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2008.03.31

真木悠介著『自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学』(岩波書店)を読む

3月31日(月)

社会学者の真木悠介(見田宗介のペンネーム)が、人間の自我の生物としての根拠を、社会生物学の成果から学びつつ探ったもの。

自我は個体の成立がないとありえないが、個体とは遺伝子の生き残り戦略の一つとして単細胞同士が合体してできたものである。しかしいったんシステムとして個体ができると、それ自体が主体性をもつようになる。ただ人間以前の個体の主体性は、あくまでも遺伝子の生き残り戦略という目的性を超えることはなかった。人間が自己意識=自我を持つようになったのは、脳が巨大化して自身の行動までモニターできるだけの情報処理能力を持つようになったからだろう。人間に生じた自我は、初めて遺伝子の生き残り戦略の目的性を超えてしまったわけである。

といったようなことを書いてあると理解した。愛とエゴイズムの動物社会学とは変わった副題だが読むと納得できる。人間は個でありながら他の人間とつながっている。生物ともつながっている。延長された表現型(R・ドーキンス)としての愛とエゴイズムの生命圏。補論2の宮澤賢治論もその観点から性現象と宗教現象を論じたもので秀逸である。

すでに絶版になっており、アマゾンのマーケットプレイスでも高額で取引されているのが残念である。

(2006年10月25日読了)

2008.03.29

小田実著『中流の復興』(NHK生活人新書)を読む

3月29日(土)

昨年7月にガンで亡くなった作家・小田実の遺言のような本。この本が生前最後の新書となった。どこかで連続講座でも開いていたのだろうか、講演風の文章で、参加者らしい韓国人たちに呼びかける言葉も多い。

戦争を起こさない国としての日本。そのためには憲法9条を守る。多様な価値観を持った人が共生するサラダ社会を作る。鳥瞰図で地上を見るのでなく虫の視線で空を見よ。市民自らが政策を作る。間接民主主義だけでなく直接民主主義を実行して初めて民主主義。デモをしよう。ビラをまこう。皆が中流の生活を送れるのがいい社会。格差社会はよくない。教育に競争原理は必要ない。日本人は女々しい民族。刀を差さないで女々しいままに生きよ。文学はギリシア時代から権力者を笑いのめすためにあるなどなど。何となく社民党の主張に近いような気もするけど、やはりこの人独特の豊かでユーモラスな、聞いていて楽しくなれる世界観が展開されている。

小田さんは自身の死をどのように捉えていたのだろうか。本の中では個人的な事情で運命として受け入れると述べている。末期ガンとわかってわずか3ヵ月後に亡くなった。死は個人的なことでもっと大切なことが世の中にはあると言いたかったのだろうか。

最後に、911以後のフィリピンで反政府運動に対して反テロの名目で行われた激しい弾圧について、恒久民族民衆法廷という民間の国際法廷が下した判決文が、資料として載せられている。小田さんはこの法廷にJury(審判員)として参加した。こういう判決は今の日本の社会ではほとんど注目されないだろう。生前最後の新書に、不釣合いなくらい長々とこの判決文を載せたことに、小田さんの「伝われ!」という強い遺志が込められている。

(3月29日読了)


2008.03.25

NHK語学講座との関わり

3月25日(火)

21世紀にはいってから、NHKの語学講座をTVでもラジオでも視聴するようになった。始めは語学以外にTVで日本史や世界史、数学Ⅰ、ラジオで高校数学Ⅱのテキストを買ったりもしていたが、いつしかテキストを買うのはラジオの語学講座だけになった。英語の他にハングル、ドイツ語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語にも手を出した。今でもTVの語学講座を見ているし、高校講座の日本史と世界史のファンでもある。

2007年度は、ラジオの徹底トレーニング英会話とビジネス英会話そして中国語講座のテキストを買って勉強し、娯楽としてTVの英語講座を見てきた。

その方向は4月からも変わっていない。ラジオではラジオ英会話と入門ビジネス英語、実践ビジネス英語、まいにち中国語のテキストを買って聞いていくつもりでいる。他にリトル・チャロという子犬の冒険を描いた英語アニメがマルチメディア的な展開を見せるから、テキストは買わないまでも注目している。

一応は英検1級、TOEIC900点を取ることが目標だけど、目標に囚われすぎず、あまりあせらないで、コツコツと勉強を続けていけたらと思っている。英語以外の語学はほとんど趣味の世界だけどね。

2008.03.23

高橋源一郎著『一億三千万人のための 小説教室』(岩波新書)を読む

3月23日(日)

小説を読むための小説を書くためのそしてよりよく生きるための本である。わたしたちはまずこのように生きたいしこのように小説を読みたい。そしてできるならば小説を書いてみたい。

ただ残念なことがある。わたしは高橋源一郎の小説を一冊も読んだことがない。

(2006年11月9日読了)

2008.03.20

宝彩有菜著『始めよう。瞑想』(光文社知恵の森文庫)を読む

3月20日(木)

瞑想というと仏教の座禅を連想するが、この本で示されている瞑想は、特定の宗派に偏ったものではなく、各宗派の方法のエッセンスを取り入れて誰にでもできるように簡素化したものである。この本には、瞑想をしてココロとアタマがリフレッシュされれば、楽しい人生をすごせるというメッセージが込められている。

始めに瞑想の方法を具体的に説明し、次に上手に瞑想するコツを述べている。さらに瞑想の効果や効用を、その後、上手に瞑想するための近道としていくつかのポイントをあげている。

瞑想は、さとりのための具体的な方法でもある。瞑想を上手にできるようになり、続けていけばさとりの境地が開ける。ウソみたいな話だが、やってみて損はなさそうだ。読むのは2時間でできた。でも実践となるとこれから長い道のりになる。本だけじゃなくて先生が欲しいところだ。

それにしてもオウム真理教の地下鉄サリン事件から13年目の日にこういう本を読むとは、不思議な巡り合わせを感じる。

(3月20日読了)

2008.03.18

宝彩有菜著『気楽なさとり方 心がどんどん晴れる』(日本教文社)を読む

3月18日(火)

悟るとはどういうことか、悟るためにはどう修行すればいいのかを、一休さんの道歌を材料に説明している。笑雲先生と小松茸君の会話をベースに、時折、著者も口を挟みながら、軽快に話が進んでゆく。やさしい言葉遣いながら、悟りの真髄が語られているような気がする。悟っていない身としては直感にすぎないことなのだが。

ただ、著者は途中で一休さんの「釈迦といういたずら者が世に出でて 多くの者を迷わするかな」という歌を引いて、釈迦の言ったことはみなその場にいた人に向けたウソ(方便)であって、鵜呑みにしてはダメだと言っている。ということは、著者の言っていることもウソ(方便)なのかもしれない。ただ、ウソだとしても釈迦と同じように愛のあるウソなのだろう。

この本は「気楽なさとり方」シリーズの一冊である。どのシリーズでも笑雲先生と小松茸君が出てくるらしいから、他の本も読んで、二人の会話をもっと楽しんでみたい。

(3月18日読了)

2008.03.16

ちりとてちん

3月16日(日)

NHKの朝ドラ「ちりとてちん」を見始めたのは11月1日からだった。朝ドラは一度見始めると時間を取られるため、中々敷居の高い部類の番組だ。だから10月から始まっているのは知っていても見る気になれなかった。

しかし10月末に帰省したとき、弟が「出張先の大阪で見た朝ドラがおもしろかった」と言ったものだから、1回見ただけでおもしろかったのならと見る気になった。一度見始めたらあまりのおもしろさにそのままはまり、土曜日のまとめ放送まで見る生活を今まで続けてしまった。

上方落語の一門と福井小浜の若狭塗り箸職人の一家の織りなす物語の詳細についてはNHKのドラマサイトにまかせよう。その無類におもしろい物語もあと2週間で終わる。今からそれが寂しい。でも、この5ヶ月このドラマを見るのが本当に楽しかった。その感謝の気持ちをここに残しておきたい。

できれば続編のスペシャルドラマも作って欲しいな。ヒロインの貫地谷しほりの活動もこれから追っていきたいと思う。おっと、まだ終わっていなかった。この脚本家のことだから最終回まで気が抜けないんだよ。

2008.03.15

M書房の閉店

3月15日(土)

NHKのラジオ語学講座のテキストは、毎月駅前のM書房で買うことに決めている。そこで今日もいつもの月のように出かけて行ったら、張り紙が貼ってあり、2月20日で閉店したと書いてあった。2月20日はわたしが最後にここで買い物をした日であった。

M書房で初めて本を買ったのは1993年の3月頃で、川喜多八潮著『日常性のゆくえ―宮崎アニメを読む―』(JICC出版)だった。それから15年になる。

最近では本を買うのは主にアマゾンなどのオンライン書店に限られ、M書房ではNHKのテキストを買うくらいであった。でも近くに大型書店もあるのだが、あえてM書房にしていたのはこの本屋に小さいながらも静かで知的な雰囲気があったからである。

また、良心的な町の本屋がなくなる。後に残るのは大型のチェーン店かマンガや雑誌ばかり揃えたあまり知的でない本屋だけだ。寝台列車がなくなるのも寂しいことだけど、こういう小さな本屋がなくなるのも寂しい。ただ、どちらも時代の流れとして仕方のない面もあることは確かなのだけれど。

追記。
後日、M書房のブログを見たら、平成12年開店と書いてあった。ということは1993年当時とは経営者が違うのか。店の雰囲気がほとんど変わらなかったので、気づかなかった。(3月20日記)

2008.03.14

小泉義之著『デカルト=哲学のすすめ』(講談社現代新書)を読む

3月14日(金)

小泉流デカルトの読み方。デカルトの『方法叙説』、『省察』、『情念論』を読み進めながら、善く生きるとはどういうことかを考察している。デカルトの教科書と言うよりは、デカルトを通して哲学をしている。

デカルトの哲学は小泉流に読むと破壊力があって魅力的だ。神学と世俗的価値観の間のような場所にデカルトはいる。だからこそその哲学は危険なものである。ソクラテスが死刑になったように、当時の社会からデカルトが抹殺されたとしても不思議ではない。

富や名誉や家族に恵まれて良く生きることでも、道徳的に正しく生きることでもなく、善く生きるとはどういうことか。デカルトは喜ばしく生きることだと言う。そして喜ばしく生きるとは、心と体を自由に動かせることだと言う。自然に思いのままに生きることが善く生きることなのである。感動的なほど単純な真理だ。

独我論、神の実在証明、宇宙の無限性、心身2元論など、自然科学の発展した現代には場違いなテーマに見えるけれど、よく読んでいけばそんなことはなさそうだ。わたしたちがデカルトの水準をまだ越えていないから、デカルトは読み継がれて行く必要があるのだろう。

(3月14日読了)

2008.03.12

Roald Dahl著『Matilda』(A PUFFIN BOOK)を読む

3月12日(水)

イギリスの作家・Roald=Darlの児童文学。天才幼女マチルダは子育てに関心のない両親の元で育つが自力で読書をし自らを育ててゆく。やがて小学校に上がり担任の若い女教師を助け、悪い女校長と戦う。

前半はマチルダの天才ぶりが描かれ小学校に上がってからは校長の極悪ぶりがていねいに描かれてゆく。後半になってマチルダに超能力が現われ童話のような担任教師の家へ行く頃から話は急速にファンタジーになってゆく。そして担任教師の抱える問題と校長との関係が明らかになり、マチルダがその超能力で問題を解決する。

読ませる筆力で飽きはこなかったが話の展開にやや無理が見られた。前半と後半でちがう物語になっている。前半はリアルな物語だが後半はファンタジーである。できれば超能力を出さないで問題を解決して欲しかった。でもおもしろいことはおもしろい。この作家の本はこれで2冊目だが他の本も読んでみたいものである。

(2006年12月4日読了)

2008.03.10

鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二(座談)『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(新曜社)を読む

3月10日(月)

老思想家・鶴見俊輔にフェミニストの上野千鶴子と社会学者の小熊英二が戦中戦後の話を聞いた本。わたしも鶴見俊輔の著作や座談集を何冊か読んでいるし、上野千鶴子や本の中で語られる吉本隆明や小田実の著作にも若い頃親しんだので、自分の断片的な知識が整理されていく知的快感とともに読み進めることができた。

小熊英二の代表作に『<民主>と<愛国>』という大作があるのは前から知っていたけど、残念ながらまだ読んでいない。でもこの本を読み終えてわたしにとって必読の書と確信した。というのも、上野が言うには、戦後の思想史を戦後思想家の戦争体験から照射しているらしいからだ。そしてこの本も鶴見俊輔という戦後思想家をその戦争体験から照射したものである。だからこれは小熊にとっては『<民主>と<愛国>』を補足するものでもあるのだろう。

座談の雰囲気もよく伝わる編集でまるで自分も傍らで聞いているような感覚を味わうことができた。このような知的な座談に読者として「参加」させてもらったことに感謝したい。

(2007年3月10日読了)

2008.03.07

柳原和子著『がん患者学Ⅲ がん生還者たち―病から生まれ出づるもの』(中公文庫)を読む

3月7日(金)

文庫版の『がん患者学』の最終巻だが、単行本では副題をタイトルに出版された。NHK教育で放映されたETV2001「シリーズがん患者に学ぶ」を土台にしてこの本は生まれた。そのためかそれまでの巻とはやや趣が変わり、がんという病を通じて見えてくるこの世の成り立ちというもの、その中で生きるとは、死ぬとはどういうことなのかが主題になっている。読者として知り合った2人の女性の闘病と死を描いた後、女性がん患者へのアンケート結果のまとめ、アメリカのがん患者たちの活動、メキシコでの代替医療の現場の取材、医師レイチェル・ナオミ・リーメンへのインタビューなど取材対象も範囲も大きく広がっている。

この時期は柳原さんが精力的に仕事を再開した頃である。がんは完全に消滅したと思われており、体調も回復して、不安は残っているにせよ、かつての生きるか死ぬかといった切迫感はなくなっている。自身を「がん生還者」と規定しており、ある意味、ここでがんへの区切りをつけて、新たな仕事へと向かうための総括とも言える作品である。

しかし、残念な話だけど、がん患者でなくなった柳原さんの仕事にはあまり興味が持てない。彼女がこだわっていることは、大半の読者にとってはどうでもいいことなのだ。

柳原さんはその後がんを再発し、再発日記を雑誌に発表する。それは以前に紹介した『百万回の永訣』としてまとめられた。そしてその本こそが、柳原さんの過去最高の作品になるのである。

(3月7日読了)

2008.03.05

高橋哲哉著『歴史/修正主義』(岩波書店)を読む

3月5日(水)

90年代になって歴史修正主義という言葉がネガティブな意味で使われるようになった。ドイツでのホロコーストはなかったと主張する勢力や日本での「自虐史観」批判の勢力を歴史修正主義者と呼ぶようになってからだ。本書は、哲学者の高橋が歴史とは何かという問題について歴史修正主義を意識しながら論じたものである。

高橋は論点を大きく3つに分ける。歴史と責任、歴史と物語、歴史と判断とにである。でもそのすべての中心にあるのは歴史の価値判断の問題である。歴史は正義によって判断されなければならない。正義とは現時点でのもっとも確からしい正しさである。この正義は後に変更される可能性へと開かれている。しかし現在のところは現在のこの正義によって歴史が判断されなければならないとする。そして具体的には現在の正義は国際法廷によって実現される。

国際法廷で戦争犯罪への判決が下される。それが現在の人類が示しうる最高の判断である。国家は原理的にはこの判決に従う義務を負う。もちろん国内の裁判と同じようにあらゆる犯罪には再審への道が開かれている。国際法廷もまた開かれた正義なのである。そして自国の歴史であってもこの正義に矛盾する物語であってはならない。

高橋の主張には総論としては賛成できる。ただ、従軍慰安婦問題については、高橋は事実が確定したかのように論じているが、小林よしのりがマンガで明確に示したように、実際には軍が強制に関与した証拠は上がっていない。よって国際法廷で下された諸判決に関しては、日本は再審を請求し続けるしかない。また、この本の初版が2001年の1月で、NYのWTCテロより前のせいか、やや古い印象を受ける。国際法廷?何それ?という感じなのだ。あたかもあのテロによってわたしたちの生きる世界が変わってしまったかのような違和感がある。当時の正義が早くも色あせている。まるで正義にも賞味期限があるかのようである。

(2007年3月17日読了)

2008.03.02

ブログの紹介 Critical Life(期限付き)

3月2日(日)

今日はお薦めのブログを一つ紹介したい。

立命館大学の小泉義之教授の期間限定のブログで、Critical Life(期限付き)というブログ名がついている。ブログだから身辺雑記風なのかと思いきや、哲学・社会学的な論文の草稿のような趣きで、柄谷行人の『探求』のようなスタイルである。ただ、ブログなだけに推敲した形跡はあまりなく、それだけに小泉先生の生の思考過程の手触りが味わえる。

最近のタイトルは『ケインズ「美人投票」、カント「美的判断」』、『<私>の存在証明』、『ポリオ・ワクチンからガタリ+ネグりへ』などで、知的好奇心をかきたてられるようなタイトルが並んでいる。

こういう上質な文章をただで読ませてもらっていいのだろうか。でも公開されているからいいんだろうな。期間限定みたいだから興味のある人は今のうちにどうそ。

Critical Life(期限付き)

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