2017.08.25

過去の読んだ本の感想(シリーズ)9

8月25日(金)

..。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

1991年6月19日(水)
「妊娠カレンダー」の書き出し
(中略)

うーん。わからない。どこがいいんだ?
気になる所、
M病院。すぐ改行。会話の改行の仕方。基礎体温のグラフ。わたし。
愚図々々。とうとう。なかなか。
作者(わたし)は、姉がM病院に出かけて…いや、ちがうか。

色川武大の場合はどうだろう。
怪しい来客簿より
空襲のあと
(中略)

「が」が多いな。発想は突飛。でも、よく考えると、思い当たるフシもある。文章自体は、流れるよう。しかし、特に変わった点はない。

6月20日(木)

大江健三郎「懐かしい年への手紙」より
第一部
第一章 静かな悲嘆(グリーフ)
(中略)

森。谷間。妹。ギー兄さん。オセッチャン。ダンテ。事業。そして僕。

段落の構造
僕←TEL←(妹←会話←オセッチャン←→ギー兄さん)森のなかの谷間の村=こちら側

ギー兄さんのことを、オセッチャンの話を聞いた妹からの電話で僕が聞いたわけである。伝聞→物語の発生。ここですでに、この小説は神話性をおびてくる。しかも、ダンテだ。さらに2人の女=語り部=巫女の存在。

イメージの重層性が大江文学の特徴だが、それにしても、たいした念の入れようだ。イメージの洪水と言ってよい。

6月23日(日)

大江健三郎「静かな生活」(講談社)を読んでいる。心が浄化されるような小説だ。イーヨーと妹のマーチャンとの官能的とも言える交流。ワクワクさせられる。

10月8日(火)
今、川西蘭という小説家の「パイレーツによろしく」という本を読んでいる。わずか7年前の小説だが、すでに古びている。

12月1日(日)
読 「I will marry when I want」NGUGI wa Thiongo、NGUGI wa Mirii(Heinemann Kenya Ltd)
「現代アフリカ入門」勝俣誠(岩波新書)

どちらも一級品。読んだかいがあった。

「アフリカのこころ」土屋哲(岩波ジュニア新書)
いまいち。ちょっと古い。

12月8日(日)
読 「ハラスのいた日々」中野孝次(文芸春秋)、「治療塔」大江健三郎(岩波書店)

「治療塔」は、SFと純文学が融合したような不思議な感覚の小説である。数日前、新しく「治療塔惑星」という本が出たばかりだったので、前作を古本屋で買ってきたわけである。あいかわらずのイメージの洪水ではあるが、どうも異和感が抜けない。ハッキリ言って、胸の中をひっかきまわされるみたいな感じだ。SFの1人称か。何か変なんだよな。まだるっこしいぜ。

「ハラスのいた日々」も、オレにとっては新鮮だった。犬とヒトとの共生感覚。確かに、これは貴重なものだ。犬が今まで生きのびてこられたのは、このような関係が、ずっと続いていたからなんだな。なんか、うまく言えんが。昔、犬を飼ってた頃を思い出してしまった。

12月16日(月)
SIDNEY SHELDONの"THE OTHER SIDE OF MIDNIGHT"を読んでいる。plainなEnglishなので読みやすい。

..。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

2017.08.10

須藤凜々花・堀内進之介著『人生を危険にさらせ!』(幻冬舎文庫)を読む

8月10日(木)

わたしは須藤凜々花というアイドルを知らなかったのだが、先々月のAKB48グループの総選挙で結婚宣言を行ったということをニュースで知って興味を持った。1996年11月生まれで現在20歳。愛称はりりぽん。NMB48でセンターになったこともあった。この結婚宣言は大きな騒動となり、彼女はNMB48を卒業することになる。

どうしてそういうことになったのか、いろいろな記事を読んでいくうちに、彼女が哲学の本を出していることを知った。吉田豪というインタビュアーが、その本を読むとまるで今回の結婚宣言を予言したような内容だったと言っていたので読んでみることにした。それが本書である。「人生を危険にさらせ」というタイトルはニーチェの『悦ばしき知識』第283から取っているらしい。

この本は堀内進之介との共著である。著者略歴によると、堀内氏は1977年生まれで専門は政治社会学・批判的社会理論である。青山学院大学の非常勤講師であり、現代位相研究所の首席研究員というよくわからない肩書きもある。

この本は彼女と堀内先生との対話形式で進んでいく。実際に行われた対談ではなく、哲学の講義の中で交わされたやり取りを対話形式で再構成したものである。各章の終わりには彼女自身のコラムが挟まっていて、哲学に対する自身の思いをより詳しく語るものとなっている。

一見するとかなりポップではあるのだが、内容はソクラテスから始まるとても真摯な哲学対話になっている。意表を突かれたのは、最初の方で彼女が吉野弘の『I was born』という詩を取り上げたことだ。その詩の解釈が独特で、それがそのまま彼女の哲学の表現となっている。

ソクラテスは哲学は善い人生を送るためにあると言う。しかし私たちは生まれさせられた存在である。そしてやがて死にゆく存在である。そんな不条理な人生をどうやって善く生きられるというのか。ソクラテスは自ら毒を飲んで死んだではないかと彼女は問う。

そんな風に、彼女の哲学的な関心に沿って、堀内先生はそれこそソクラテスのような役回りで様々な哲学者の哲学を紹介していく。堀内先生に感心したり反発したり一旦は先生と決別したりしながら、彼女の哲学はより深まっていく。

読んでみて、どうして彼女が結婚宣言をしたのかを考えてみた。彼女は恋愛をしたらそのことに誠実でありたいと思っていた。そしてアイドルは恋愛禁止という大人の「哲学」への反発もあった。それがあの場での結婚宣言へとつながったのではないか。だがそういう青年の哲学には危険性もあることは本書にもちゃんと書かれてある。怪物を倒そうとして自らも怪物になるという危険性である。それをわかってやったのだとしたら、りりぽんはあえて怪物になることを選択し、「人生を危険にさら」したのである。

(7月18日読了)

2017.07.23

呉智英著『吉本隆明という「共同幻想」』(ちくま文庫)を読む

7月23日(日)

著者はマンガ評論家であり、思想家である。近代になって出現した大衆や大衆社会に対して批判的な思想の持ち主である。そんな著者が、自身も若い頃に読んでいた吉本隆明についての本を書いた。それは自分と同世代の知識人たちが吉本隆明を戦後最大の思想家と揃って評しているのに、自分にはとてもそうは思えないからだという。だから、多くの人が吉本隆明の偉さを説く中で、この本は、いやそれほどでもないよと説く本になっている。吉本隆明が偉く見えるのは、そういう「共同幻想」の中にいる信者だからだというのが著者の主張である。

全体としては、重要とされる評論と理論的な著作について一々こきおろす内容になっているのだが、これは吉本隆明の本を学生時代に読んだことがある者なら誰でも感じたような内容なので、吉本の読者にとっては一種のあるあるになっている。たとえば文章の難解さについて、読者なら誰もがその何言っているのかわからない難解な文章に苦しんだ経験を持ち、自分なりに言い換えようとしたことがあるはずなのだが、著者はそれを実際にやってみせて、わかりやすく言い換えると大したことは言っていないと説く。実際、言い換えられた文章には嘘のように魅力がない。はて、俺はただ難解な文章をありがたがっていただけなのかと思えてしまう。

ただ、そうやって「ほら、大したことないだろう」という説明が重ねられていくたびに、わたしには反対に吉本隆明のすごさが伝わってくる感覚があった。たぶんそれは吉本が思想的な格闘を長く続け、それが亡くなる直前まで続いていたという事実のすごみが、その批判的な言葉を通しても伝わるからだろう。客観的に見ると、吉本の評論は間違いだらけの代物で、理論的な著作も掘立小屋のようなものなのかもしれない。だが、それを継続してきた思想家は日本でも数えるほどしかいなかった。そういう意味では、やはり吉本隆明は、戦後最大は言い過ぎだとしても、偉大な思想家の一人だったのだとわたしは思う。そんなわたしも著者に言わせれば吉本信者なのかもしれないが。

(7月11日読了)


2017.05.17

小林政能著『なんだこりゃ?知って驚く東京「境界線」の謎』(じっぴコンパクト新書)を読む

5月17日(水)

先月の上旬に国境をテーマにしたアート展を見に行ったことをきっかけに、国境に限らず国内に引かれている境界線にも興味が出てきて、検索したらこの本が出てきたので、とりあえず買って読んでみることにした。

この本は東京の区界(区境)を歩くことを趣味にしている人が書いたものである。ご自身でも「境界協会」を主宰しているが、会員は主宰者1人だけの協会らしい。

区界を歩いていくと様々な謎が生じてくる。その謎を解くために、著者は地図を調べ歴史をさかのぼる。すると東京の区界が明治時代から様々に変わってきたことがわかってくる。東京は15区から始まったのだが、その15区の区分けも少しずつ範囲が変わったり、その後20区が加わって35区になったり、戦後は戦災によって22区、そして今の23区へと統合されたりしている。自分の足で歩き、地図の変遷や歴史を調べることで、だんだんと東京を重層的に理解できるようになるところが興味深い。

最初は少しマニアックでとっつきにくい感じがしたが、著者の熱意に導かれて最後まで読むことができた。最終章では区界を歩く時に必要な地図やアプリなども紹介されているから、それらを使って、まずは自分の住んでいる市の市界を歩いてみようかと思っている。

(5月15日読了)

2017.04.25

宮下恵茉・作 染川ゆかり・絵『キミと、いつか。』(集英社みらい文庫)シリーズ1~4を読む

4月25日(火)

この作品はシリーズもので、同じ中学校で1年生の同じクラスの女の子たちの初恋模様が描かれている。現在、第4作まで出ており、4人の女の子たちの1学期の恋が描かれた。今後は2学期の恋愛模様が描かれるらしい。第4作まで読んで、何だかオムニバス映画を観終わったような感じがした。同じ中学校の同じクラスで登場人物も重なるのに、ヒロインが交代するだけでこんなに世界が違って見える。どのヒロインも周りから見るとうらやましくなるような恋愛をしている。でも本人たちにしてみれば、初めての恋はとても大変なことなのだ。

最初のヒロインが少女まんが好きというのは、作者の仕掛けなのかなと思う。少女まんがのような恋に憧れる少女が、実際に恋をしてみると少女まんが通りにはいかないことに悩んだりする。読者が「いや、このストーリーは少女まんがでしょう」と思っても、少女がそう思っていないのだからしかたない。やがて読者はこのストーリーを現実に起こっていることのように感じてしまい、少女の恋を応援したくなる。

1学期は恋が成就するところまでの物語だった。さて2学期はどうなるのだろう。物語は続く。

(4月21日読了)

2017.04.02

みずのまい・作、U35(うみこ)・絵『たったひとつの君との約束~また、会えるよね?~』(集英社みらい文庫)を読む

4月2日(日)

この本を間違って買ったことに気づいたのは2月の末のことだった。同じ集英社みらい文庫の別のシリーズを注文したつもりだったのに、まったく別の作品だった。買ったのは昨年の11月頃だったから気づくのに3ヶ月かかったことになる。今さら返本もできないしこの際だからと読むことにした。

小学校高学年から中学生の女子向けの物語で、漢字にはすべて振り仮名が振ってある。また所々に少女漫画のような挿絵があって物語のイメージを頭に浮かべやすくしてある。集英社みらい文庫では、初めて長い物語を読むような子たちでも読み進められるように、様々な工夫をしているように見える。

読後感は何だか昔、妹の買っていた少女漫画を読んだ後のような感じがした。ヒロインは入院中の病気の少女で、暗い気持ちだったその子の前に元気でかっこいい男の子が現われる。少女は少年に恋をする。その恋が成就するまでに、少女が乗り越えなくてはならないことの描写が作者の腕の見せ所である。

昔の少女漫画と違うのは、病気の少女だからと言って悲劇のヒロインではないことだ。完全に治るのが難しい病気にかかっていても、少女はふつうの少女である。病気が暗い影を落とすことはあっても、それは決定的な悲劇をもたらすものではない。こういった物語の変化には、背景に医学の進歩があるのかもしれない。

この作品は出てすぐに重版になり、今年の2月には早々と続編が出ている。二人の恋の行方が気になるので、今のところ続編も読んでみようかなという気になっている。間違って買った本だけど、いい出会いだったと思う。

(3月30日読了)

2017.03.26

鬼界彰夫著『ウィトゲンシュタインはこう考えた』(講談社現代新書)を読む

3月26日(日)

ウィトゲンシュタインの哲学については、だいぶ前に永井均著『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)や飯田隆著『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』(講談社)を読んだり、初期の主著の『論理哲学論考』(岩波文庫)や野矢茂樹著『「論理哲学論考」を読む』(哲学書房)を読んだりもしたのだが、よく理解できないまま、先の著作へと進めないでいた。

この本は、2000年にウィトゲンシュタインの遺稿がすべてCD-ROM版として刊行された成果に基づいており、そのため、これまでは神秘的で謎めいた言い回しと思われていた言葉も、その前提となる手書きのノートやタイプ原稿をつなげて読んでいくと、ある哲学的主題についての継続した思索の最終的に洗練された表現であることがわかるようになった。

それでもわたしにはかなり難解な内容だったが、2か月くらいかけて読み終えてみると、以前よりはすっきりしたような気がする。と同時に、ウィトゲンシュタインの到達した認識に、なぜか身のすくむ思いがした。1人の人間が思索を進めて、言語と私の根源に到達した。もしかしたらそこは人間の深淵の底なのかもしれない。

 

2017.02.09

ブログ再開―読んだ本5冊―

2017年2月9日(木)

昨年の9月半ばにパソコンが壊れて修理に出してからブログを書く習慣が途切れてしまい、今まで更新してこなかった。その間にも何冊か本を読んできたので、その感想を記しておきたい。短い感想をTwitterに残しておいたので、今回はそのツイートをベースとする。本を読んだ感想は読んで数日以内には残さないと、印象が薄れて中々文章として書けるまでにはまとまらないものだ。少なくともわたしはそうである。

1. 春日太一著『鬼才 五社英雄の生涯』(文春新書)

綿密な取材と著者の熱量とが噛み合って、抑制の効いたいい評伝となった。もし五社英雄が自伝を書いていたらどんな自伝になったのだろう。そう思わせてくれる評伝でもあった。(2016年9月12日読了)

2. 小林敏明著『廣松渉―近代の超克』(講談社学術文庫)

難解さで名高い廣松哲学のエッセンスを解説するとともに、日本思想史の文脈で論じたもの。戦前の近代の超克論、戦後の近代主義、ナショナリズムとインターナショナリズム、そして廣松の近代の超克。各々の関係が明確に示されてスッキリした。(2016年10月8日読了)

3. 筒井康隆著『モナドの領域』(新潮社)

哲学の根本問題である存在と時間の問題に、80歳になったSF作家がSFの形で解答したのがこの作品である。同時にいわゆる「神」が主人公の小説を、その小説世界の神である作家の視点から描くという、不思議な視点の小説となっている。(2016年11月4日読了)

4. こうの史代著『この世界の片隅に 上中下』(双葉社)

アニメの画は水彩画のような味わいだったが、原作の漫画はクレヨン画のような味わいで『夕凪の街 桜の国』とも違う。この漫画は歴史の書であると同時にすぐれた民俗学の書でもあると思う。戦時の人々の暮らしが丹念に描かれることで、人間の生の諸相が断層のように浮かび上がってくる。生きるとは何と残酷なことなのだろう。だが何と豊かなものなのだろう。(2016年11月29日読了)

5. 梶尾真治著『美亜へ贈る真珠』(ハヤカワ文庫)

デビュー作の表題作を含め全8篇の短編集。主に時間SFと恋愛を絡めた物語なのだが、これまで長編の梶尾作品ばかり読んで来たせいか、短編はそのエッセンスが濃縮された味わいがあった。(2017年1月10日読了)

2016.09.09

本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ著『ユマニチュード入門』(医学書院)を読む

9月9日(金)

ユマニチュードはフランスで始められ、日本でも最近注目されるようになった認知症ケアの新しい技法である。ユマニチュードという言葉は、ユマニ+チュード=人間+である状態と訳せる。人間を人間としてケアするのがユマニチュードということになるだろう。

人は自然な感情のままに認知症の人をケアしようとすると、えてしてモノや動物のように扱ってしまう。だが、どれだけ認知レベルが下がった人に対しても人として対すべきというのがユマニチュードの考え方である。そのためには自然な感情のままではダメで、ケアする人の意識を変え、訓練によってケアの技術を身に付けることが必要とされる。ユマニチュードの技術は150を超える。

実際に父母が認知症になったら、ユマニチュードの考え方に則ってケアをしていけたらと思う。ただ、この本を読んだだけですぐ実践できるとはとても思えない。何らかの講習の制度ができて、誰でも基本的な考え方や実践技術を学べるような制度作りが今後必要になってくるだろう。

(8月20日読了)

2016.08.24

和田彩花著『美術でめぐる日本再発見』(オデッセー出版)を読む

8月24日(水)

副題は「浮世絵・日本画から仏像まで」。この本は著者の2冊目の美術本である。アイドルであり美術史専攻の学生でもある著者は、メディアプロデューサーの櫻井孝昌という理解者と出会い、ネット上で西洋美術についての連載を始め、その最初の成果は『乙女の絵画案内』という本として出版された。それは現役アイドルである著者ならではの視点での西洋絵画案内だった。

この2冊目の本も櫻井氏のプロデュースでまずネットでの連載が始まり終了後に本としてまとめられるはずだった。だが、連載が終わってから間もなく櫻井氏が鉄道事故で亡くなってしまう。昨年の12月4日未明のことだった。ファンの間では、彼の死を悼むと共に、はたして本の出版はあるのかという心配の声が上がったが、本は無事出版された。

出版されるまでの経緯がどういうものだったのかは明らかにされていない。だが、一冊目と異なり出版元はアイドル本や写真集を多く出している会社だった。そのせいか、著者の文以外に写真も多く、フォトブックエッセイのような形になっている。はたしてこれが櫻井氏の望んだ形だったのかは今ではわからないが、プロデューサーとして彼の名は本に記されてしまった。

内容は、アイドルであり美術史専攻の学生らしい独特の視線での浮世絵や日本画、仏像の解説になっている。特に注目すべきは浮世絵解説の独自性で、そこから浮かび上がるのは江戸時代の浮世絵文化と現代のアイドル文化との共通性であり、江戸時代の女の子のかわいさである。

明治時代になり浮世絵とそれを担った江戸文化は廃れて文明開化の時代が来る。著者は浮世絵を通して、文明開化の華やかさの影で失われた文化の豊かさに気づく。そしてそれが西洋で発見されて印象派絵画へとつながり、その絵画に自分が出会ってしまった不思議さに思いをはせるのである。

(7月21日読了)

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