである。著者は自身の哲学に基づいて2006年に67歳で自死した。単行本を数冊遺しているので、しばらく追ってみたい。

(6月4日読了)

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Micro『踊れ(オドレ)』(UMCF)を聴く

6月2日(月)

5月21日にCDを手に入れてからヘビーローテで聴き続けている。男のアーティストで買ったのはTOKIOの『本日、未熟者』以来である。初めは日テレドラマ「おせん」の主題歌として聴いて、いい曲だと思った。何と言うのか、男のヒロイズムを刺激されるのである。しっかりと大地を踏みしめて立っている、かっこいい自分という感じなのだ。

CDを買って、歌詞を読んでみた。20代の特に地位も力もない若者の最良の認識と思想が表現されていると思った。僕らは喜びも悲しさもみなで共有したい。無関心が一番の悪なのだ。でも悲しさ自体は消すことができない。僕らは無力である。だから僕らは踊る。悲しいままに踊る。何かを守るために。

苦しみ悩んでいる人の苦しみはその人にしかわからない。でも、僕らはその苦しみを少しでいいから分けてもらいたい。僕らも成長したいのだ。だから僕らは踊る。悲しさを笑う。すべてを突き抜けるために。

Microというアーティストの世の中や音楽やダンスへの想いが凝縮された歌詞で表現されている。Microはギリシャ語起源の言葉で「微小な、微小なものを拡大する」の意味がある。Microはまさに今の若者の、小さな粒となって拡散している想いを拡大して表現してくれている。現代の若者の最も良質な部分が彼を通じて伝わってくる。

ただ、同じCDに入っている『Yukiyanagi』にはあまり共感できなかった。雪柳~We're watching you~というサブタイトルからも想像できるように、これは女性に向けた歌である。これに関しては女性の感想を聞きたいところだ。

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