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2004.08.06

『光とともに・・・』雑感

日本テレビで4月から7月までやっていたドラマ。自閉症児を抱えた母親が悪戦苦闘して子育てをしている様子が、普通に子育てをしている母親の想いと通じるところがあったらしく、視聴率もよかったようだ。わたしは途中、それも7回目の運動会の準備をしている回くらいから、ネット上などで評判を聞いて見始めた。そのため、たいした批評はできないが、とりあえず感想をここに残しておこうと思う。

たしかに、評判になるだけあっていいドラマだった。あまり知られていない自閉症児の様子がよく描かれていた。ただ、様々な自閉症児のエピソードを主人公の光君に詰め込んだ感があって、光君の個人としての実在感が薄い感じがした。また、舞台となった小学校も小学校としての実在感が薄く、なんだか大きな幼稚園のような感じだった。

でも、母親の思いだけは、なぜか、作り物ではなく本物だった。これは脚本家の子育ての経験から来た本当の想いなのだろうと推察できる。

全体としては、その作り物感や、随所に挟まった、どことなくコントじみたやり取りの軽さにも助けられて、この本質的には重いドラマを見続けることができたような気もするので、すべては演出家の狙い通りだったのかもしれない。障害があっても子供は懸命に光の中を歩んでいるんだよ、大人たちは偏見を持たないで、そんな子供たちやその家族を見守ろうよというメッセージはよく伝わってきた。

ふと、選択的中絶のことが頭をよぎった。胎児に障害が起こりうるという理由で中絶を選択することだ。胎児が障害を持って生まれてくることがわかったとき、親はどうすべきか。自らの子育ての苦労、未来の我が子の生きる苦しみを思い、ある親は中絶を選択する。

小泉義之『レヴィナス』(NHK出版)に、立岩真也『私的所有論』が引用されている。(中絶を選択した)「その私は、苦痛があるときには、苦痛とともに生きる存在があるのだという精神の強度をもつことができなかったのだ。当の存在にあくまで即そうとする時、これは正当化されない行いである」。

そして、それを受けて小泉は「障害者を想像することは、障害を受肉する人間を肯定的に想像することである。だから『精神の強度』を保ちさえすれば、生まれくる人間を歓待しない理由はひとつもなくなる」(p55)と語る。

「光とともに・・・」を見ると、この文章の意味がわかったような気になる。光君とその母親にはそれぐらいの力はある。

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