毎日のニュース
最近、更新ができていない。その間にも世の中では様々なことが起こり、毎日のように悲惨なニュースが流れている。感想はそのたびにわくのだが、ブログに書き留めるまでには感情は高まらない。殺人やテロは毎日のように起こる。この世の中から争いが絶えることはない。なのに、その一切がまるでないことのように日常が過ぎていく。わたしは確かにこの世の中で生きているはずなのに、ニュースの一切と無縁だ。
ニュースとはそもそも日常では中々起こらないことだからこそ報道されるわけで、そういう意味ではわたしがニュースと無縁なのはあたりまえのことだ。平穏な毎日というわけではない。2月には住居のアパートで火事が起こり、引越しを余儀なくされた。5月には車でバック中に接触事故を起した。そんな「大きな」ことでなくても、日々のくらしのなかで不愉快なことや違和感を覚えることがいくらでも起こる。だが、それはすべて日常の中で過ぎ去っていくことで、ニュースになることではないし、ブログにも残らない。
でも、本当はいま日常で起こっている小さな異常性こそ、社会を考察する上で重要なことなのではないか。それがニュースにならない以上、せめてブログで書き留めておく必要があるのではないかと、ふと、思う。
毎日わたしに起こる小さなニュースもわたしのブログにのせる意味があるのかもしれない。少なくともそれなら書けそうな気がする。
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