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2008.04.06

中島義道著『哲学の教科書』(講談社学術文庫)を読む

4月6日(日)

哲学の教科書というと高校の倫社の教科書のような哲学史っぽいものを連想するけど、この本はそうではなく、哲学で問題にしていること/していないことを直接取り上げることで、哲学とはどんな学問かが読者に感覚的にわかるようになることをめざしている。確かに、哲学の問いは本来普遍的なもののはずだから、古代ギリシアの誰々とか17世紀フランスや18世紀ドイツの何某だとか時代や国、人とは関係のないはずのものだ。

おもしろいのは、最初に死の哲学的な問題が論じられた後に、哲学とは何でないかに1章が当てられていることである。哲学の本なのにそこでは文学、芸術、人生論、宗教、科学の名文が引用され、すばらしいのだけれど哲学ではないと断じられる。哲学とは深みのあるものではなく、子供が日常で不思議に思っていることの中に含まれており、それを精緻な言葉で論じたのが哲学であるというのが著者の考えらしい。

なぜ未来がいつのまにか今になり過去になるのか。私が生まれる前も死んだ後も時間や空間は無限にあるものなのか。空間物質転送装置ができたとして、この私の心まで同じように転送できるのか。物語の主人公と実在する人とを区別するものは何か。そもそも何かがあるとはどういうことか。個人的にはきのう嫌なことがあったせいか、わたしを侮辱する者たちを殺すことは善か悪かという問いを立てたいところだ。

哲学的な問題には答えようのない問題が多い。それに何とか説明をつけてみること、もしくはどこまでが意味のある問題で、どこを越えると無意味な問題になるのかを区別してみることが哲学者の役割である。あまり人の役には立ちそうにないけど、哲学は哲学として存在することに意義があるというのが著者の考えのようである。

単行本は著者が売れっ子になる前の1995年に刊行されている。そのためか文章が初々しくて謙虚である。その分、いわゆる中島節を期待している読者にはやや期待はずれかもしれない。

(4月6日読了)


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