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ライブドア騒動について

今週の月曜日にライブドアに特捜の捜査が入って、大きな騒動になっている。ついには東証の取引が一旦停止になるような騒ぎだ。マスコミはまだ誰も逮捕もされていない会社に対する様々な疑惑を垂れ流している。

テレビは人間の本性をさらけ出すとよく言われる。一時的には取り繕えても長期的にはすべてが暴かれるのだという。だからごまかしはきかないのだと。そして堀江氏のテレビでの印象は、よくも悪くも本音で生きている人物というもので、わたしはそれに偽りはないように思う。

そのわたしの中での堀江氏の像と今回マスコミが取り上げている数々の疑惑とはある部分で重なりある部分では重ならない。ライブドアという会社がM&Aの繰り返しで大きくなってきたのは明らかである。事業そのものからはたいして利益があがっていない様子は今までの報道からも見て取れた。その中で違法ぎりぎりのところで色々とあぶないことをやってきたのは事実だろう。ただ、明白に違法性があることを認識してそれを隠蔽しながらやってきたようにはどうしても思えない。新興の会社がのしあがる過程での混乱と熱気の中で起こった出来事なのではないかと思える。

だから今回の騒動には違和感がある。新興の会社ののた打ち回るような成長の軌跡を後追いして裁こうとしているように思える。既存の秩序にあぐらをかく者たちのおごりが感じられるのだ。

社会には秩序が必要だが、その秩序はつねに既存の秩序の破壊のうえに築かれる。その破壊の過程での逸脱を過剰にたたくことは時に社会の停滞につながる。

違法なことは違法なこととして裁かれればいい。ただそれに便乗して過剰に騒ぐことは控えたいしマスコミや他の人にもできれば控えてもらいたいものである。

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紅白における反戦のメッセージ

2006年を迎えた。読者のみなさま、あけましておめでとうございます

不覚にも昨年の大晦日は夜7時過ぎに寝てしまい、起きたのは11時頃だった。そのため年が明けて日テレの99の番組を見てから録画しておいた紅白を見始めた。といってもほとんどを早回しですましてしまった。しかし吉永小百合の反戦詩朗読からの一連の反戦歌には思わず引きつけられた。

吉永は広島の原爆落下ののちに防空壕で子供の生まれるさまを描いた詩を詠んだ。自分の重傷を省みずに子供の誕生を助けた助産婦が子供の生まれた後に死ぬという詩であった。

その後、さだまさしは長崎で被爆した女性のことを語り継ぐためにはヒロシマを語ることが必要だと語る詩人を歌った。そして森山良子と直太朗がさとうきび畑の歌を歌い、最後にSMAPが出演者と共に「世界に一つだけの花」を歌った。

吉永は「生ましめんかな、己が命捨つとも」と詠んだ。そしてその想いは次の世代、そして世界の人々へと引き継がれている。そんな気にさせる構成だった。

紅白からは様々なメッセージが読み取れる。これはその中のほんの一つの読み取りである。

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